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2011-12年・朝ドラ『カーネーション』に見る、渡辺あやの「分かり合えないことを分かり合う」関係

松谷創一郎ジャーナリスト
公式サイトより。

 NHKの朝の連続ドラマ小説を語るとき、かならず名前が上がるのが、2011年10月から翌2012年3月に放送された『カーネーション』だ。2013年放送の『あまちゃん』とともに、この20年でもっとも高く評価されている作品のひとつだ。
 この作品の脚本家は渡辺あやだ。それまでインディペンデント系の映画やNHKの単発ドラマの実績で知られていた。昨年『エルピス-希望、あるいは災い-』(2012年)でふたたび大きく注目された渡辺あやだったが、その出世作がこの『カーネーション』だった(初出:『論座』2012年3月27日)。

実力は折り紙つきの渡辺あや

 NHKの朝の連続ドラマ小説『カーネーション』が、そろそろ終わろうとしている。ファッションデザイナーであるコシノ三姉妹の母親・小篠綾子をモデルとしたこの作品は、主人公・小原糸子(尾野真千子/夏木マリ)の生涯を描ききるようだ。この文章を書いてる2012年3月26日(第146回)の時点では、物語は2005年4月まで進んだ。第一話で11歳だった糸子は、91歳になった。

 このドラマが発表されたとき、筆者は非常に大きな期待を寄せた。渡辺あやが脚本を手がけるからだ。

 渡辺の名はおそらく一般的にはさほど知られていなかったはずだ。しかし、映画の世界ではその実力は折り紙つきだ。デビュー作の『ジョゼと虎と魚たち』(監督:犬童一心/2003年)、『メゾン・ド・ヒミコ』(監督:犬童一心/2005年)、『天然コケッコー』(監督:山下敦弘/2007年)、『ノーボーイズ、ノークライ』(監督:キム・ヨンナム/2009年)と、秀作を連発してきた。2000年代に復調した日本映画界のなかで、大きな存在感を示してきた。

 長らく映画を中心としてきた渡辺だったが、近年はNHKの単発ドラマを手掛けている。それが、2009年の『火の魚』(演出:黒崎博/NHK広島)と、2010年の『その街のこども』(演出:井上剛/NHK大阪)だ。この両作品が、『カーネーション』に繋がった。

 だが、これらの過去作のなかに「大ヒット」と呼べる作品はない。映画はすべて小規模公開で、『ジョゼと虎と魚たち』のようなスマッシュヒットもあったが、興行収入10億円を超えた作品はない。ドラマ2作も単発で、『火の魚』の視聴率は9.6%、『その街のこども』は3%台だった。大規模公開の映画やゴールデンタイムの連続ドラマなどの、メジャー畑を歩いてきたわけではないのだ。

 だからこそ、『カーネーション』は驚きだった。渡辺にとってはじめての連続ドラマが、もっとも注目されるNHKの連続ドラマ小説だったからだ。放送前は、正直どれほど連ドラの形式に対応できるか不安があったのも確かだ。それはわれわれ視聴者だけでなく、おそらく本人や制作側にとっても同じだったはずだ。

 しかし、その不安は大きな杞憂に終わった。一日15分で週6日の特殊な形式にも上手く対応した。15分のなかでのまとまりだけでなく、一週間のまとまりも丁寧につけていた。その構成は見事というほかない。

糸子が闘った横暴な父親と無謀な戦争

 『カーネーション』には、渡辺がこれまでの作品で見せてきた特徴的な表現が随所に見られる。それは、決して単純な「相互理解」といった結果に終わらない、二者間の微妙な関係性だ。ふたりの間に横たわる決して埋めることのできない溝──「分かり合えなさ」を渡辺は丁寧に描く。

 たとえば、『ジョゼ~』のラストで、青年は障害者の女性から逃げる。『~ヒミコ』では、ヘテロの女性とゲイの男性は性愛関係にはなれない。『その街のこども』でも、震災を経験したふたりは互いの認識の違いを知り一時は決裂する。渡辺は、他者を全面的に包摂するような甘くてウェットな関係を決して善しとしない。結果はどうあれ、そこで描かれるのは、「分かり合えないことを分かり合う」という非常にモダンな関係性だ。

 これまでの作品同様、『カーネーション』においてもそれは見られる。渡辺の過去作と異なり多くの人物が登場するが、そのなかでも注目すべきは主人公・糸子の幼なじみである奈津(栗山千明/江波杏子)だ。

 奈津の存在は、最初からとても不思議だった。幼なじみとはいえ、決して糸子と仲が良いわけではない。むしろ険悪なことのほうが多い。では、恋のライバルかと言えば、そうもならなかった。仕事においてのライバルでもない。一言でまとめるならば、「仲の悪い幼なじみ」だ。

 理路をはっきりさせて物語を進める脚本家なら、奈津は削るキャラクターかもしれない。ノイズになりかねない存在だからだ。しかし、糸子の生涯を眺めると、奈津はとても重要な役割を果たす。それはこの作品のテーマともかかわってくる。

 『カーネーション』が描いてきたのは、簡単に言えば「働く女」だ。女性に選挙権すら与えられておらず、だんじりも引くこともできなかった戦前に、糸子は父親・善作(小林薫)との確執を乗り越えていく。横暴な善作は、明治から終戦まで続いた近代家父長制の権化のような存在だ。

 近代家父長制とは、明治政府の民法によって人工的に構築された。長男に限り相続を許すこの制度は、江戸時代には武家でのみ行われていたが、明治時代から全国民に適用される。それは、当時の政府が国民国家形成を目論んだうえでの政策だった。無論のこと、かの戦争もこうした政府によって引き起こされたものだ。横暴な父親と無謀な戦争──糸子は、近代前期の日本による落とし子と闘った。

▲主題歌である椎名林檎「カーネーション」MV(2011年)。

糸子と奈津のコントラスト

 戦後、糸子は完全に独り立ちする。洋裁業を本格化し、三人の娘を育て、そして妻子ある男性と不倫もする。一方、料亭のひとり娘だった奈津はすべてを失い、パンパン(売春婦)にまで落ちぶれる。時代を切り開いていった糸子に対し、奈津は時代の波に飲まれてしまった。そんな奈津を糸子は助けて借金の保証人となり、仕事も紹介する。

 『カーネーション』が、一部の女性から嫌悪感を抱かれるのはこの糸子の強さにある。父親に打ち勝ち、男性社会も切り開き、さらに不倫もする──糸子は激しく強い。目が痛くなるほど眩しい。しかし、その眩しさは、保守的な女性にとっては自分の弱さを照らされるように感じるはずだ。

 そのとき忘れてはならないのは奈津の存在だ。彼女は、古い時代を引きずって落ちぶれかかる。そんな奈津を助けた糸子は、彼女に言う。

 「礼はいらん。こんでチャラや」

 祝言のときに自分をおぶってくれた奈津への恩返し──ということに、糸子はしたのだった。無論のこと本心ではないが。

 こうした描写により、奈津は単なる糸子の引き立て役ではなくなる。そして糸子の強さも過度に称揚されない。ふたりは明確なコントラストとなるが、単なる対立関係ではない。糸子と奈津は、まさに「分かり合えないことを分かり合う」関係だ。この繊細な関係こそが、とても渡辺あやらしい。

 こうした描写が、どれほどテレビのサイズに合うものかはわからない。ちょっと目を離すとわかりにくくなるその表現は、身支度で忙しい朝のドラマには不適当だったかもしれない。

 しかし、NHKのスタッフはこの作品を誇っていい。間違いなく『カーネーション』は傑作だからだ。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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