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黒川弘務元検事長の賭け麻雀については擁護したい

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:つのだよしお/アフロ)

 渦中の人、訓告処分を受けた黒川弘務元検事長に対しては、私も行政処分としては懲戒が妥当で、そうすべきだったと思います。しかし、それは黒川元検事長が「賭け麻雀をしたから」ではなく、彼が長年にわたってマスコミ記者といわゆるズブズブの関係で、問題となった夜も記者が提供したハイヤーに便乗し、その中で特別に取材を受け、情報提供していたという、その行動が懲戒に相当するのではないかと思われるからです。これらの行為は、場合によっては収賄罪とか国家公務員法(国公法)上の守秘義務違反の罪に発展する可能性があるような重大な行為で、事によっては懲戒免職のみならず刑罰も科せられる可能性があります。

 そもそも賭け麻雀については、どのような意味においてそれが犯罪なのかについて曖昧な点がありますので、賭け麻雀ばかりが強調されますと、本当に問題とすべき行為が霞んでしまうのではないかと心配です。

 公務員が違法行為を行った場合の制裁としては、明治時代には、刑罰は刑法に任せ、懲戒(免官・減俸・けん責)は文官懲戒令という法律に委ねられていましたが、戦後になって、国家公務員法(および地方公務員法)が制定されてからは、第一に、重い職務違反については、刑法と国公法によって刑罰が科せられるほか、国公法によって懲戒(免職・停職・減給・戒告)され、第二に、軽い職務違反については、国公法によって懲戒の対象となる場合もあれば、さらに軽い場合にはそれぞれの省庁の内規によって訓告等の処分に処せられるというのが原則になっています。また、当該国家公務員が刑事事件として起訴されると、国公法79条2項によって休職となり、その裁判確定前においても、任命権者は懲戒手続きを進めることが可能で、懲戒処分がなされても当該公務員に刑罰を科すことは構わないとされています(国公法85条)。

 さて、本題の賭け麻雀ですが、これがどういう意味で〈犯罪〉なのかは微妙で、世の中にはギャンブルそのものを罪悪視する考えもありますが、少なくとも法的観点からはそのように断定できるものではありません。

 少し前の判例を見ると、「金銭を賭けて麻雀遊技をした以上、勝敗を決するに至らず、また賭金の授受がなされるに至らなかつたとしても、賭博罪の成立に欠けるところはない」(最高裁昭和37年6月26日判決)としたものがあります。これは、賭博という行為そのものに犯罪性を認めて、そのような行為を行うことじたいが犯罪だとしたものです。賭博という行為じたいに罪悪性を認めるならば、(いつ既遂になるかは議論がありますが)結果的に金銭の授受があろうとなかろうと賭博罪が成立するというのは論理的には当然の結論です。しかし、今も裁判所がこのように述べるかといえば、ちょっとわかりません。

 かつては賭博は〈勤労の美風〉という善良な風俗・習慣を損ない、国民に働かない怠惰な性格を作り上げるという点にその害悪性が認められていた時代もありました。しかし、いわゆる公営ギャンブルを含むギャンブル産業全体の年間総売上額が20兆円を超えているような現状で、〈勤労の美風〉などと言うことじたいが何か虚しい感じがしますし、そもそもそのようなモラルを維持するために刑罰を利用するということには、法律家の間でも否定的な考えが強くなっています。

 たとえば、ポルノ画像(わいせつ画像)の公然陳列・販売は善良な性風俗を侵害するという理由で処罰されていますが、かりに国がポルノを製造販売していたとして、許可を得ない民間人のポルノ製造販売を善良な性風俗の維持を理由に取り締まるのはまさに矛盾です。ギャンブルの場合、国がギャンブルを経営しながら、他方で個人のギャンブルを善良な風俗の維持を理由に処罰するのもこれと同じではないかと思うわけです。

 なお、賭博行為が勤労の美風を害する以外に、賭博で財産を失った者が窃盗や強盗などの別の財産犯に手を出す危険性があるから賭博行為を禁止しなければならないという点を強調する判例もあります(最高裁昭和25年11月22日判決)。しかし、このような視点も、公営ギャンブルの存在を前にするとき、説得力のある根拠とはいえません。

 また、刑法は「一時の娯楽に供する物を賭けた」場合は処罰しないとしています(刑法185条但し書)。「一時の娯楽に供する物」とは、簡単な食事とか飲み物の類いです。ギャンブルという行為そのものを問題にするならば、金額の多寡は問題にならないはずですが、金銭も「一時の娯楽に供する物」に相当するような金額であれば「賭博」には当たらないとされています。

 さて、賭博罪の根拠として、善良な風俗を守るという理由が十分でないならば、それ以外に処罰の根拠を求めることになります。

 一つの考え方として、国民がギャンブルに金銭をつぎ込んで財産を失わないように、国家はギャンブルをする人を処罰することでその人の財産を守ってあげているのだという考えがあります。これは、その人のために処罰するというパターナリズムの考えです。しかし、個人の財産や家庭を守るために賭博を処罰するのだという理屈には、実際に競馬競輪で身を持ち崩す人がいる以上、あまり説得力があるとは思えません。

 自分の財産を自分でどのように処分しても、それは本人の自由であり、処罰されるような行為ではありません。たとえば、ここに働いて稼いだ100万円があるとして、それを燃やしても処罰されませんし、もちろん馬券を買っても処罰されません。しかし、賭け麻雀に使うとなぜ処罰されるのでしょうか(さらにいえば、刑法は自分で命を捨てようとする行為すら処罰していませんし、憲法は国籍離脱の自由も認めています[憲法22条2項])。

 このように考えると、仲間内で賭け麻雀をすることは個人の娯楽(幸福追求)であり、犯罪として処罰しなければならないような行為ではないのではないかと思えてきます。もちろん、賭博は暴力団の資金源となっているという現実がありますので、賭博を無制限に刑法から解放するわけにはいきませんが、少なくとも単純賭博罪は非犯罪化されるべきではないでしょうか。そして、賭博罪を暴力団対策という観点からあらたに構成し直すことこそが必要ではないでしょうか。

 黒川元検事長がもしも暴力団関係者と賭け麻雀をしていたということであれば、それはもちろん言語道断の行いで弁解の余地はないですが、そうではなく、しかも勤務時間外に行っていたということですから、私はレートの高低にかかわらず賭博罪として問題にすることは妥当ではないと思っています。また、個々の賭け麻雀が賭博行為と見られない以上、それを習慣的に繰り返していたとしても、常習賭博に当たらないことは当然です。正の数字をいくら重ねても負の数字にはなりません。

 以上のような点から、黒川元検事長の賭け麻雀は刑罰の対象とすべきではないと思います。(了)

(賭 博)

刑法第185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

【参考】

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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