イスラーム過激派の食卓:アンサール・イスラーム団のジハードは限りなく続く
イスラーム過激派の攻撃対象について考える際、しばしば出てくる言葉は「近くの敵」と「遠くの敵」という分類の方法だ。前者は、イスラーム共同体の内部に存在し、イスラーム共同体の復興や団結を妨げる者たちのことで、具体的にはイスラーム共同体の内部に存在する既存の国家の為政者たち、イスラームについてイスラーム過激派とは異なる解釈や実践をする者たちのことだ。「遠くの敵」とはイスラーム共同体の外から侵略や干渉してくる者たちのことで、具体的には欧米諸国、イスラエルなどの諸国や、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教などを信じる異教徒たちだ。つまり、地理的に隣にいようが、アメリカ軍やイスラエル(≠ユダヤ)は「遠くの敵」、どんなに遠くにいようともイスラーム過激派の主教解釈・実践に迎合しないイスラーム教徒(ムスリム)は「近くの敵」である。シーア派やアラウィー派のように、一般にはイスラームの宗派とみなされる者の信徒たちは、団体ごと、或いは政治的な機会ごとにイスラーム共同体の内と外のいずれにも位置付けられうる、ビミョーな存在だ。
これまでのイスラーム過激派の薄っぺらな社会基盤と近視眼的な活動の歴史を振り返ると、彼らは「近くの敵」を優先した時期(例えば1980年代~90年代のシリアやエジプト)、「遠くの敵」を優先した時期(例えば1990年代後半~2000年代前半のアル=カーイダ)、再び「近くの敵」を攻撃するようになった時期(例えば2000年代後半~の「イスラーム国」の仲間たち)とを行き来しているようにも見える。もっとも、この動きは、既存の政府の打倒に失敗し、イスラーム共同体の内部に居場所がなくなったイスラーム過激派が、「国際的な」活動に転じることを余儀なくされたとか、「アラブの春」後の混乱に乗じて「より居心地のいい場所」や「活動が黙認されるような攻撃対象」を求めただけのこと、といった戦術的・機会主義的理由で説明することもできる。イラン(≠シーア派)やロシア、アフリカの僻地の「背教者」や「不信仰者」しか攻撃しなくなった「イスラーム国」の振る舞いも、こうした観点から観察すべきだろう。
そのように戦術的・機会主義的に暮らすイスラーム過激派としては、アンサール・イスラーム団を挙げることができる。同派については幾度か雑文を書いたが、元々はイラクでアメリカをはじめとする占領軍や外国人(つまり「遠くの敵」)を激しく攻撃していたのだが、2014年頃にイラクからシリアに移転し、そこでシャーム解放機構(=シリアにおけるアル=カーイダ)の統制を受けつつシリア領を占拠してそこに入植するだけになった団体だ。アンサール・イスラーム団は、もはやイスラーム共同体を侵略する外敵と闘うことにも、イスラーム共同体内部でこれを蝕む内なる敵を打倒することにもたいして関心がない。そんなアンサール・イスラーム団が、最近機関誌『アンサール』第3号と称するファイルを発表した。同派は、2000年代から「先駆的な」広報を行う団体だったのでその作品は世界的に注目すべきものなのだが、機関誌の1号や2号がいつ出回ったのかちょっと記憶にないくらい、近年は活動が低迷している。そんな第3号だが、全部で20頁ほどの分量のうち、シリアのアクラード山地(注:ラタキア県北東端の山地のことと思われる)と称する地域でのムジャーヒドゥーンの食事の準備と題する画像群を掲載したページが1頁ほど含まれていた。
写真1は、どこかの調理台らしきところできれいに盛り付け・包装された料理に「堅固さ…堅固さ…ジハードは審判の日まで続く」と書かれたメモが添えられている画像だ。審判の日とは全ての人が神の裁きを受ける日、すなわち現世が終わる日だ。それは今日か明日かもしれないし、人類には予想もつかないくらい先の日かもしれない。このメモを見るだけでも、アンサール・イスラーム団は「ジハード」と称する活動を続けることこそが目的と化し、どんな政治目標をどうやって達成するのかを語ることができなくなっていることがよくわかる。同派がイスラーム共同体に関わるものも含む国際的な問題に関心を示さなくなっていることも、既に指摘したとおりだ。
肝心の料理の内容は、写真2のとおりご飯の上に肉や野菜がふんだんに盛り付けられ、日常的な食事や食堂の定食というよりは、レストランでのちょっとした祝宴を思わせる内容だ。数週間前に明けた今期のラマダーン明けの祝祭料理だったのかもしれない。一方、これまでの実績からアンサール・イスラーム団はそれなりに大規模な施設で大規模に調理した食事を、多数の拠点で任務についている構成員に毎日配布することができる兵站機能を擁していることが明らかになっている。今般の画像群にも、写真3のとおりピックアップトラックと思しき車両の荷台に上で紹介した料理を積み込んでいるらしき場面が含まれていた。アンサール・イスラーム団は、イラクではすっかり落ちぶれて活動ができなくなったにもかかわらず、シリアに流れ着いてからも同派の活動を支えるための資源が何処からか供給され続けているということだ。
アンサール・イスラーム団は、本来「助けてやる」はずのシリア人民を追い出した後に立派な調理施設を確保し、シリアの片田舎の山地に陣取る構成員たちに毎日せっせと食事を配布し続けている。これは同派の活動がそれなりに恵まれた状況にあることを示すのだが、その一方で写真1のメモにもあるとおり、同派とその構成員の活動は、どのような目標を達成すれば終わりなのかが永劫に見えない果てしないものになっている。このような状況は、シリア国外からアンサール・イスラーム団の活動に必要な資源を供給する当事者にとっても同様であり、そうした者たちも審判の日まで決して終わることのない「ジハード」にいつまでも寄付し続けるということになる。