Yahoo!ニュース

建築家・山本理顕がプリツカー賞受賞祝いを「名古屋造形大学」の学生から受けた深い意味

関口威人ジャーナリスト
学生から受け取った花束を手にスピーチする山本理顕=11月20日、筆者撮影

 「建築界のノーベル賞」とされるプリツカー賞を今年3月に受賞した建築家・山本理顕を祝う会が11月20日、名古屋市北区の名城公園内で開かれた。

 主催したのは山本が2022年まで学長を務めた名古屋造形大学の学生有志。山本は大学を運営する学校法人・同朋学園(名古屋市中村区)の前理事長らとの対立で学長職や教授職を実質解任させられた立場だが、「山本先生に教えてもらいたい」という学生らの思いで、ささやかな会が設けられた。(文中敬称略)

学生5人が横浜の事務所を訪ねて企画を提案

 山本と大学側との関係については、筆者が以下の2本の記事でまとめているので参考にしていただきたい。

・建築家・山本理顕が大学の学長を辞めさせられ、裁判に訴え、設計料を取り戻し、また復帰しようとするまで(2024年2月10日)

・「建築のノーベル賞」受賞した山本理顕が、いまだに名古屋造形大の学長に復帰できない「もったいなさ」(2024年3月30日)

 山本は2018年4月の学長就任にあわせ、それまで9つの「コース」だった学部を5つの「領域」に再編した。

 今回、会を中心になって企画したのは、5領域のうちで住環境や建築デザインを学ぶ「地域社会圏領域(今年度から地域建築領域)」に所属する2年生の5人だ。

 山本が設計し、22年4月に開学した新キャンパス(名城公園キャンパス)に通うが、山本はすでに学長職や教授職を解かれてキャンパス内への立ち入りも拒まれており、5人は直接山本から指導された経験はない。

 しかし、「プリツカー賞を受けた建築家が自分たちの大学に関わっていたのは貴重なこと。せめて受賞をお祝いしたい」と5人は今年8月、横浜市の山本の事務所を訪ねて祝賀会の企画を提案した。

 山本は快諾したが、学生が大学側に相談したところ、キャンパス内での開催は認めてもらえなかった。企画を練り直し、キャンパス向かいの市営公園広場を利用することにし、多忙な山本とスケジュールの調整もついたのは開催の約1週間前。そこから慌ただしく運営の準備や告知を進め、当日を迎えた。

会場は大学キャンパス向かいの公園広場を利用

会場となった名古屋城に隣接する名城公園内の広場。右手に山本が手掛けた名古屋造形大のキャンパス、左手には隈研吾がデザインに関わった愛知県新体育館(IGアリーナ)の工事現場がある=11月20日、筆者撮影
会場となった名古屋城に隣接する名城公園内の広場。右手に山本が手掛けた名古屋造形大のキャンパス、左手には隈研吾がデザインに関わった愛知県新体育館(IGアリーナ)の工事現場がある=11月20日、筆者撮影

 企画は学生向けとしたが、一般も参加可能とした。他大学の学生や社会人ら50人ほどが集まり、人工芝のマットの上にクッションが並ぶリラックスした雰囲気の中で会が始まった。

 有志のコアメンバーから花束が渡されると、山本は「いろんなところで祝賀会を開いてもらったが、この名古屋造形大の学生からお祝いされるのは本当にうれしい」と顔をほころばせた。

 その上で裁判に至る経緯や結果などにも触れ、「和解はしたが、いまだに学長には戻れず、自分で設計した建物にも入らせてもらえない」と述べた。

 ちょうど背後にキャンパスが見える形になったため、設計の意図や構造上の工夫などを、実際のキャンパスを指し示しながら説明。学生たちは興味深そうな表情で聞き入っていた。

自身の設計した名古屋造形大のキャンパスを背に、学生からプリツカー賞受賞祝いの花束を受け取る山本理顕=11月20日、筆者撮影
自身の設計した名古屋造形大のキャンパスを背に、学生からプリツカー賞受賞祝いの花束を受け取る山本理顕=11月20日、筆者撮影

「建築と社会」考えてデザインをとアドバイス

 さらに、自身のこれまでの建築に対する考え方や、プリツカー賞の審査員らが手掛ける建築の背景にある社会問題などについて映像とともに紹介。「建築は社会の中でつくられるもの。社会や市民のことをよく考えてデザインしてほしい」とアドバイスした。

 そして「必ずこの大学に戻ってきたい」とし、まずは他大学との共通のゼミを山本が関わりながら始めることを提案。学生たちも呼応して、それぞれの担当教員らと相談することを約束した。

 有志の学生の一人は、「イベントとしてはなかなか順調に進まなかったけれど、なんとか形にできてうれしい。自分たちの行動に対して自信を持てた」と話していた。

日が暮れてからも学生たちと話し込む山本理顕。直近ではベネズエラやインドネシアを講演などで回り、この日は日帰りで名古屋にやって来た=11月20日、筆者撮影
日が暮れてからも学生たちと話し込む山本理顕。直近ではベネズエラやインドネシアを講演などで回り、この日は日帰りで名古屋にやって来た=11月20日、筆者撮影

大学側は「学長復帰はあり得ない」と強調

 この会について大学側に事実関係や受け止めを確認すると、現学長兼学園理事長の伊藤豊嗣が取材に応じた。

 伊藤は山本の立場について、「裁判の和解で懲戒(停職や学園施設への立ち入り禁止)処分は撤回したが、処分中に4年間の学長任期は終わっており、山本氏が(和解を受けて)学長に復帰することはあり得ない」との考えを示した。

 和解以降も裁判の内容などについて山本が一方的に発信をしており、信頼関係が築けないとして「単発の講演会なども大学として受け入れることはできない」という。

 キャンパスへの立ち入りについては「プリツカー賞受賞後に審査員を連れて来られた際は見学を認めているが、それはあくまで一般の人の見学と同じ扱いで判断した」。

 その上で、今回の会を企画した学生には学長自らが相談にのり、「山本氏に関わる内容のものを学内でやることは認められない」と伝えたという。

 「学生の自主企画を否定するものではなく、学外で自主的にやるのなら大学としてどうこう言うことはない。しかし、それを超えたことを大学が何かしてほしいと言われたら、できない」と強調した。

 これに対して山本は「学生が立ち上がってくれたことには、まだまだ希望があると思った。しかし、私が復帰するかどうかについて、学園側とはまだ何も話し合っていない。それにもかかわらず、こうしたメッセージを出すのは問題だ」とする。事態の正常化は、まだ見込めない。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。東日本大震災発生前後の4年間は災害救援NPOの非常勤スタッフを経験。2012年からは環境専門紙の編集長を10年間務めた。2018年に名古屋エリアのライターやカメラマン、編集者らと一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」を立ち上げて代表理事に就任。

関口威人の最近の記事