「核廃絶」は祈りで具体的政治課題でないというのか
フーテン老人世直し録(96)
葉月某日
自民党の土屋正忠衆議院議員が集団的自衛権に言及した長崎市長の「平和宣言」をブログで批判した。
ブログには「長崎市長は歴史的体験を踏まえた核廃絶について語るから権威があるのだ。集団的自衛権云々という具体的政治課題に言及すれば権威が下がる」とあり、「核廃絶の祈りではなく、平和を維持するための政治的選択を語りたいなら長崎市長を辞職して国政に出ることだ」と結論付けている。
このブログから読み取れることは、まず「核廃絶」は祈りであり、具体的政治課題ではないと土屋氏が考えていることである。次に具体的政治課題ではないから「核廃絶」を主張することに権威があると考える。そして具体的政治課題に言及したければ長崎市長という権威ある職を辞して、自分のように権威のない国会議員になるべきと主張しているのである。
ここにフーテンは戦後の日本人の「戦争と平和」に対する典型的な思考を見る。つまり「核廃絶」は祈りであり、決して現実の具体的政治課題とは考えない。そして祈りには「権威」を与え、誰も異を唱えられなくはするが、しかしそれは神棚に祭り上げられて現実政治と切り離され、現実政治はその祈りとまともに向き合わないのである。
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