[COP28直前] 気候変動1.5度目標の「死」をめぐって
2022年11月にエジプトで開催されたCOP27が終わったあたりから、パリ協定の1.5度目標は「死んだ」という評価を目にするようになりました。
発展途上国の「損失と損害」への基金設立という重要な成果があった半面、1.5度目標に向けた対策の野心度の引き上げについてはほとんど進展がなかったことに失望が広がったのでした。
我々は1.5度目標を諦めざるを得ないのでしょうか。そして、それは我々の世界にとって一体何を意味するのでしょうか。
1.5度目標の誕生
まず、1.5度目標の「産まれた」経緯を簡単に確認しておきます。2015年のCOP21で採択されたパリ協定において、「世界平均気温の上昇を、産業革命以前を基準に2度より十分低く保ち、さらに1.5度に抑える努力を追求する」という長期目標が合意されました。1.5度の言及を強く要求したのは、気候変動により死活的な影響を受ける小島嶼国や後発発展途上国などでした。
2018年には気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が世界中の研究論文に基づく「1.5度温暖化に関する特別報告書」を公表しました。その結論は、温暖化を1.5度で止めれば2度の場合と比べて深刻な影響を大幅に回避できること、そして1.5度で温暖化を止める対策は可能であり、うまくやれば他の持続可能性目標の追求と相乗効果があることでした。
これを受けて、1.5度は単なる努力目標でなく本気で目指すべき目標と認識されるようになり、2021年にイギリスのグラスゴーで開催されたCOP26では、1.5度を追求する「決意」が合意されるに至りました。
目前に迫る1.5度
しかし、1.5度は目前に迫っています。産業革命以前を基準とした世界平均気温上昇は、IPCCによれば2020年までの十年平均で1.1度ですが、(この評価期間の中央から現在まで既に8年が経過していることと、近年の平均的な地球温暖化のペースが十年あたり0.2度であることを考慮すると)現状は既に1.3度に近いと考えられます。
世界気象機関(WMO)は、2027年までの5年間に1.5度を超える可能性が高いと発表しましたが、これは変動の上振れで一時的に超える年があるかもという話です。しかしIPCCによれば、早ければ2030年代前半には平均的にも1.5度に到達してしまうと見込まれます。
1.5度目標の「生存条件」
これを避けるためのシナリオは、世界の温室効果ガス排出量を2030年までに現状の約半分に減らし、2050年には世界で二酸化炭素(CO2)排出を実質(ネット)ゼロ、他の温室効果ガスの排出も大幅に減らすというものです。
残念ながら、現状の世界の排出削減ペースはこれに遠く及びません。各国の2030年までの自主的な対策目標(NDCs)がすべて達成されたとして、今世紀末に2.5度前後温暖化するペースと見込まれています。一方、各国のネットゼロ排出目標(先進国の多くは2050年、新興国や発展途上国の多くは2060年、インドは2080年)がすべて達成されると、1.8度程度で温暖化が止まると見込まれます。これが本当にできればすごいことですが、それでも1.5度には足りていません。
1.5度到達までに温暖化を止められる可能性は理論的にはゼロでないものの、現在の世界がその軌道に乗っていないことは明らかです。
オーバーシュートの可能性
すると、1.5度をいったん超えるがその後に気温を低下させて1.5度に戻ってくるという「オーバーシュート」が次善の策として注目されます。これはいってみれば、「1.5度」を一度仮死状態にして、後に蘇生させることに相当するかもしれません。
1.5度の蘇生、つまり地球の気温を下げるために必要なのは、世界の温室効果ガス排出をネットゼロにした後、さらに大気から大量にCO2を除去することです。
これを可能にする直接空気回収(大気中のCO2を化学反応で吸収し、安定した地層に封じ込める)などの技術開発は気候テックのイノベーションとして注目を集めており、それなりのコストで実用化する可能性はあるかもしれません。
しかし、現在はエネルギー供給という目的を持つ産業活動の結果としてCO2が排出されていますが、将来はCO2を大気から除去することのみを目的とした産業が(むしろエネルギーを大量に消費しながら)、今のエネルギー産業に匹敵する規模で存在しないといけません。これはなかなか想像しづらい世界であり、筆者はこの可能性に賭けようという気にはあまりなれません。
1.5度を超えた世界
では、1.5度を超える温暖化が起きたら、世界はどうなってしまうのでしょうか。
もちろん、1.5度を超えたとたんに世界が終わるわけではありません。しかし逆にいえば、現在既に、「自分の人生にとっては世界の終わりに等しいような」洪水や干ばつや森林火災を経験する人は世界中に増え続けています。
しかも、そのような人たちの多くは、自らは温室効果ガスをほとんど排出しておらず原因に責任がない、低所得で脆弱な人々です。そのような理不尽な状況を一刻も早く止めることが、「1.5度」という目標に込められた最大の意味であると、筆者は解釈しています。
ただ、「1.5度」が何らかの物理的な意味を持った限界である可能性もあります。2022年にアームストロング・マッケイらの国際研究者グループが「サイエンス」誌に発表した最新の評価によれば、1.5度の温暖化で地球システムのいくつかの臨界点(ティッピング・ポイント)を超えてしまう可能性が高いとされています。
それらは、グリーンランド氷床の崩壊、西南極氷床の崩壊、低緯度のサンゴ礁の死滅、北方の永久凍土の急激な融解です。これらが本当に始まれば、海面上昇の加速、海の生態系への広範な悪影響、あるいはさらなる温暖化の加速などにより、人間社会に一層深刻な災厄をもたらすでしょう。
人類文明の危機なのか?
そうはいっても、これまで幸運にも気候変動の深刻な悪影響が自分に直撃していない人にとっては、この状況が人類文明の危機である感じはまだしてこないかもしれません。
筆者自身は何が一番心配かといえば、気候変動の影響によって世界各地で拡大する困難な状況が、紛争や難民を生じさせ、国際社会の秩序を不安定化させることです。
現在の国際社会は、様々な問題を抱えつつも、気候変動に関しては協力して対応する姿勢を崩していません。どの国も気候変動が進むと被害を受けますが、気候変動を止めるためには国際協力が不可欠だからです。
しかし、気候変動の悪影響がいよいよ深刻化して、多くの国で水や食料が逼迫し、難民が大量に溢れるようになると、各国が自国の生き残りで精一杯になり、協力をやめてしまうことは考えられないでしょうか。そうなったら温暖化を止めるすべは失われ、今の文明は長くはもたないと想像します。
そう考えると、1.5度目標が死のうが、瀕死になろうが、仮死状態になろうが、0.1度でも低く温暖化を止めることを目標に、国際社会が協力し続けることが何よりも重要と思います。
日本も対策の深掘りが必要
そのためには、各国が対策の深掘りを模索し続ける必要があります。
日本政府は、自らの2050年ネットゼロ排出目標を1.5度目標に整合するものという立場をとっていますが、筆者の考えでは、日本の目標は不十分です。
なぜなら世界で2050年にCO2排出ネットゼロを達成するためには、先進国は2050年よりも早く(たとえば国連のグテーレス事務総長の主張によれば2040年に)ネットゼロを達成する必要があるからです。
おそらく日本政府の感覚では、常識的に考えて、今の対策目標が精一杯であるか、むしろ背伸びをしている認識かと思います。それをどうやったら深掘りできるというのでしょうか。
常識の限界を押し広げる
筆者の想像では、今後、世界が1.5度目標に大きく近づくとしたら、それは多くの人が想像していなかったような形で「常識」が変化したときだろうと思います。
それはもしかしたら、気候訴訟で次々に若者が勝訴し、将来世代の権利が急速に重要視されることかもしれません(ドイツでは若者の訴えを憲法裁判所が認めたことで、ネットゼロ目標が2050年から2045年に前倒しされました)。
あるいは、バヌアツやツバルといった小島嶼国が提唱する「化石燃料不拡散条約」への支持が大多数の国に広がることかもしれません。
もしくは、発展途上国の脱炭素化がこのままでは不可能であることの認識が深まり、債務の削減や帳消しを含めて、先進国からの支援が何倍にも増えることかもしれません。
はたまた、「脱成長」的な議論が影響力を持ち、各国で過剰消費の規制が行われるようになることかもしれません。
各国がネットゼロ排出を目指すという今の常識を、十年前に多くの人は想像もできていませんでした。そのことを思い出せば、さらなる常識の変化が起きることは十分に期待できます。
瀕死の1.5度目標が息を吹き返す奇跡を起こすために、常識の限界を押し広げるような、創造的な思考と行動が求められます。
(初出:岩波『世界』2023年10月号「気候再生のために」)