「どうにもならない」惨状広がる能登半島豪雨の被災地、それでも「町のため」前を向く人たちの姿
地震に続いて激しい豪雨に襲われた石川県の能登半島。1週間が過ぎた9月28日から30日にかけて、孤立状態が解消された輪島市や珠洲市の各地を歩くと、目を疑うような惨状が広がっていた。「どうにもならない」と立ちすくむ住民たち。それでも希望を見つけようという動きを探った。
【輪島市久手川町】あるべきはずの家がない
輪島市中心部に近い久手川(ふてがわ)町は、中学3年生の喜三翼音(はのん)さんが自宅ごと流されてしまった現場だ。
私が訪れたときはまだ翼音さんは見つかっておらず、氾濫した塚田川の下流で消防や警察、自衛隊による捜索活動が続いていた。
ただ、立ち入り規制はほとんど解かれ、下流から歩いて川を遡ることができた。
途中まで舗装された道を歩く。やがて大量の流木が道の脇に寄せられたエリアに入り、壁がえぐれた家屋が現れる。そして、その先には流木と土石に覆われた景色が広がっていた。
上流から水が足元までザブザブと流れてきていて、川のように見える。しかし、その下にはアスファルトの舗装が透けている。ここはもともと道路だったのだ。
下の写真で「撮影位置」と記したのが水が流れている道路を撮影した場所。奥の「久手川団地」と呼ばれる市営・県営住宅が目印となる。
その団地の横を流れていた塚田川は土砂に埋もれ、かわりに道路や田畑が新しい川になっていた。
そして、道路沿いに並んでいたはずの家が、基礎だけを残してなくなっていた。絶句するしかなかった。
「やっと地震に耐えてきたと思ったのに…」
この場所では、すぐ裏の山の斜面も崩れて木造の家を押し流していた。航空写真では塚田川の中上流部で無数の土砂崩れが発生していることが分かり、濁流と大量の土石、流木が四方八方から住宅に襲いかかっていたと想像できる。
雨がピークだった21日、久手川団地にいた住民の女性は「バリバリバリという音とともに山が崩れて、家が流されていった。一瞬のことでした」と振り返った。自身も逃げようとしたが、道がふさがれていて逃げられない。仕方なく団地の中にとどまった。水は1階の階段の途中まで来たが、その後は引いていったという。
団地は地震で断水と停電が続いた。それでも壊れていたボイラーが8月末に直り、9月からようやくまともに風呂に入れるようになっていた。それがまた元の断水と停電生活。足の悪い高齢の母がいるため、避難所や仮設にはなかなか入れない。
「やっと地震に耐えて、やれやれというところだったのに。まだいつもより暖かいのだけが救い。でも冬になったらどうしたらいいか…」
重い気持ちで私も現場を後にせざるを得なかった。女性によれば10月3日時点で、まだ停電や断水は続いているという。
【輪島市町野町】スーパーに続々と支援物資
続いて輪島市の東部にある町野町に向かった。輪島市内からは海沿いの249号線が途中で完全にふさがれていたため、山側に大きく迂回する形で町野町の中心部にたどり着いた。
ここは地震の被害も大きく、揺れで倒壊した家屋の多くがまだそのまま残されている。そんな町を流れる鈴屋川が激しく氾濫。護岸は大きくえぐれ、流木が道路を覆った。
訪れた29日は晴天で、車が行き交うたびに乾いた茶色い砂埃が高く巻き上がっていた。
町には地震後、他地域より決して多くはないものの、全国から災害ボランティアが継続的に支援に入ってきていた。その炊き出し会場や交流の場にもなっていたのが「もとやスーパー」。町で唯一のスーパーマーケットだ。
この日も愛媛県から来たボランティアが水や食料などの支援物資を、泥を掻き出した店舗の一画に運び込んで住民らに提供していた。
3代目社長の本谷一知さんは「地震をきっかけに交流していたボランティアの人たちが、今回も心配して駆け付けてくれている。店は2メートル近くまで水に浸かってしまい、また雨が降れば同じようになるだろうから、もうここでは商売ができないかもしれない。でも、また別の場所でやったらどうかという提案ももらっている。町の人のためにも営業は必ず再開したい」と笑顔で話していた。
一方、今回は行けなかったが、町野町の西側にある南志見地区も被害が甚大にもかかわらず、支援や発信が十分ではないという。他にも、能登町の北河内地区は孤立が解消されたとはいえアクセスが非常に限られており、途中で向かうのを断念した。広大な奥能登には、まだ知られていない被害があるだろう。
【珠洲市大谷町、仁江町】土石流の威力にぼう然
私は地震以来、能登町の内浦地域を経由して珠洲市の外浦地域を回ることが多かった。今回、珠洲市では最も被害が大きかったとされる外浦の大谷町と仁江町に入った。
いずれも大規模な土石流が、集落の様相を一変させていた。
大谷町は海岸から500メートルほど入った大谷川沿いの集落が、西側の山から崩れた土石流に巻き込まれていた。
大量の土砂は、民家を2階の床レベルまで埋めている。写真では乾いた土砂に見えるが、その下はまだ軟らかい泥になっていて、歩いていると足元が突然ズブズブと沈んでしまうところがある。くまなく歩いて回ることは不可能だった。
仁江町は集落の南東側の山が崩落し、土石流が海まで到達していた。5軒ほどの家が道路を跨いで押し流され、1軒は屋根が防潮堤を越えて完全に海岸へ流されていた。
こちらも泥状の地面が多く、奥には進めない。何人かの住民が片付けに入ろうとして「自分の家が奥にあるが、とても行けない」と顔をしかめていた。
これらの土石流は、地震で崩壊した山の斜面が豪雨によってさらに崩れたとみられている。
「あの山が落ちるなんて思いもしなかった。どうにもならない」。大谷町の住民はつぶやいた。
この先どうするべきか。答えはまだ誰も持っていないようだった。