忘れられた人道危機――市街地を焼き払うミャンマー軍の焦土作戦とは
- ミャンマーでは2021年から内戦が激化していて、軍事政権は反対派の市民を意図的に攻撃しているとみられる。
- 市街地を標的にした攻撃は昨年だけで2703件に及び、これはウクライナに近い水準にある。
- 自国の一部を焼き払うようなミャンマー軍の焦土作戦は、外部からの支援によって加速している。
ミャンマーの内戦は世界からほとんど忘れられているが、市民を狙った攻撃の発生件数ではウクライナと大差ないレベルにある。
市民を狙った執拗な攻撃
アル・ジャズイーラは5月12日、ミャンマー中部コネ・ヤワール村周辺の航空写真を掲載した。2020年11月と2023年3月を比較すると、あったはずの住居や農耕地がなくなったり、焼かれたりしたあとがよく分かる(写真はこちら)。
アル・ジャズイーラの取材に応じた村民は「2月末に政府軍の兵士がきて、1000人いた村人はほとんど殺された」「600軒ほどあった家屋はほとんど破壊された」と証言している。
こうした市民の居住地を狙った徹底的な破壊はミャンマー各地で発生している。中部サガイン州では4月上旬、ロシア製軍用ヘリMi-35の機関銃掃射で50人以上が殺害された。
アメリカのシンクタンクACLED(Armed Conflict Location & Event Data)によると、ミャンマーでは2022年だけで、市民を標的にした「政治的暴力」が2703件発生した。ちなみに、ウクライナでは2993件だった。
これに対して2022年の民間人の犠牲者数には大きな差があり、ウクライナでは4849人、ミャンマーでは2733人だった。
この差はロシア軍の兵器の破壊力の大きさを示すものだが、ミャンマーでは一回あたりの犠牲者がウクライナより少ないとはいえ、市民を標的にした攻撃が執拗に発生していることがうかがえる。
クーデタから内戦へ
「忘れられた人道危機」ミャンマー内戦のきっかけは、2021年2月のクーデタだった。軍が蜂起し、アウン・サン・スー・チー率いる政権が打倒されたのだ。
2020年11月の選挙で発足したばかりだった新政権は、国政に大きな影響力をもつ軍の改革を行うとみられていた。これは軍に、既得権が脅かされるという危機感を招いていたのである。
クーデタで実権を掌握した軍は非常事態を宣言して憲法を停止し、スー・チーら政府要人の多くを逮捕したうえ、根拠の疑わしい容疑で裁判にかけて投獄した。
これに対して、抗議デモが各地で発生した。コロナ感染拡大をきっかけに生活苦が広がっていたことが、これに拍車をかけた。
軍事政権が抗議デモも力づくで弾圧するようになった結果、武装闘争を選択する者も現れた。クーデタの約半年後の2021年9月、スー・チーと民主化を支持する勢力の連合体、国民統一政府(NUG)は軍事政権への反抗を全土に呼びかけた。
これに呼応したのが、もともとミャンマー軍と対決してきた少数民族の武装組織だった。
ミャンマーでは1980年代以来、少数民族を居住地から追い払い、人口の6割以上を占めるビルマ人を移住させる「ビルマ化政策」がエスカレートした。これに対抗する少数民族の武装組織が林立し、各地で軍との衝突を繰り返してきたのだ。
こうしてNUGといくつもの少数民族の武装組織がミャンマー軍と争う構図ができた。NUG配下の人民防衛軍(PDF)の一部は、戦闘経験が豊富な少数民族の武装組織に軍事訓練を受けているといわれる。
「四断戦略」の特異性
こうして2021年から広がった軍事衝突のなか、ミャンマー軍はNUGや少数民族の武装組織を社会的に孤立させるため、その支持基盤になりかねない者に恐怖心を植え付ける戦術をエスカレートさせてきた。
冒頭で紹介したコネ・ヤワール村をはじめ、ミャンマー軍の焦土作戦が展開されているのは、その多くがクーデタ反対のデモが発生した地域だ。
また、北部では2021年以降、キリスト教会が兵士に放火され、聖職者が殺害されたうえ指が切り落とされて結婚指輪まで略奪される事案まで発生している。この地に多く暮らす少数民族カチン人のほとんどはキリスト教徒で、仏教徒中心のミャンマー軍・政府ととりわけ長く敵対してきた。
市民に対するミャンマー軍の残虐行為は武装組織を支持させないことを目的にしたもので、四断戦術(four cut)と呼ばれる。つまり、情報、資金、食糧、補充兵の四つを武装組織から奪い取る、ということだ
正規軍が神出鬼没のゲリラ戦を展開する武装組織に手を焼き、その支持基盤となる農村などを焼き討ちすることは、冷戦時代からしばしば発生してきた。アメリカ主導のベトナム戦争は、その象徴だった。
冷戦終結後、とりわけこの手法が目立つのはロシア軍だ。
1990年代にロシア南部カフカス地方の独立を求めたチェチェン人勢力に対して、ロシア軍は戦闘機や燃料気化爆弾まで投入して掃討作戦を展開した。反体制派の拠点となっていた中心都市グロズヌイは瓦礫の山になり、国連は2003年に「世界で最も破壊された都市」と呼んだほどだった。
国内の勢力を相手に、自らの国土の一部を灰にすることも厭わないミャンマー軍の四断戦術は、これに近いものといえる。
火に薪をくべる者
5月上旬に開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)の会合でインドネシア代表は、ミャンマー情勢が「分岐点にある」と表現した。
ミャンマーも加盟国であるうえ、ASEANはもともとメンバー国の内政に踏み込まない傾向が強い。しかし、難民増加などに豪を煮やしたインドネシアやシンガポールは、より強いコミットメントを模索している。
さらに、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、ミャンマー軍の責任者の戦争犯罪を国際刑事裁判所(ICC)で追及することを主張している。
しかし、アメリカをはじめ欧米各国はミャンマー向け航空燃料の輸出停止などの追加阻止ちをとったものの、反応は総じて鈍い。
その間にもミャンマー軍は軍備を増強している。国連特別代表は5月初旬、昨年ミャンマー軍が10億ドル相当の兵器を購入していたと報告した。
このうち約4億ドルはロシアからで、軽攻撃機Yak-130なども含まれていた。ミャンマー軍による空爆は、こうしたロシア製機材によって可能になっている。
これに中国とシンガポール(いずれも約2億4500万ドル)、インド(5100万ドル)、タイ(2800万ドル)などが続いた。
軍事援助だけでなく、巨大なインフラ建設など民生援助も軍事政権を支えている。とりわけ戦闘が激しい地域の一つが、バングラデシュとの国境に隣接する西部ラカイン州だが、ここでは中国とインドがそれぞれ巨大な港湾整備事業を行っている。
「一帯一路」構想においてミャンマーは中国南西部からインド洋に直接抜けるルート上にある。そのため7億ドル以上をかけてチャウピュー港を整備し、これと中国をつなぐ鉄道、道路、パイプラインなどを建設中である。
一方、インドもラカイン州シットウェで4億ドル以上の規模の港湾整備プロジェクトを進めている。ミャンマーはインド北東部から海洋に抜ける道筋であり、インドにとっても戦略上の要衝だ。そのため、中国が整備する港から100kmほどしか離れていないシットウェで、インドの巨大プロジェクトが進行中なのである。
こうした投資でミャンマーの景気が多少回復しても、むしろ軍事政権に「国土の一部を焦土にしてもトータルでプラス」と判断させやすい。言い換えると、外部の民生資金もまた「忘れられた人道危機」をあおる結果になっているのである。