存在を消したい過去を乗り越えて──サッカー元日本代表DF酒井高徳が打ち明ける心の傷 #今つらいあなたへ
「広く開かれた大会」というスローガンのもとに、パリ・オリンピックが開催中。近年は、海外にルーツを持つ選手がさまざまな競技で日本代表として活躍している。日本とドイツにルーツを持ち、J1ヴィッセル神戸でプレーする酒井高徳(33)は、2012年ロンドン・オリンピックに出場した。彼は新潟で育った幼少時代、周りとは違う外見にコンプレックスを抱えた過去を持つ。「できれば存在を消したいくらいに思ってきたくらい」とも打ち明ける。傷つきながらもいかにして乗り越えることができたのか──。(取材・文:二宮寿朗/撮影:宗石佳子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
心を閉ざした幼少時代
酒井高徳は、ほとばしる情熱をプレーに込める人だ。 チームの勝利のために率先して走り抜き、戦い抜く。その姿は誰にも“沸点”が伝わるほどである。昨年はヴィッセル神戸のJ1初制覇に大いに貢献し、今年も2連覇に向けて悪くない位置につけている。現在は右足薬指の骨折の影響で、離脱を余儀なくされているが、背番号24の存在は欠かせない。 自分を出すことでチームのポテンシャルを引き出す。そうやってドイツで8年間プレーし、ハンブルガーSVではキャプテンとして引っ張った。 しかしながら幼少時代はまったく逆だった。日本人の父とドイツ人の母のもとに生まれ、髪の色、目の色が周りの子どもたちと違うことに強いコンプレックスを抱き、自分の心を閉ざした。 酒井はニューヨークに生まれ、父の故郷である新潟・三条市で育った。幼稚園のころ、周りの何げない一言によって、外見が人と違っていることを意識するようになったという。 「子どもにある悪意のない疑問っていうんですかね。自分が人と違う容姿に見えるんだって思わされるようなことを言われた記憶がうっすらと残っています。別にいじめとか、そういうことではなくて」
心が疲弊して学校を休んだ
人と外見が違うことに、小さな子どもの心は激しく動揺した。洗面所で鏡に映る自分の顔を眺めたという。人に見られたくない、目立ちたくない。そんな感情が膨らんでいく。誰かと一緒に遊んでも、どこか壁をつくっていた。小学生になると、その壁がもっと分厚くなった。 「振り返ってみても、かなりシャイでしたね。自分を見ているな、何を思われているんだろうなって、常に感じていたような気がします。だから学校も嫌でしたよ。今は子どもの気持ちが尊重される時代になってきましたけど、昔は絶対に行かなきゃいけないものだったじゃないですか。はっきり、友達だといえる子もいなかった。友達って呼べる線引きって、いったいどこなんですかね」 苦笑いに心の傷痕がのぞく。自分の壁を崩さない以上、心を許せてはいない。傷つかないための精いっぱいの自己防衛だった。 心が疲弊すると「頭が痛い」などと言って学校を休んだことはあった。それでも長引かせることなく、翌日には学校に向かった。男ばかりの4兄弟の次男で、一番下の弟は5つ下でまだ幼い。子どもながらに親に迷惑をかけたくないという思いが「無意識的にあったのかもしれない」。心に渦巻くコンプレックスを親、兄弟に相談したことは一度もなかった。