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東南アジアの紛争地帯に林立する‘ネット詐欺工場’――10万人以上を搾取する中国人マフィア

六辻彰二国際政治学者
(写真:イメージマート)
  • 国連報告によると、東南アジアの密林地帯にはネット詐欺を組織的に行う「工場」が林立していて、年間数十億ドルを稼ぐといわれる。
  • 「工場」では高給をうたった架空の仕事に応募した人が拉致され、強制的に働かされおり、その人数は10万人にも及ぶと推計される。
  • 「工場」の周辺では戦乱が続き、現地の公的機関も立ち入れいない無法地帯では中国人マフィアの暗躍が確認されている。

数十億ドルを稼ぐ‘ネット詐欺工場’

 銀行やカード会社を名乗る偽装メッセージ、SNS上の「知り合い」による架空の投資話…。こうしたネット詐欺は今やどの国でも発生しているが、現場から遠く離れた国に詐欺集団がいることも珍しくない。

 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は昨年8月のレポートで、東南アジアにいくつもある‘ネット詐欺工場’の実態を明らかにした。

 それによると、タイとの国境に近いミャンマーの密林地帯には、まるで刑務所か軍事要塞のように外部から隔離されたネット詐欺の拠点がいくつもある。

 マネーロンダリングやランサムウェア(コンピューターシステムの乗っ取り)といったネット犯罪は今や高度に組織化されていて、被害額も膨大なものだ。

Crypt Crime Report によると、ネット犯罪の世界全体での被害額は年間140億ドルにも及び、その半数近くをネット詐欺(ロマンス詐欺豚の屠殺詐欺など)が占める。

 ミャンマーを中心とする東南アジアの「工場」は、年間数十億ドルを稼ぎだす拠点とみられる。

1日17時間労働で無休・無給

 ただし、ネット詐欺工場でデバイスの前に座って黙々と働く「労働者」をただの犯罪者とみることもできない。そのほとんどは高給をうたった架空の仕事などに応募して、そのまま拉致され、強制的に働かされているからだ。

 世界的な景気後退で、有利な条件の仕事を求めて国境を越える人は増えており、その心理を利用されているといえる。

 つまり、ネット詐欺工場はそのまま人身取引の拠点でもあるのだ。

 ミャンマー軍事政権は昨年10月、「200人の外国人を救出した」と発表した。

 しかし、これは氷山の一角にすぎず、ネット詐欺工場に違法に連れ込まれたのは10万人以上とも推計されている。

 解放された被害者のなかには東南アジア各国だけでなく、中国や台湾、さらにはアフリカや中南米などの出身者も含まれる。そのほとんどはエンジニアや専門家ではなく、リクルートされる条件は英語あるいは中国語が話せる、PCの基本操作ができる、といった最低限のものだけのようだ。

 ミャンマーにある「工場」の一つ、通称「KKパーク」から救出された被害者はドイツ公共放送のインタビューに対して、

・「1日17時間労働が当たり前で、休暇はない」

・「約束された給料が支払われないどころか、持ち物全てを奪われた」

・「逃げ出そうとしたり、抵抗したりすると、下手をすれば殺される」

無法地帯に生まれた工業団地

 なぜこうしたネット詐欺「工場」が東南アジア、とりわけタイとの国境に近いミャンマーのシャン州やカイン州などに集中してあるのか。

 一言でいえば、ミャンマーのこの一帯が無法地帯になっているからだ。

 もともとシャン州などではミャンマーの現体制に抵抗する少数民族の武装活動があったが、これに拍車をかけたのが2021年2月のクーデタだ。これをきっかけに反政府勢力の武装活動がそれまで以上に活発化し、内乱は全土に広がった

 戦闘の激化により、ネット詐欺や人身取引の大がかりな拠点があっても、ミャンマーの治安機関が踏み込むことは難しい(戦闘の激しい土地が組織犯罪の温床になるのはウクライナイエメンでも同じ)。

 ネット詐欺工場に捕らえられた被害者は、ありもしない高級の仕事に釣られてタイの首都バンコクに呼び出され、そこから車に閉じ込められて密林地帯の国境を超えてミャンマー領内にまで移動することが多いとみられている。

暗躍する中国人マフィア

 ところで、紛争地帯を舞台にしたネット詐欺工場には中国人マフィアの関与が指摘されている。

 昨年11月に英ロイター通信は、全世界でネット詐欺の被害者が騙し取られた資金のうち、9,000万ドルがタイを拠点にする中国人実業家Wang Yi Cheng氏の口座に振り込まれていたと報じた。

 そのなかには、先述のKKパークからのものが多く含まれていた。

 Wang氏はバンコクにある商社「タイ・アジア経済交流協会」の副社長で、タイの政財界にも幅広い人脈をもち、タイ警察のサイバー犯罪対策室立ち上げにもかかわった。

 こうした報道に関して、ミャンマーやタイの当局、そして米FBI(被害者には多くのアメリカ人も含まれる)などは、今のところ公式に反応していない。

巨大ネットワークの影

 ただし、Wang氏は大きなネットワークの一部にすぎない公算が高い。

 Wang氏が副社長だったタイ・アジア経済交流協会は、昨年までバンコクにあるオフィスビルを「海外鴻門文化交流センター」と共用していた。

 その実質的な所有者は、中国最大の組織犯罪の首魁としてアメリカ政府から制裁の対象になっているWan Kuok Koiである。そのため海外鴻門文化交流センターは昨年2月、タイ当局に摘発を受け、その後解体された。

 アメリカにある平和研究所 で組織犯罪に関する調査・研究を統括するジェイソン・タワー博士は「Wanは公式には中国政府と全く関係ないが、‘一帯一路’構想に沿ってビジネスを展開している」と指摘する。

 そのフロント企業である海外鴻門文化交流センターは、KKパークなどネット詐欺工場の運営主体だったとみられていて、たとえこれが解体されても次のフロント企業が立ち上げられる公算が高い。

 ミャンマーは中国がインド洋に抜けるルート上にあり、‘一帯一路’構想のなかでも重要な位置を占める。

日本人の資産流出の懸念

 日本語は世界的にみて特殊な言語であるため、これまで日本では外国の詐欺集団による被害が限定的だったが、AIの発達によりこの言葉の壁は一気に低下した。

 いわゆるフェイクニュースだけでなく、詐欺に関しても、日本を取り巻く環境はより厳しさを増しているとみた方がいいだろう。

 東南アジアの密林地帯で今も「操業」を続けるネット詐欺工場は、被害者の人権問題であるだけでなく、日本人の資産を脅かしかねない問題でもあるのだ。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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