『エルピス-希望、あるいは災い-』が見つめる先──“テレビ時代の終わり”のテレビドラマ
テレビドラマでテレビを描く
10月24日からフジテレビ系列で始まったドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』(月曜22時/関西テレビ制作)。“社会派エンタテインメント”と称されたこのドラマは、長澤まさみが4年半ぶりに連続ドラマに主演することで話題だ。
だが、そうした“芸能的な”側面とはべつの点でこの作品は強く注目される。なぜなら民放のテレビ局を舞台としているからだ。物語の中心に存在するのは、連続殺人事件の死刑囚が冤罪である可能性を追う3人のテレビマンの姿だ。
ひとりがアナウンサーの浅川恵那(長澤まさみ)、もうひとりが若手ディレクターの岸本拓朗(眞栄田郷敦)、そして彼らをバックアップする政治部記者の斎藤正一(鈴木亮平)。フジテレビの組織図に照らせば、それぞれアナウンス部(編成制作局)、情報制作局、報道局に属する。
この立場の異なる3人が、重大事件の冤罪の可能性を追う──それが昨日放送された第1話の大まかな展開だ。つまりそれは、「テレビドラマでテレビを描く」という非常に自己言及的な内容だ。
地上波テレビの“ベタな頭の悪さ”
始まったばかりだが、その内容ではいくつも注目すべき点があった。
たとえば、浅川が出演し、岸本がフロアディレクターを務める深夜の情報バラエティ番組『フライデーボンボン』は、民放テレビ的な通俗性が詰まっている。
浅川は勝海舟を描いた史劇のベテラン俳優に「勝海舟との共通点は?」とインタビューするなど、その内容は地上波向けの“最適化”が図られている。そしてその周囲では「ボンボンガールズ」と呼ばれる女性タレントの卵が、賑やかし役として多く出演している。
そうした低俗さが、生真面目な社会に対するカウンターとして斬新だった時代はあった。その代表格が、80年代に一世を風靡したフジテレビの『オールナイトフジ』だ。しかし、あの時代にインテリの創り手たちが“あえて”やっていた“ネタとしての低俗さ”は、いまや単なる“ベタな頭の悪さ”となった。
舞台裏でも、テレビ的なノリが満載だ。番組の打ち上げでは、報道局から異動してきたチーフプロデューサーがハラスメント発言を繰り返す。一般的には異常な光景に思われるかもしれないが、ひとむかし前までそれはテレビ局においての日常だった。体育会系のノリと上下関係が強く機能する奇妙な社会──それがテレビ局だ(局員が概ね高学歴なのは、なにかの冗談のように)。
こうした露悪的な表現は、『エルピス』が地上波テレビそのものに突きつける刃でもある。
渡辺あやと佐野亜裕美
そもそもこの作品も紆余曲折を経て成立した。
この作品で注目されるのは、脚本を手掛ける渡辺あやだ。2003年の映画『ジョゼと虎と魚たち』から注目されてきたが、これまでの仕事はインディペンデント系の映画とNHKのドラマに限られている。
一般的にもっとも知られる作品は、2011~2012年のNHK連続テレビ小説『カーネーション』だろう。ファッションデザイナーであるコシノ3姉妹の母・小篠綾子をモデルとした女性の生涯を描いたこのドラマは、歴代の朝ドラ作品のなかでも極めて評価の高い逸品だ。
だが、渡辺は華やかな世界である大作映画や民放地上波とは距離を置いてきた。それだけに今回の民放ではじめて手掛けた『エルピス』が注目されている。
この企画を成立させたのは、プロデューサーの佐野亜裕美だ。佐野は長らくTBSでドラマをプロデュースしてきた。なかでも2017年の坂元裕二脚本・松たか子主演の『カルテット』は、4人の男女の繊細な関係性を描いた秀作だった。しかし、彼女は異動させられてしまう。ドラマ制作を望む佐野は、2020年にカンテレ(関西テレビ)に転職する。系列局ではない他局に移籍するのは、放送業界では極めて異例だ。
このドラマの企画は、佐野がまだTBSに籍を置いた2016年にスタートしていたという。だがTBSでこの企画は却下され、佐野がカンテレに転職してやっと成立した。この作品には6年越しのふたりの思いがこもっている。フジテレビのサイトでも渡辺は以下のように話している。
企画を通すときのハードルだけでなく、テレビ局にとっては非常に自己言及的なその内容は今後それなりに物議を醸す可能性がある。撮影が終了しているかどうかは不明だが、今後の動向にも注目する必要がありそうだ。
沈没していく“地上波しぐさ”
渡辺の前作は、昨年NHKで放送された『今ここにある危機とぼくの好感度について』だ。これはテレビ局のアナウンサーから大学職員に転職した青年(松坂桃李)を通して、大学組織の構造的問題を描いた作品だった。主人公は、日本型組織で自己保身ばかり気にする小市民として描かれていた(「意味のあることを言わない」大学広報。ドラマ『今ここにある危機〜』の主人公の鈍感さから私たちが気づくこと/『ハフポスト日本語版』2021年5月22日)。
おそらく『エルピス』もこうした渡辺作品の文脈にあるものだと考えられる。硬直した組織のなかで、ひとりひとりが社畜ではなくいかに個人として生きていくか──テレビ局を舞台にそれが描かれると予想される。
そして彼らの煩悶は、佐野プロデューサーの姿とも重なる。なぜ彼女は十分な成果を残したのに、TBSでドラマ制作から外されたのか。カンテレに移ってから、『カルテット』の坂元裕二とともに『大豆田とわ子と三人の元夫』をヒットさせたのは、TBSドラマ制作部の問題性ばかりを際立たせる(「沈没していく“地上波しぐさ”──高視聴率ドラマ『日本沈没─希望のひと─』が見せる絶望的な未来」/2021年12月14日)。
昨年、渡辺は朝日新聞の取材に対してテレビ局や映画の制作について以下のように発言している。
この発言の背後には、いま思えば佐野の姿がうっすらと感じられる。『エルピス』にはさまざまな思いが詰まっている。
“テレビ時代の終わり”の「エルピス」
地上波テレビはもはや斜陽だ。総務省で検討会が行われていたように、各家庭のアンテナに電波で映像を伝える放送もそう遠くない未来に終わりを迎える。そして、そのことには多くのテレビ局員はすでに気づいている(だからこそ、その未来を見越した有力社員の転職が各局で目立っている)。
しかし、ドラマをはじめとする映像コンテンツがなくなるわけではない。YouTubeやNetflixなどの動画配信サービスなどで、われわれは地上波テレビが中心だった時代よりもずっと映像に接している。ウィンドウはスマートフォンやタブレットなどにも広がり、ネットに接続されたテレビも5割を超えた。ドン・キホーテなどで販売されているチューナーレステレビの販売も好調だ。地上波テレビが中心の時代が終わるだけだ。
放送から通信へ──テレビ(映像コンテンツ)がそう変化してきたなかで産み落とされたのが『エルピス』だ。“テレビ時代の終わり”のこのドラマが見つめる先には、おそらくテレビの将来が見えるはずだ。
そして、きっとその将来は「エルピス」──希望、あるいは災いなのだろう。
- 関連記事
- 「意味のあることを言わない」大学広報。ドラマ『今ここにある危機〜』の主人公の鈍感さから私たちが気づくこと(2021年5月22日/『ハフポスト日本語版』)
- 『カーネーション』に見る、渡辺あやの「分かり合えないことを分かり合う」関係(2012年3月27日/『論座』)
- 沈没していく“地上波しぐさ”──高視聴率ドラマ『日本沈没─希望のひと─』が見せる絶望的な未来(2021年12月14日/『Yahoo!ニュース個人』)
- 橘安子が愛した英語とラジオ──『カムカムエヴリバディ』が描いたメディアの100年(2022年4月8日/『Yahoo!ニュース個人』)
- 『ミステリと言う勿れ』が示した2022年・地上波ドラマの最適解──視聴者を掴んだ“二段構え”(2022年3月30日/『Yahoo!ニュース個人』)
- フジテレビはいつまで「内輪ノリ」を続けるつもりか(2017年8月4日/『現代ビジネス』)
- 『トットてれび』――テレビドラマの死への祝福と哀しみを込めて――『あまちゃん』演出家が送るレクイエム(松谷創一郎×宇野常寛)(2016年8月23日/『PLANETS』)
- 『全裸監督』の大いなる“野望”──日本社会の“ナイスな暗部”を全世界に大発信(2021年6月28日/『Yahoo!ニュース個人』)
- 『きれいのくに』のディストピア──ルッキズムが支配する“きれいのくに”で若者は自意識をこじらせる(2021年5月31日/『Yahoo!ニュース個人』)
- 怪人だらけのドラマ『M 愛すべき人がいて』──その面白さと不可解さが示すテレビと音楽業界の現在地(2020年6月30日/『Yahoo!ニュース個人』)