「私は変われた」休養から5年、消えた元賞金女王・森田理香子が明かす今の心境 #今つらいあなたへ
2013年、23歳で初の賞金女王に輝き、当時の女子ゴルフ界の顔だった森田理香子(33)。14年に1勝を挙げるも、その後、成績不振に陥り、18年シーズンを最後に「休養」を宣言。第一線を退いた。“イップス”や“事実上の引退”とも報じられてからは、公の場に姿を現さなかった。あれから5年が経ち、今年から本格的に活動を再開させている森田の心境の変化に迫った。(取材・文:金明昱/撮影:倉増崇史/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
メンタルに限界、突然の休養宣言
「私、やめさせてくれって、泣きながら言ったんです。休養させてくれって」 森田理香子は両親の前で泣きじゃくった。親の前で面と向かって「やめたい」と言ったのは初めてのことだった。 「お母さんは分かってくれていたけれど、お父さんは『もっとできるんじゃないか』って。だから私が『試合見たやろ。あれでもっとできると思う?』って言ったら、黙ってしまって……。私もつらかったですが、親も大変やったと思います。あの日のことは今でも忘れません」 2018年6月の国内女子ゴルフツアー「ニチレイレディス」に推薦出場した森田の表情は妙に晴れ晴れとしていた。 「このときはまだ『休養宣言』してなかったのですが、この試合が最後ってもう決めていたんです。親にもちゃんと伝えて、最後はお兄ちゃんにキャディーをしてもらおうって」 当時はこの試合が森田のラストマッチになるとは、誰も知る由もない。休養が発表されたのは18年10月末。翌シーズンの出場権をかけた予選会を辞退し、師匠の岡本綾子にも第一線から退くことを手紙で報告した。28歳という若さでの休養は突然の出来事のようにも映ったが、16年にシードを落としてから約3年の成績不振で、森田のメンタルは限界に達していた。
京都学園高校ゴルフ部時代はナショナルチームにも選出され、数々の国際大会で入賞し、エリート街道をひた走ってきた。プロ入り後、09年から賞金シードを獲得し、豊富な練習量とドライバーの飛距離を武器にメキメキと力をつけた。ハイライトは横峯さくらとのデッドヒートを制し、23歳にして関西出身では初の賞金女王となった13年。一気にスターへの階段を駆け上がったが、14年の1勝を最後に、“森田理香子”の名をリーダーボードで見る日は、年を重ねるごとになくなっていった。 「うまくなりたいからもがいてたけれど、頭がいっぱいいっぱいになって、考えられへんようになったというか、精神的におかしくなりそうやった。『もうこれ以上続けさせたら、こいつヤバいな』っていう顔をしてたとも思うんです」 トッププロの突然の成績不振。その理由はアプローチイップスにあった。ゴルフにおけるイップスとは、それまでスムーズにできていた動作が緊張などによって思い通りにできなくなる運動障害のことをいう。 「当時は自分がイップスっていうのを認めたくなかったし、かわいそうな人と思われたくなかった。人の目をめっちゃ気にして生きてましたね。プライドが高かったんです。自分が打てないのが許されへんかった。なんでこんなんなったんやろって。賞金女王らしい立ち振る舞いをするように言われてきたのですが、それもすごくきつかった。もう一回、賞金女王になりたいって気持ちのないまま、一日一日を生きている感じでした」