全てはずさんな初動捜査から始まった。判決後、遺族が三島署にぶつけた二つの疑問
3月15日、午前10時、静岡地裁沼津支部。白髪の目立つ髪をひとつに束ね、黒いフード付きのトレーナーを着た被告の女性(48)は、菱田泰信裁判長に促され、うなだれたまま法廷中央の証言台に立ちました。
この事故で亡くなった仲澤勝美さん(当時50)の妻・知枝さんと4人の子ども、親族たちは、被害者参加制度を利用して検察官側の席に入り、じっと前を見つめています。
「主文、被告人を禁錮3年に処する。この裁判が確定した日から5年間、その刑の執行を猶予する……」
裁判長による判決文の読み上げが始まった瞬間、知枝さんは自身の膝に顔をうずめ、堪えきれずに泣き崩れました。
虚偽の供述を続けてきた被告に、『せめて実刑を……』というかすかな思いは届かず、結果的に執行猶予付きの判決が下されたのです。
仲澤さんの死から間もなく2年2か月。
長女の杏梨さんは、判決が終わった後の法廷の様子をこう語りました。
「傍聴人の方々が退席した後、私たち遺族に協力してくださっている弁護士の高橋正人先生が、『この判決は一生忘れません!』裁判官に向かって強い口調でそうおっしゃったんです。私も思わずこう言いました。『この事故は、私たち遺族が声を上げなかったら、父は加害者で終わっていたんです』と……。裁判官は何も答えませんでした」
この判決の速報は、新聞、テレビなど、各メディアで一斉に流れました。
三島・交通死亡事故 地裁沼津支部が被告に猶予判決:中日新聞しずおかWeb (chunichi.co.jp)
嘘をつき、もの言えぬ被害者に過失を押し付けようとした加害者の行為は、決して許されるものではありません。
しかし、全ての発端は、警察の初動捜査の甘さにあります。
加害者のとっさの言い訳を鵜呑みにしたことによって、進行ルートも、信号の色も捻じ曲げられ、被害者の仲澤さんが一時的に加害者扱いされてしまったのです。
■所轄の三島署を厳しく批判した遺族側の協力弁護士
判決後に開かれた記者会見で、高橋正人弁護士は語気を強め、三島署の初動捜査のあり方を批判しました。
そのひとつが、「ながらスマホ」の可能性を全く調べていなかったことです。
「そもそも今回の事件は、捜査段階から問題がありました。本来ならば事故直後に(被告の)スマホを押収しなければいけなかった事案です。スマホを押収していれば、もっといろんなことがわかったんです」
そして、時折声を詰まらせながら、こう続けました。
「(遺族は)よく、ここまで頑張ってきたと……。もし、遺族が一生懸命署名活動をしたり、チラシを配ったり、活動をしていなければ、今はこちらが加害者です。それをひっくり返したのは、三島署じゃありません、検察庁でもありません。(妻の)知枝さんであり、長女の杏梨さん、次女のマリンさん、三女の一花さんであり、長男の勇梨君なんです。この事実を裁判所は見逃しています。誰が頑張ったのか、なぜこの法廷が開かれたのか、それを全く理解していない。私は捜査機関の職務放棄、裁判所の職務怠慢だと思います。非常に問題のある結果だと思っています」
職務放棄、職務怠慢……、高橋弁護士が厳しい言葉で指摘するように、この事故は遺族が自ら動かなければ、「被疑者死亡で不起訴」という結果になっていた可能性が大でした。
初動捜査で、証拠に基づいた客観的な捜査が行われていれば、遺族がこれほど長い時間苦しむことはなかったのです。
執行猶予付きとはいえ、被告には有罪判決が下され、判決文には赤信号を無視したことが明記されています。それは、2年2か月前、警察が遺族に説明した事故内容とはまったく異なる内容です。
記者会見終了後、私は長女の杏梨さん、次女のマリンさんとともに、三島警察署に向かいました。
今回の判決を受け、今何を思うのか、直接質問をぶつけてみることにしたのです。
■三島署に遺族が出向いて直撃「なぜ加害者のスマホを押収しなかったのですか?」
午後1時、警察署の昼休みの終了を待って、当時、事故捜査にかかわった交通課の担当者に話をしたいと申し出ました。
突然の来訪にもかかわらず、警察はすぐに私たちを別室へ案内し、交通係長のK氏、交通事故係長のS氏、この事故の現場に臨場した交通課規制係のU氏の3名が対応してくれることになったのです。
まず、質問したのは、高橋弁護士も指摘していた「ながらスマホ」の可能性についてです。
被告はなぜ、「赤信号」を見過ごし、交差点を進行したのか? 目の前の信号を直視せず、いったい何を見ていたのか。そのとき、スマホに目をやっていた可能性はないのか……。
仲澤さんら遺族は事故直後から、三島署に何度も「相手のドライバーのスマホを調べてほしい」と依頼していました。しかし、担当警察官は「意味がないから預かっていない」と答え、取り合わなかったのです。
杏梨さんとマリンさんは、次のような内容の質問を投げかけました。
今日、高橋弁護士が、もし相手に「ながらスマホ」の事実があれば、おそらく実刑判決だっただろうと言われました。でも、結局、事故直後にスマホのことは何も調べられていないので、私たちは今も、ずっともやもやしたままなんです。事故直後から再三、「スマホも調べてください」とお願いしていたのに、なぜきちんと調べなかったのですか。信号無視のような事故で、ながらスマホのことは調べなくてもいいのですか?
これについての三島署の答えは、「スマホの押収は必須事項ではない」とのこと。
しかし、これ以上正式な答えをするには「組織の判断」が必要とのことで、後日、改めて遺族に文書で回答書を送ると約束しました。
■なぜ事故の数時間後に「バイクが右折」と判断できたのか
次に質問したのは、仲澤さんのバイクが、実際には通行していなかった大通りから右折をしたと、事実無根の誤った判断をされたことについてです。
事故が発生したのは2019年1月22日の午後6時過ぎで、仲澤さんの死亡が確認されたのは約2時間後でした。家族はその直後、病院で担当警察官から「お父さんは対向車線から右折して、相手の車に衝突した」という説明を受けていたのです。
そして翌23日、24日の朝刊には、各メディアが早くもその内容を報じました。
以下、仲澤さんのバイクが右折したと報じた記事から、事故状況の部分のみ抜粋します。(*筆者注/被告の名前・Aは、記事中では実名。仲澤さんは、記事中での表記はいずれも仲沢)
この件について、杏梨さんとマリンさんは、警察にこう問いかけました。
新聞報道に疑問を持った私たちは、父の通勤ルートだと右折にはならないことに納得できず、1月24日、三島署の警察官に「付近の店の防犯カメラも調べてほしい」とお願いしています。それなのに、「調べる必要はない」と言われたんです。結果的に事故の6日後、三島署ではなく、静岡県警本部の人が近所の防犯カメラを調べに来たそうですが、なぜ、三島署はすぐに防犯カメラを調べなかったのですか? それを見れば、少なくとも父のルートが間違っていることが確認できたはずなのに。(杏梨さん)
仲澤さんの家族は、事故直後から警察とのやり取りを詳細にメモとして残していました。二人はそれを見返しながら、さらに3人の警察官に質問を重ねていきます。
対応した警察官は「お気持ちはよくわかります」という言葉を何度か繰り返しながらも、「捜査に関することはお答えできない」「組織としての回答になります」という姿勢を通しました。
ただ、三島署が私たちの前で、ひとつだけはっきり認めたのは、判決に記載された事故状況と、事故の翌日に新聞報道された事故状況が全く異なるものだったことです。
私は、警察が報道機関に流した事故状況を教えてほしいと言いましたが、今は自分たちでは分からないとのことでした。
■初動捜査の誤りが、自賠責や自動車保険の不払いにも直結
実は、今回のようなケースは決して珍しいことではありません。
私はこれまで数多くの交通事故を取材してきましたが、その中で痛感するのは、警察の初動捜査の誤りと、誤報道がきっかけとなって、刑事、民事共に、長年苦しめられている被害者が多数存在するということです。
実際に、仲澤さんの遺族は、今も自賠責保険金を1円も受け取っていません。
大黒柱を突然失った家族が、完全な被害者であるにもかかわらず、事故から2年以上、一切の賠償を受けていないのです。
すでに、事故の数日後には、相手側の任意保険(JA共済)から、仲澤さんに7割の過失があるという知らせを受けていました。
たしかに、刑事裁判が終結するまでは保険金が支払えないという事情もあるでしょう。しかし、加害者が起訴されるまでには、事故から1年半もありました。その間に、なぜ自賠責の被害者請求すらできなかったのでしょうか。
この問題については、改めてレポートしたいと思いますが、初動捜査のずさんさが、民事においても隠れた二次被害を相当生んでいることが推測できます、
中には、誤った捜査をされたことにも気づかない人もおり、その実態は大変過酷です。
■闘うことのできない被害者・遺族も多数存在する現実
捜査中にもかかわらず断定的な判断を下し、その段階で不確定な情報を報道機関に流すのは、もうやめるべきです。
そして、私自身も自戒を込めますが、メディアは過失割合に絡む内容の報道には慎重になるべきです。
今回の事故現場は仲澤さんの通勤ルートだったこともあり、家族はすぐに警察の説明する事故状況がおかしいことに気づきました。自宅と現場が近かったので、目撃者捜しもできました。
しかし、事故現場と自宅の距離が離れていたら、こうした迅速な動きは不可能です。
また、もし、仲澤さんにお子さんがいなかったらどうなっていたでしょう。妻の知枝さん一人では何のアクションも起こせず、そのまま終わっていたはずです。知枝さんは夫を亡くしたショックのあまり、現場に足を向けることもできなかったのです。
今後、二度とこのようなことが起こらないよう、交通事故の捜査においては、人の言葉だけを鵜呑みにせず、客観的な証拠をしっかり調べていただきたいと思います。
執行猶予5年の判決を受け、仲澤さんら遺族は検察に控訴してほしいと求めています。控訴期限まであと1週間余り。現時点で控訴の手続きはまだ行われていないそうです。