無理に夢や希望を持つ必要はない、正解なんて出なくていい――恐山の禅僧が語る、「人生の重荷」との向き合い方 #今つらいあなたへ
今、南は、世の中に強くて速い流れのようなものを感じる、と言う。 「老いも若きも、みんなが方向性の決まった強い流れに、流されて茫然としている感じがあるんですよ。ポジティブにならねば、とか、なんでも自分で解決しなければ、とか、そういう流れに乗らないと生きていけないというような強迫観念がある。私は、このまま流れていくのは危険だと思いますね。どこかでフックをかける、自分は本当は何をしたいのか、何をすべきなのか考えたほうがいい。人や自分のありようというものを、ちょっと冷めた目で見る余裕がないといけないと思います。だいたい、大きい問題を自分で解決できるなんて思わないほうがいいですよ。正解があるという考え方自体を解除する。正解なんて出なくていい。折り合い切れない時は、受け流せばいい。そういう営みを続けていれば、必ずわかってくれる人も出てくる。少なくとも、孤独ではない。自分は一人ではないとわかることが、救済です。それがあれば、人は生きられると思います」 これはたぶん、思い当たる人はたくさんいるのではないか、と前置きをしながら、南は続けた。
「だいたい、自己責任でできるような決断にはね、大したことは、一つもないです。そうでしょう。頭の中で解決できる話は所詮、些事しかない。決定的な判断をせざるを得ないときには、違う力が働きます。自分とは別の、力。するのではなく、むしろ、決定させられる」 違う力とは、何か。 運命……? 「わかりません。われわれはそれを、『縁』といいます」 ____ 南直哉(みなみ・じきさい) 1958年、長野県生まれ。禅僧。恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部を卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年、曹洞宗で出家得度。曹洞宗大本山永平寺での修行生活を経て、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』で小林秀雄賞受賞。著書に『老師と少年』『恐山 死者のいる場所』『正法眼蔵 全 新講』ほか。近著に『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮社)。