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ソーシャルメディアで社会は変えられるか――エジプト政変に浮かぶ限界

六辻彰二国際政治学者
カイロの反政府デモ(2019.9.21)(写真:ロイター/アフロ)
  • エジプトでは政権と深く結びついていたビジネスマンの内部告発をきっかけに、反政府デモが激化している
  • その張本人ムハンマド・アリー氏はソーシャルメディア上で、政府や軍が建設事業でピンはねを繰り返していたと主張し、腐敗したシステムの転換を求めている
  • アリー氏の投稿は大きな反響を呼んでいるが、そこにはソーシャルメディアに頼った社会変革のもろさもうかがえる

 温暖化対策を訴えるスウェーデンの16歳グレタ・トゥンベリさんをはじめ、ソーシャルメディアは世界の変革を求めるツールとして、もはや一般的になった。ソーシャルメディアは香港など世界各地で広がる反政府デモでも重要な役割を果たしているが、そこには建設的な変革という意味での限界もある。エジプトでの政変は、その予兆を帯びている。

軍人大統領に湧き上がる抗議

 経済停滞などを背景に中東各地では反政府デモが広がっており、このうちエジプトでは9月27日、シシ大統領に抗議する市民が「100万人行進」を呼びかけた。

 これに対して、政府は取り締まりを強化。100万人行進の予定地となっていた首都カイロのタハリール広場を閉鎖したが、カイロ東部に集まったデモ隊は「シシ退陣」を求めて気勢をあげた。

 エジプトで広がる抗議には伏線がある。

 2011年に中東で発生した政変「アラブの春」のなか、エジプトでは30年間権力を握っていたムバラク大統領(当時)が失脚。翌2012年に初めて民主的な選挙が行われ、モルシ大統領(当時)が選出された。

 しかし、失業率や治安の悪化などに対応できなかった結果、モルシ氏はわずか1年で失脚した(その後、今年6月に獄中で死亡)。

 クーデタでモルシ政権を打倒した軍はムバラク氏に近く、いわば旧体制の既得権益層だ。そのため、2011年以前に逆戻りした感もあるが、政変後の混乱に疲弊した多くの国民は治安と景気回復を優先させ、事実上の軍事政権を、いわば消極的に支持してきたのだ。

 ところが、2014年に資源価格が値下がりした後、経済が再び減速したことで、押さえ込まれていたシシ政権への不満が噴出。昨年末から散発的にデモが各地で発生し始めた。2011年の政変後の混乱を力で押さえ込んだシシ大統領は、結局その前任者たちと同じ危機に直面しているのだ。

元・政商の内部告発

 これに拍車をかけたのは、ソーシャルメディアだ。とりわけ、反体制的なメッセージを発するムハンマド・アリー氏は、いまや「エジプトで最も有名な人物」ともいわれる。

 アリー氏はヨーロッパを目指す不法移民を取り上げたドキュメンタリー映画The Other Landでルクセンブルク芸術平和賞を受賞した、国際的に著名な映画監督だ。

 その一方で、エジプト国内では建築企業を経営している。エジプトに限らず開発途上国では、ビジネスの成功は政権との癒着なしには難しい。つまり、アリー氏自身が現体制の既得権益層の一人だったといえる。

 ところが、元・政商アリー氏は、いまや反シシ派のスターだ。9月初旬からFacebookなどでシシ政権の内幕を次々と暴露し、その汚職体質を明らかにしてきたからである。

 それによると、政府や軍は首都機能の移転によって建設ラッシュを生み出しながら、建築企業に上納金を求め、アリー氏自身が経営する建築企業も2億エジプトポンド(約1200万USドル)相当の建設工事を受注したものの、軍が支払いを拒否したと主張。支払いを要求している。

 そのうえで、「我々はみな腐敗している。だが、我々は非難されるべきではない。非難されるべきはシステムだ。彼(シシ)はシステムを変えたくない。我々は新たなシステムを必要としている」と政権の打倒を訴えたのだ。

 いわば個人的な恨みから民主派に寝返ったともいえるが、「支配する側」にいながらも時の権力者と確執を抱え、傍流に追いやられた者が自由主義者や民主主義者を名乗ることは、フランス革命の頃から珍しくない。

 ともあれ、一連の投稿は大きな反響を呼び、きっかけとなった9月2日のFacebookの動画だけで、ビューは170万にのぼった。

 これをきっかけにデモが急速に拡大するなか、シシ大統領はその主張を否定し、政府が責任と透明性をもって仕事をしていると強調。国営放送もアリー氏を「麻薬中毒の女たらし」と個人攻撃している。また、Facebookも問題の動画を暫定的に削除した

 しかし、アリー氏の投稿はダウンロード・拡散され、もはや回収は不可能になっている。

ソーシャルメディアにできること

 こうして充満していた不満を爆発させる引き金となったアリー氏は、一躍エジプト政変のシンボルになった。

 エジプトにいれば当局に拘束されても不思議でないが、アリー氏は現在スペインに在住している。ここに、国境を越えて次々とメッセージを送り続けられるソーシャルメディアの利点が、いかんなく発揮されているといえる。

 さらに、これは偶然だが、ムハンマド・アリーは19世紀にオスマン帝国の支配からエジプトを独立に導いた英雄の名前でもある。「分かりやすさ」が優先されるソーシャルメディアで、この偶然もアリー氏の認知を急に高めた一因といえるかもしれない。

 ただし、このようにして高まった気運がどこまで維持されるかには疑問もある。

 基本的にソーシャルメディアを通じた動員は、熱しやすく冷めやすい。

 コンパクトさが重視されるソーシャルメディアでの情報伝達は、往々にして怒り、悲しみ、失望、喜びの共感に傾きやすく、理論や信条と比べて波が大きい。そのうえ、仮想空間での共感に基づく行動は、個人の裁量によるところが大きく、拘束力のある結束は維持されにくい。

 そのため、勢いがある時には職業や立場の垣根を超え、爆発的な動員を可能にするが、エネルギーそのものの維持が難しい。とりわけ当局が弾圧を強めたり、条件交渉で懐柔に乗り出したりした時に尻すぼみになりやすい。「アラブの春」に直面したほとんどの国で、結果的には大きな成果なくデモが収束したことは、これを象徴する。

 これに対して、隣国スーダンでは抗議デモの末、今年7月に軍事政権が民主化を約束せざるを得なくなったが、これはソーシャルメディア上で広がった不満をリアルな組織がすくい上げ、一つの力に束ねあげた結果といえる。専門職組合を中心に各種の団体が結束することで、デモ隊は軍事政権の脅しや甘言をはねのけたのである。

 これと対象的に、エジプトにおける2011年のムバラク政権崩壊では、イスラーム系団体ムスリム同胞団が大きな役割を果たしたが、シシ政権のもとで「テロ組織」に指定され、徹底的に弾圧されてきた。そのため、社会に充満する不満を一つの政治勢力に束ねあげ、人々の期待を背負って政府と建設的な交渉をできる組織はほとんどない(「保育所落ちた」の投稿が大きな反響を呼びながらも、結局は政府が「幼児教育無償化」という明後日の方向の改革でお茶を濁すことを許した日本も、エネルギーを束ねる組織の欠如という点では同じかもしれない)。

 だとすれば、アリー氏の投稿が多くの人々の不満を爆発させ、デモを触発したことは確かでも、スーダンのような成果をあげるかは疑問だ。むしろ、そのエネルギーをコントロールできるリアルな指導者がいなければ、ただフラストレーションを吐き出すだけに終わることすらある。いわばエジプト政変は、ソーシャルメディアの可能性を見極める一つの試金石といえるかもしれない。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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