【時速194km死亡事故】遺族の手記を全文公開 亡き弟が生身で実証した「超高速衝突」の過酷な現実
■求刑は「危険運転」で懲役12年
2021年に大分市内の一般道で発生した時速194キロ死亡事故の刑事裁判が、11月15日、大分地裁(辛島靖崇裁判長)で結審しました。
検察は被告人の男(23・事故当時19)に対して、危険運転致死罪が成立するとして、懲役12年を求刑。一方、弁護側は「被告が運転する車両は道路に沿って直進走行できていた。他車の通行を妨害する目的や意図はまったくなかった」などと述べ、より刑の軽い過失運転致死罪を適用すべきだと主張しました。これに対し、検察側は危険運転が認められなかった場合の「予備的訴因」として、過失致死罪については懲役5年を求刑しています。
筆者が本件について初めて執筆したのは、2022年8月のことでした。
一般道で時速194kmの死亡事故が「過失」ですか? 大分地検の判断に遺族のやり切れぬ思い(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュース
その後も遺族と連絡を取り合いながら、署名活動、危険運転への訴因変更、現場での再検証など、さまざまな動きを取材してきました。
そして、事故発生から3年9カ月たった今年11月、ようやく裁判員裁判が始まり、遺族は被害者参加制度を利用して刑事裁判に参加しました。
11月12日に開かれた第5回公判では、死亡した小柳憲さん(当時50)の姉、長文恵さんが法廷に立ち、遺族の思いを述べました。
特に胸に迫ったのは、「本件の再現検証はあまりに危険すぎるためできなかった」ということ。そして、「唯一、自身の身体を破壊させながら、その危険性を実証したのは、被害者本人である弟だった」と訴えた、姉の言葉でした。
そのお姉さんから、筆者の元にに結審後の心情を綴った手記が届きました。ここに公開させていただきます。
【被害者の姉・長文恵さんの手記】
11月15日、検察は懲役12年の求刑を行い、裁判は結審しました。私たち遺族は危険運転の最高刑である20年を主張しましたが、検察官は『過去の判例をみても、遺族感情だけで20年は難しい』と判断したようです。
12年という求刑は、これまで担当検事と何度も話してきた中で、検察の考える最大の刑罰だと思われ、私たち遺族としても、今はこれを妥当と考えるのが相当なのだろうという感想を持っています。もちろん、本音は「軽い」と思います。
私のこれまでの闘いの最大の目標は、この事件の本質が裁判の場で議論出来るよう「危険運転致死罪」で起訴し、土俵に上げてもらうことでした。
大分地検は当初、加害者を「過失運転致死罪」で起訴しました。あのときなぜ、あれほど弱腰だったのか……、その理由は未だに明らかにされていません。しかし、私たちが訴因変更を求め、活動を始めてから、検察の対応は確実に変わりました。
これまでの同種事案の判例や、それに伴う条文解釈で「危険運転致死罪」での起訴をあきらめたのだと思われますが、担当検事は机上の空論だけでなく、座っている椅子から立ち上がり、立派な建物からお日様の当たる外へ出てくれたのだと、私はそう表現します。亡くなった弟も、空からその姿を見ていたに違いありません。
■危険すぎて再現できなかった時速194kmでの実証実験
ここに至るまで私は、
「実証実験は行ったのか? 実際に時速194kmという速度で走ってみてほしい」
「弟側と相手側から、夜の現場でライトはそれぞれどのように見えたのか? 高速度で視野はどのくらい狭くなるのか? など、再捜査すべきだ」
と訴え続けました。
署名活動の効果は、その判断についておかしいと思っている世論がかたちになることです。私たちは多くの声を携えて、この事件の処理について沢山の疑問を挙げ、訴え続けてきました。
とはいえ、署名を数多く集めたからといって、訴因変更してもらえるわけではありません。危険運転を立証できなければ、訴因変更は出来ないのです。その意味で、現場での再検証の結果はまさに、私が希望したものとほぼ一致しました。
ただ、唯一、再検証で出来なかったこと、それは、現場で時速194km出しての走行実験でした。
そもそも、一般道での時速194kmは、普通は危険すぎて出せる速度ではないのです。中央分離帯には植栽もあり、決して「見通しの良い」直線道路ではありません。安全性が全く保証されてない環境下で、運転を名乗り出る人はいないと思います。
そんな中、私は、
「誰もやらないなら、私にやらせてください。そして、検事さん、隣に座ってください」
と懇願したこともありました。でも、それは叶いませんでした。
事故の日とまったく同じ条件のもと、同じ車を使って再現することは物理的に不可能です。その検証結果の全ては憶測に過ぎないと言われてしまうのは当然ですし、仕方のないことです。しかし、専門家による物理的、科学的な証言は有効だと思います。また、万人共通の思いも、この世には存在すると思うのです。
「一般道を時速194キロ出して車で走行するなんて、危険過ぎて、何かあっても対応なんて出来っこないし、決してやってはいけないこと」
これは、万人共通の感覚ではないでしょうか。こんな常識的なことが、法律の条文解釈によって左右され、問題になること自体、驚きです。
■中古のBMW購入後、わずか40日での事故
被告人尋問では「高速のスピードに快楽を覚える」「スピード違反を何度も繰り返していた」「免許を取って1年未満だったが、初心者マークはカッコ悪いのでつけていなかった」「ドライブレコーダーはついていたが、最初からSDカードは抜かれていた」など、身勝手極まりない内容が語られ、遺族にとっては聞くに堪えないものでした。
高性能な車はコースアウトさえしなければ限界に挑戦していいという話ではありません。その先には、結果的に重大な事故を起こした事実があるのです。
本件においては、ブレーキ操作は全く行われていません。法定速度の3倍を超えていても3倍のブレーキの能力で事故が回避できたというのなら話は別ですが、そのスピードに対するブレーキ性能を試すことすら出来ないほどの高速度だったのです。
これが自動運転なら「車の不備だ」ということになるのでしょうけれど、本件では未成年といえども、運転免許を持ち、視力も体調も問題のない運転手が操縦していたのです。
ちなみに、被告人が運転していたBMWは、購入してから事故を起こすまで40日、その間の走行距離は4100kmでした。平均すると1日100キロを超えます。法定速度でざっくり計算した場合、毎日2時間近く走っていたことになりますが、運搬や営業などの業務で自車を走らせていたわけではありません。
被告人は法廷で「オービス(速度違反自動取締装置)を避けてスピードを出してきた」と述べていましたが、はたして、こうしたことが経験値として有利になるのでしょうか。本人が「超高速でのスピード違反を繰り返した」と供述していても、違反キップさえ切られていなければ違反の証拠はないことになってしまい、あまりにも理不尽です。
結果的に弟は、ただ真っ直ぐ走るだけの「車」という凶器に殺されたのです。
■弟は命と引き換えに時速194km衝突の被験者になった
私は、11月12日に行われた私自身の証人尋問の中で、捜査機関ですら不可能だった本件事故の実証実験を、実際に出来た人物が2人いると証言しました。
その一人は加害者です。しかし、その衝撃の瞬間を加害者は「覚えていない」と答えました。信号は青だった、ハンドルのブレなどはなかった、危険な状況ではなかった、加速時には対向車がいなかった、といったことは覚えているのに、事故の瞬間は覚えていないと答えました。
双方の車が大破したこの事故で、弟の肉体は一瞬にして破壊されました。衝突の瞬間のハンドルの手応えは、そのときの弟の痛みや苦しさを唯一加害者に伝えるものだったと思うので、せめてその衝撃くらいは覚えていて欲しかった、そのことが残念でなりません。
そして、この危険な実証実験を実際に行ったもう一人、それは弟でした。ダミー人形ではありません。弟は右折時に、その衝撃を生身の身体で、命と引き換えに体験した唯一の人間でした。
時速194kmというスピードでぶつけられたら、その車はいったいどうなるのか? そして、中に乗っている運転手は……。その瞬間の現実は、シートベルトがちぎれ、肋骨、胸骨を骨折し、車外へ放出、全身擦過、対向車線に飛ばされ、腰から落下し、粉砕骨折により失血死を遂げる、というものでした。
初公判のとき、被告側の弁護士は「遺族感情や報道に流されることのないように、法の下できちんと裁かれるべきだ」と話されました。しかし私は、時速194kmという速度がもたらした被害の現実にこそ向き合うべきだと思っています。
残念ながら弟は、証人として裁判に出廷することはできませんでした。だから私は、弟の代わりに証言台に立って、「彼が命と引き換えにこの世に残した証拠を見てほしい」と伝えることが使命だと感じていました。
11月28日は判決です。判決が下されたあとは、記者会見を予定しています。どうか最後まで見守っていただければ幸いです。