香港の若者を抗議デモに駆り立てるもの――力づくの鎮圧の限界とは
- 香港での抗議デモは約2カ月に及び、当局による鎮圧が強まるなか、人民解放軍が介入するかは一つの焦点になっている
- ただし、仮に人民解放軍が介入して鎮圧に成功しても、第二、第三の抗議の嵐が発生する可能性は高い
- そこには若者の間に蔓延する、幾重にも重なった中国への反感と怒りがある
6月初旬に始まった香港での抗議活動は混迷を深めており、今後は香港に駐留する人民解放軍がこれに介入するかが焦点になってくる。ただし、仮に中国が軍事介入しても、香港を元に戻すことは難しい。
デモ隊鎮圧の強化
政治犯を中国本土に引き渡すことを可能にする条例案をきっかけに、香港では6月初旬から週末ごとに大規模な抗議デモが発生しているが、香港当局やその背後にある中国政府の取り締まりは、これまでになく強まっている。
7月27日、元朗区でのデモ隊に警官隊が催涙弾を発砲。警察は「住民とのトラブルを避けるため」として、この地区でのデモを許可していなかった。
さらに翌28日には、中国政府の出先機関、中央政府駐香港連絡弁公室(中連弁)そばにまで迫ったデモ隊を警官隊が催涙弾やゴム弾で退去させた。
1週間前の日曜日、7月21日にもやはり中連弁そばで大規模なデモが行われ、一部の参加者が壁に共産党体制を批判する落書きなどをした。これに対して中国政府は「政府の権威への挑戦を認めない」という方針を打ち出していた。
28日の中連弁そばでの衝突はこうした中国政府の姿勢の表れといえるが、強硬な鎮圧がかえって反発を招き、事態を泥沼化させる一因になっている。
人民解放軍は介入するか
この情勢のもとでしばしば語られるのが、中国による軍事介入の可能性だ。
香港は自前の軍事力を持たず、約6000名からなる中国人民解放軍が駐屯している。あらゆる軍隊には外敵からの国土防衛だけでなく体制の護持という役割があるが、とりわけ人民解放軍には、共産党体制を脅かす者への鎮圧が重要任務としてある。
もっとも、現状では、香港の責任者である行政長官やその配下にある香港警察は人民解放軍の出動を否定しているが、公共の秩序の維持が難しい場合、行政長官が人民解放軍に出動を要請することは法的に可能だ。
その一方で、中国メディアは暴徒化したデモ参加者や中連弁がデモ隊に包囲される様子を集中的に伝え、「抗議」よりむしろ「暴動」として扱おうとしている。これは介入の地ならしともいえる。
中国政府にとってのリスク
ただし、中国にとっては香港のデモがこれ以上拡大することを避けたい一方、自ら介入することのリスクも大きい。
少数民族が力づくで押さえ込まれてきたチベット自治区や新疆ウイグル自治区などと異なり、香港は人の出入りが基本的に自由で、海外メディアも多く駐在している。世界の目が届きにくい、いわば「辺境」で行ってきたような鎮圧を香港で行えば、中国への風当たりはこれまで以上に厳しくなる。
それは単に政治的な評判にとどまらない。人民解放軍の介入は中国にとって、経済的な損失も覚悟しなければならない。
すでに28日午前中の香港証券取引所の取り引きでは、前日の催涙弾発射などを受け、観光客の減少などを見込んだデベロッパー関連の株の売りが相次ぎ、今年最大の下落を記録した。
人民解放軍が介入すれば、世界有数の金融センターでもある香港での取引にも影響を及ぼす。それは多くの国にとってのリスクだが、香港経済と密接に結びついた中国にとってはなおさらだ。
闇社会に協力を求める政府
こうして中国政府が手詰まりになるなか、目立ち始めたのが犯罪組織の暗躍だ。
7月21日、元朗区の地下鉄の駅でデモ帰りの参加者たちが突然、白いTシャツを着た男の集団に襲撃され、45名が負傷した。被害者のなかには妊婦もいたという。
ところが、事件の通報を受けて警察が現場に到着したのは1時間後で、しかも当初は何もしなかったという。これに関して、警察当局は「現場が混乱していて当事者を判別できなかった」と釈明している。
白シャツ集団は恐喝や密輸などに関わる現地の犯罪組織「三合会」メンバーとみられている。そのうえ、香港の親中派議員の一人は白シャツ集団を「君たちは英雄だ」と賞賛し、握手を交わしたとも報じられている。
政治が闇社会と結びつきやすいことは、古今東西、珍しいことではない。人民解放軍という公の組織の出動がはばかられる香港の場合、「民間人」である三合会を中国当局が利用したとしても不思議ではない。
ただし、これは結果的に、デモ隊のさらなる怒りと反発を招く逆効果となった。先述の7月26日に発生した元朗区でのデモは、21日に発生した三合会による襲撃に抗議するものだった。これに警官隊が催涙弾を発射したことは、香港での鎮圧と反発の悪循環を象徴する。
裏切られた世代は救われるか
泥沼化する香港情勢をみれば、人民解放軍が出動する可能性はゼロではない。ただし、仮にそうなったとしても、もはや香港を以前の状態に戻すのは難しい。
デモの中心にいる若者からは、自分たちを「裏切られた世代」とみなす声も聞かれる。1997年の香港返還でイギリスに捨てられ、その後は中国にいじめられてきた、というのだ。
返還後、香港には中国資本が流入し、好景気に沸いた一方、膨大な資金流入が歯止めのないインフレをもたらした。それにともない貧富の格差はむしろ拡大し、香港当局によると、1986年に約0.45だったジニ係数は、2016年には0.55にまで迫った。これは中国本土やアメリカをしのぐ水準だ。
知識集約型産業が発達した香港では教育熱心な家庭が多いが、住居費をはじめとする生活費の高騰によって実質賃金は押し下げられ、日本でいう「高学歴プア」も珍しくなくなっている。
そうした背景のもと、かつて「自分たちより遅れた土地」とみていた本土からの観光客が高級ブランド店などで気前よく買い物する光景が、優越感と劣等感の入り混じった感情を香港住民に抱かせても不思議ではない。
その結果、若者の間には香港を離れる動きが活発化しているだけでなく、自分を「中国人」ではなく「香港人」と考える者が増えている。香港大学の調査によると、18~29歳のうち自分を「中国人」とみる者は3%にとどまり、「香港人」という回答は65%にのぼった。
こうしてみたとき、冒頭で述べた政治犯の引き渡しに関する条例案は抗議デモのきっかけに過ぎない。むしろ、それによって中国政府は香港に渦巻いていた大きな不満の口を開けてしまったといえる。
だとすれば、仮に人民解放軍が出動して鎮圧に成功したとしても、こうした社会情勢がそのままなら、第二、第三の抗議の嵐がその後も起こるとみられる。それは同時に、力による押さえ込みと利益誘導で人々の不満を和らげてきた中国共産党体制の限界をも示しているのである。