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若い女性の写真とAIで偽情報拡散――スパイ企業の手口‘SNSハニートラップ’とは

六辻彰二国際政治学者
若い女性のアイコン(イメージ)(写真:イメージマート)
  • フェイクニュースを意図的に拡散させるビジネスを行う企業の実態が、潜入取材で明らかになった。
  • この企業はスパイ出身者が多く、これまでに世界33カ国の大統領選挙に関わったといわれる。
  • その活動には、SNSで集めた写真で架空の人物をでっちあげ、「顧客」に有利な偽情報をAIによって発信することも含まれる。

 いまや当たり前になったスマホ、SNS、AIだが、これらを駆使したフェイクニュース拡散をビジネスにする「スパイ企業」の暗躍も確認されている。

「スパイあがり」の起業家

 一般的にフェイクニュースと呼ばれるものは、事実でない情報の意図的な発信(偽情報、disinformation)と誤解などに基づく意図しない発信(誤情報、misinformation)の二つに大きく分類される。

【資料】トルコのチャナッカレにある、「トロイの木馬」を再現したオブジェ。ギリシャ神話に登場する「トロイの木馬」伝説は、戦争で偽情報が重要な役割を果たした古典的な事例だ。
【資料】トルコのチャナッカレにある、「トロイの木馬」を再現したオブジェ。ギリシャ神話に登場する「トロイの木馬」伝説は、戦争で偽情報が重要な役割を果たした古典的な事例だ。写真:イメージマート

 このうち偽情報は政治的目的や利益を念頭に置いたもので、誤情報(いわゆるデマもこれに当たる)より悪質といえるが、ギリシャ神話の「トロイの木馬」伝説にあるように、偽情報の発信は有史以来、戦争につきものでもある。

 この偽情報をビジネスとして世界中で発信しているとみられる企業が2月、フランスとイスラエルの3人のジャーナリストの潜入取材で明らかになった。記者らが顧客を装ってアプローチしたのはイスラエルに拠点をもつ「チーム・ホルへ」と呼ばれるグループだった。

 代表者ホルヘ氏が顧客のふりをした潜入記者らに語ったことの要点をまとめると、

・顧客の依頼を受け、その国のSNSやメディアを通じた偽情報の発信で世論を誘導してきた

・メンバーの多くがイスラエル諜報機関や軍の出身者である

・これまで世界33カ国の大統領選挙に関わり、そのうち27カ所で「成功」した

・ビジネス対象にしていないのはアメリカ、ロシア、イスラエルだけ

「選挙干渉だと8億円以上」

 イスラエルはアラブ、イスラーム諸国と長年対立してきた歴史から諜報戦に定評がある。その経験から、近年では軍や諜報機関の出身者によって設立された、サイバーテロ対策を得意とする民間企業も多く、そのなかには日本の企業、大学と連携しているものもある。

 その一方で、イスラエルは偽情報輸出国としての顔もあるといえる。

 潜入取材の結果が報道されて以来、チーム・ホルヘには各国メディアの取材が殺到したが、そのうち英Guardianに対してホルへ幹部は「選挙干渉の料金は600万ユーロから1500万ユーロ(8億6000万円〜21億6000万円)」と述べた。

 そのうえで「法に触れることはしていない」とも強調している。

 各国ごとの法令の範囲内なのか、そうでないかの法律論はさておき、チーム・ホルへの「ビジネス」がかなり際どいものであることは確かだ。

SNS上のプチ・ハニートラップ

 チーム・ホルヘの活動には、「顧客」に有利な世論を形成するため、一般市民に直接アプローチすることが含まれる。

 潜入取材に対してホルへ幹部は、独自に開発したボットシステムにより、3万以上のアバターをSNSに投入して発信できると認めた。

 要するに、自動化されたボットをターゲットの国にばら撒き、「顧客」の利益になるような、あるいは「顧客」の政敵にダメージを与えるような偽情報をSNSなどで繰り返し発信させるのだ。

 2016年アメリカ大統領選挙では膨大なフェイスニュースが拡散したが、これまでの調査では、数多くの若者が「アルバイト」として偽情報をひたすら入力する、いわば人海戦術だったとみられている(日本の闇バイトとほぼ同じ)。

 チーム・ホルヘはこれには関与していないと主張しているが、その真偽はさておき、少なくとも現在の手法は2016年より格段に高度化しているといえる。

 潜入取材した記者は、アバターにどうやって架空のプロフィールや顔写真を与えるかのデモンストレーションもみることになった。

 その際、ホルヘの幹部は「ソフィア・ワイルド(Sophia Wilde)」という名の若い白人女性のアイコンをみせ、「彼女はイギリス人だ。メールアドレスも、誕生日も、全てある」と説明した。後日、潜入記者はその写真をロシアのSNSで発見したという。

自撮りする若い女性(イメージ)。チーム・ホルヘへの潜入取材は、顔写真をSNSなどにアップする場合、意図しない利用をされるリスクを改めて浮き彫りにした。
自撮りする若い女性(イメージ)。チーム・ホルヘへの潜入取材は、顔写真をSNSなどにアップする場合、意図しない利用をされるリスクを改めて浮き彫りにした。写真:アフロ

 つまり、本人の知らないところで、顔写真が偽情報を拡散させるボットの顔として利用されているのだ。

 SNSなどで集めた写真、特に若い女性の写真を(もちろん無断で)諜報活動で用いるのは、現代のスパイ企業ではポピュラーな手段といえる。

 例えば、中東カタールで開催されたFIFAワールド杯の招致で大規模な買収があった疑惑では、米中央情報局(CIA)出身者が設立した「リスクマネジメント企業」の関与が指摘されている。同社は開催地決定に影響力をもつFIFA幹部の動向を知るため、若い女性の写真を用いたフェイクアカウントをFacebookに作り、コンタクトをとっていたことが判明している。

FIFAワールド杯カタール大会の開会式(2022.11.20)。招致活動では大規模な買収があったといわれるが、ここにもスパイ企業の関与が指摘されている。
FIFAワールド杯カタール大会の開会式(2022.11.20)。招致活動では大規模な買収があったといわれるが、ここにもスパイ企業の関与が指摘されている。写真:ロイター/アフロ

 手法は異なるが、これもSNS上のプチ・ハニートラップという意味では同じだ。

政治家やマスコミもターゲット

 チーム・ホルへに話を戻すと、その活動はSNSハニートラップにとどまらない。潜入取材に対してホルへ幹部は「選挙期間に通信障害を起こせる」と述べている。

 実際、西アフリカのナイジェリアで2015年に行われた大統領選挙で、チーム・ホルへは当時のジョナサン大統領の陣営に雇われていたが、野党陣営の選挙対策責任者は携帯電話がしばしば通話もメール送信も不能になったと証言している。

 さらに、その「ビジネス」にはメディアの論調の操作もあると懸念されている。

 チーム・ホルへの名が表面化した2月、フランスのテレビ局BFMは人気アンカー、ラシッド・ムバルキ氏との契約を打ち切った。ムバルキ氏がチーム・ホルヘと結びつき、BFMの方針や台本にない偽情報をしばしば発信したことが理由だった。

 例えば、ムバルキ氏は番組内で西サハラを「モロッコの西サハラ」と表現していた。

 アフリカ大陸北西部にある西サハラは、モロッコが領有権を主張して実効支配しているが、現地のサフラウィ人は「サハラ・アラブ民主共和国」として独立を宣言しており、周辺のアフリカ諸国もこれを認めている。

 係争中の土地に関して、一方の当事者の言い分を注釈なしに用いることはBFMのガイドラインに反するもので、「ロシアが併合を主張しているクリミア半島」といわずに「ロシアのクリミア半島」というようなものだ。

 ムバルキ氏はチーム・ホルへからの金銭受け取りモロッコ政府からの働きかけを否定しているが、BFMのチェックを受けていない情報の発信は認めている。

AI発達で懸念されるリスク

 日本に目を向けると、東日本大震災やコロナ禍で誤情報は多くみられたが、フェイクニュースが2016年大統領選挙の結果を左右したといわれるアメリカなどと比べれば、政治に関する偽情報の組織的拡散は目立たない。

 とはいえ、2018年の沖縄県知事選挙玉城候補(現知事)に関する偽情報を拡散するサイトが登場したように、日本でも皆無というわけではない。

 チーム・ホルへなどスパイ企業が日本をマーケットにしているかは不明だ。しかし、仮にアプローチしようとしても、日本語は世界的にみて特殊な言語で、英語のメッセージを日常的にやり取りする人も多くない。そのため、少なくともSNSでの偽情報発信に関しては、障壁が高かったとみられる。

バイデン大統領も出席した科学技術諮問委員会(2023.4.4)。ここではAIの安全性などが議論された。アメリカでは官民あげてAI開発が進められる一方、そのリスクについても懸念が浮上している。
バイデン大統領も出席した科学技術諮問委員会(2023.4.4)。ここではAIの安全性などが議論された。アメリカでは官民あげてAI開発が進められる一方、そのリスクについても懸念が浮上している。写真:ロイター/アフロ

 ところが、こうしたハードルを一気に引き下げかねないのがAIの発達だ

 AI開発レースを冷戦期の宇宙開発レースと比べると、どちらも軍拡レースの一環といえるが、多くの人がイノベーションの成果を利用できるかに違いがある。

 欧米ではAIによるフェイクニュース発信への懸念がロシアや中国を念頭に語られる傾向が強いが、「顧客」の利益のために活動するスパイ企業も基本的には同じだ。

デジタルネットワークテクノロジー(イメージ)。AIの進歩は利便性を高める一方、リスクも抱えている。最先端技術を駆使するスパイ企業がAIを利用すれば、これまで以上に偽情報が拡散する恐れもある。
デジタルネットワークテクノロジー(イメージ)。AIの進歩は利便性を高める一方、リスクも抱えている。最先端技術を駆使するスパイ企業がAIを利用すれば、これまで以上に偽情報が拡散する恐れもある。提供:イメージマート

 チーム・ホルへなどスパイ企業は先端テクノロジーを駆使しており、目覚ましい進歩を遂げる同時翻訳機能などAIの発達は、ボットによる偽情報発信をさらに高度化させかねない

スマホ画面の向こうの「戦場」

 しかし、この面で日本の備えは心許ない。

 日本政府は昨年末に発表した防衛力整備計画のなかで、「サイバー領域における能力向上」を打ち出しが、今年度の防衛省予算で比べれば、敵基地攻撃能力を備えたいわゆるスタンド・オフ防衛能力に1兆4000億円が配分されるのに対してサイバー関連は2000億円と、予算規模には大きな差がある。

 外務省でも、日本人を対象に外国からくる偽情報の収集・特定を今年度からAIを用いて始めているが、まだ始まったばかりだ。

 防衛力強化の問題が「増税」一色に塗り替えられた責任の一端は、防衛費引き上げの方針をあまりに唐突に表明した政府にもある。とはいえ、増税は筆者自身もありがたくないが、「増税」によって防衛力強化に関する議論が見えにくくなるのも問題だろう。

 日本は今のところミサイルの直撃を受けていないとしても、スマホ画面の向こうには火の手の上がらない「戦場」がすでに広がっているのだから。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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