バイデン大統領は菅総理がキングメーカーになることを望んでいる
フーテン老人世直し録(609)
長月某日
まもなく退任する菅総理が米国を訪れ、「クアッド」の初の対面会合に出席した。「クアッド」とは日米豪印4か国の協力関係を言い、中国包囲網を形成したい米国のバイデン大統領がG7サミットより重視する重要会合である。
その会合に辞めることが決まっている菅総理が出席した。辞める総理が重要な外交舞台に登場するのは異例中の異例である。しかしこの時期に「クアッド」を開催したのは、バイデン大統領の強い意向で、菅総理はバイデン大統領の要請を受けて出席した。
菅総理の突然の辞任表明にはバイデン大統領も驚いたようだ。年内に「クアッド」の初の対面会合を約束していたのに、菅総理の辞任表明は無責任としか言えないからだ。そこでバイデン大統領は菅総理が退陣に至った経緯を情報収集した。
米国の外交関係者によれば、菅総理も電話でバイデン大統領に直接説明をしたらしい。本来なら日本で新総理が決まるまで「クアッド」を延期するのが常識だが、バイデン大統領は菅総理をねぎらう意味も込め、「クアッド」の対面会合を菅総理が辞める前に開催した。
そこには後継総理が誰になるかを事前に探る狙いもある。そしてバイデン大統領と菅総理の間で交わされた日米関係の諸課題が、後継総理に継承されるよう話し合いがもたれることになった。
従って今回の「クアッド」は表向きは対中包囲網の構築だが、それに付随して表には出さないが、日本の自民党総裁選挙の帰趨について日米両首脳が腹合わせを行ったと見ることができる。
つまりバイデン政権としては、内政干渉になるから決して表には出さないが、菅総理の路線を引き継ぐ人物が後継総理に望ましいことを、今回の「クアッド」への菅総理の出席によって内外に知らしめようとしたと見ることができる。
今回の「クアッド」に付随して日米首脳会談が10分間行われた。そこでバイデン大統領は「総理大臣を退任した後も助言を求めたい。自分にとって非常に大きな存在であり、淋しくなる」と述べたと報道されている。
フーテンはバイデン大統領の「総理を辞めた後も助言を求めたい」という発言に少し驚いた。菅総理を「過去の人」にはしたくない意志が現れているからだ。つまり菅総理には政治的影響力を残してもらい、後継総理を育ててほしいと米国大統領が希望している。
この発言を自民党総裁選と重ねてみるとどうなるか。この選挙をフーテンは誰がキングになるかではなく、誰がキングメーカーになるかの選挙だとブログに書いた。つまり端的に言えば、これは安倍前総理がキングメーカーになるか、菅総理がキングメーカーになるかの戦いだ。
安倍前総理はかねてから岸田文雄に「禅譲」をほのめかし、岸田政権を傀儡にすることで国民が受け入れやすい憲法改正をやらせ、次に自分が総理に返り咲き、自分の願う憲法改正を実現することを夢見ているとフーテンは主張してきた。
これに対し菅総理は、自民党内では異端である河野太郎を重要な閣僚ポストに押し込み、河野を次世代の総理候補として育ててきた。本来は自分が総裁選に出馬し総理を続けるべきだが、数の力で自民党を支配する安倍―麻生連合に、その条件として二階幹事長交代を要求された。
菅総理はいったんはそれに抵抗したが、それよりも自分が出馬せずに河野太郎を担いで世代交代させる道を最終的に選択した。従って河野太郎が新総裁に選ばれれば菅総理はキングメーカーとして政治的影響力を残すことができる。
反対に岸田文雄が勝てば、安倍前総理がかねてから考えていた構想が実現し、キングメーカーになることで、安倍前総理の再々登板の目が出てくる。これがこの自民党総裁選の基本構図である。
安倍前総理は岸田政権を作るため、高市早苗という「噛ませ犬」を引っ張り出した。高市は安倍前総理の主張に近いが、何と言っても無派閥であることが都合が良い。細田派の会長になろうとしている安倍前総理にとって、細田派から総裁候補が出られるのは困る。自分が総理になる道を断たれてしまうからだ。
高市を支援することで党員・党友票を分散させ、党員・党友票で有利な河野の1回目での過半数獲得を阻み、上位2名の決選投票に持ち込めば、派閥の数で安倍―麻生―岸田が過半数を上回ることから河野に勝つことができる。
ところが安倍前総理が支援に熱を入れる余り、「噛ませ犬」の高市が岸田を上回るとの見方が出てきた。すると二階派が1回目の投票で派閥を挙げて高市に投票するという情報が流れ、上位2名は河野と岸田ではなく、河野と高市になると言われるようになる。安倍前総理に比べて老練な二階幹事長らしい政治術だ。
もし高市と河野で決選投票が行われることになれば、米国が靖国参拝を公約にしている高市を日本の総理として認めるかどうかが問題だ。それとどのメディアも書かないが、高市には若い頃ワシントンの議員事務所で働いていた時、外交上問題のある行動をとった過去がある。それを米国が問題視しないかどうかだ。
フーテンは冷戦が終わる頃ワシントンに事務所を持ち、米議会情報を取材していた。同じ頃に高市は米国から帰国し、亜細亜大学助手の肩書でテレビに出演するようになるが、ワシントンでフーテンが聞いた噂は大変恥ずかしいものだった。
彼女は松下政経塾の塾生の時、米国の超リベラルな女性議員であるパトリシア・シュローダーにあこがれて米国に渡り、その事務所で働いていたが、その時に在ワシントンのソ連大使館勤務の若い男と交際し、別の日本人女性と奪い合いを演じたというのだ。
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