無理に夢や希望を持つ必要はない、正解なんて出なくていい――恐山の禅僧が語る、「人生の重荷」との向き合い方 #今つらいあなたへ
SNSは「対話」ではない
SNSの時代だ。若者はいつでも、誰にともなく、自分の思いを語ることができているのではないか。現にネットには、自らの悲しみ、苦しみ、また他人への意見まで、赤裸々な言葉であふれている。 「言葉っていうのは、対話でしか成り立たないんです。相手が何を考えているのか、自分の言葉が通じているのか。やりとりの中で問題が明確になり、気づきがあるんです。SNSの問題は、思いを一方的に『吐くだけ』だということ。そこにフィードバックはない。これは麻薬のようなものです。吐き出す言葉の強度を上げていかないと、実感が湧かなくなっていく。こんなことを続けていると、感情は疲弊していく一方です。いやいやSNSにもコミュニケーションはある、対話している、と主張する人もいるかもしれない。しかし所詮は、誰だかわからない相手とのやりとりです。相手の本当の性別だって年齢だってわからない。これは言葉のキャッチボールとは言えない。壁に向かって球を投げているのと一緒です。『いいね』だって、反応じゃないんですよ。『あなたの話は商売になりますね』という意味に近い。対話ではないんです」
「つらいなら、つらいと言えばいい。言葉を失っていく人たちを見るのは、とても切ない。対話ができない若者たちは、地位や名誉にも興味を示さない。かつての日本人が抱いていた夢や希望のようなものに疑いを抱いているから、意欲は失われるばかりです。こんなふうになってしまったのは、なぜかと考えてみると、やはり日本の社会に余裕がなくなったからだと思いますね。バブル以降、人口は持続的に縮小し、経済も低迷し続けていますが、日本という国は、こんな状況を経験したことがなかった。だから立ち位置に迷うわけです。そうすると、過剰に失敗を恐れる。集団においては、他人の評価を恐れるようになる。自己防衛からネガティブなものを出さなくなっていく。しかし、ネガティブこそが人間の基礎です。これを無視すれば、存在自体が揺らぐのは当たり前だと思いますね」