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イスラエルでUNRWAの活動を禁止する法律が成立

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2023年10月7日の「アクサーの大洪水」以来、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)という名前が本邦の報道にもたびたび現れるようになった。これにまつわる難事や外交上の対立や人道問題が発生するたびにいちいち「UNRWAってなに?」との解説を記事や論考に加筆するのはもう面倒なので、いまだに「UNRWAってなに?」と尋ねたい場合はこちらを参照されたい。UNRWAがどう見えるのかは、長年のアラブ・イスラエル紛争、特にパレスチナ難民問題に対する立場に沿って異なるだろう。ある者にとっては「イスラエルに対するテロ活動」の隠れ蓑か共犯者であり、別の者にとってはパレスチナ難民の生存のために欠かせない機関である。またある者は、包摂も排除もできないし養うこともできないパレスチナ難民の世話を任せることができる機関だとみなすかもしれないし、そうして自己実現の可能性をほぼ閉ざされた状態のパレスチナ難民を養うだけの活動は、考えようによっては恐ろしい虐待や拷問にも見える。

 そのUNRWAについて、イスラエルの国会で同国の支配下の地域での活動を禁止する法案が可決・成立した。問題の法律が施行されれば、UNRWAのあらゆる活動やサービスの提供が禁じられ、1967年にさかのぼるイスラエルでのUNRWAの活動を許可した合意は破棄され、イスラエルの官憲とUNRWA職員との接触もできなくなる。これは、国連の加盟国であるはずのイスラエルが、当の国連機関を禁圧・解体しようとするなんだか面妖な動きであるとともに、加盟国が国連機関のうち都合のいいものだけを好きなように利用するという悪しき先例にもなりかねないことだ。イスラエルの「暴挙」の直接の口実は「アクサーの大洪水」以後の紛争だろうが、イスラエルとその仲間たちはUNRWAがあるからいつまでも「パレスチナ難民」が居なくならないと考えているので、今般の措置もアラブ・イスラエル紛争の長期的な文脈の中で生じたものと考えるべきだろう。また、イスラエルの「暴挙」に国際的に様々な非難や懸念が表明されているが、それに基づいてイスラエルの行動を止めることができる当事者は存在しないので、強者がほしいままに弱者を喰らうという「ジャングルのルール」の世界である「国際社会」を生き延びる術を考え実践せざるを得なくなるのはほぼ確実だ。

 当座の関心事は、ガザ地区やヨルダン川西岸地区でUNRWAが担ってきた人道支援をどう代替するかだ。イスラエルは、今般のガザ地区攻撃の「後」のことについて、ハマース(ハマス)にもパレスチナ自治政府(PA)にも同地区の運営をやらせないとの主張以上の構想を持っていないようだ。イスラエル軍がガザ地区を再占領し、イスラエル軍に同地区を支配する役職を設けて各国から寄せられる援助の配分を担当するという案も浮上したことがあるが、これはイスラエルが長期間(あるいは半永久的に)ガザ地区を占領することを意味する。それがイスラエルにとって費用対効果に見合う行動かは大いに疑問だし、仮にそうしたとしてもパレスチナ人民を殺戮しつくした後の、草木や石までもが背く居心地の悪い行動になるだろう。

 人道支援という観点からは、世界保健機関(WHO)、世界食糧計画(WFP)など、そのほかの国際機関もパレスチナ難民とガザ地区への支援に関与している。ただし、これらの機関はUNRWAのように「パレスチナ難民を支援する」という任務・目的の下でできたわけではないので、各種の国際機関が現状のままでUNRWAの機能や活動を代替することは困難だと考えられている。また、アメリカ軍のような主体の活動を想定したとしても、アメリカ軍がガザ地区の海岸に仮桟橋を設置して援助物資を搬入しようとした活動を、ほとんど物資を搬入することなく放棄してしまったことは記憶に新しく、これらにも期待できそうもない。その上、こちらもイスラエルの構想と称してガザ地区の運営や同地区への支援に地元の名望家や部族を起用する案が挙がることもあったが、「イスラエルの手先」としてガザ地区を管理する任務を引き受けたがる「地元民」はそんなに多くはなさそうだし、そもそも部族や名望家を通じてアラブの人民を管理しようとすることは、ものすごく時間と手間がかかるうえ、未来永劫そうした部族や名望家の相互関係を調整したり、彼らへの資源配分の割合を常時神経質に見直し続けたりしなくてはならない作業だ。近隣ではイラクやシリア、遠くではアフガニスタンで「占領統治」に部族や名望家を起用使用した事例を見れば、これが成功する確率は低いと言わざるを得ない。

 しかし、この問題を論じる諸国や報道機関の発想で最も「ダメな」点は、事態をガザ地区やヨルダン川西岸地区「だけ」での人道支援やパレスチナ難民支援だと矮小化してとらえていることだ。何度も指摘してきたが、UNRWAは一般にパレスチナだと信じられているところ以外にも多数居住しているパレスチナ難民をも対象に各種サービスを提供する機関だ。ここでイスラエルの法律によりUNRWAの存在そのものが大きく揺らぐことになると、「パレスチナじゃないところ」のパレスチナ難民への支援や、彼らの生活と存在そのものも大きな影響を受けざるを得なくなる。例えば、イスラエルによる攻撃でレバノンからはレバノン人、シリア人避難民が多数避難を強いられているが、レバノン在住のパレスチナ難民もそのような人々に含まれる。残念なことに、イスラエルによるレバノン攻撃で被害を受けたり避難を強いられたりしている人々への連帯の声は聞こえてこない。彼らを積極的に支援しようとする当事者も少ない。要するに、今般の紛争で観察や分析の焦点をごく狭い地域や個別の機関や団体に矮小化することは、アラブ・イスラエル紛争という大局をばらばらにし、局所的な人道問題として処理しようとすることに他ならないのだ。問題をそのように扱うことは、実はイスラエルによる侵略と占領と、その結果生じた難民の権利をどうするかという問題を「はじめからなかったこと」にして葬り去ることを意味する。こうした考え方は、2020年代に入ってアラブ諸国が相次いでイスラエルと国交を正常化したことと併せて顕在化している。今般のイスラエルの法律は、アラブ・イスラエル紛争とパレスチナ難民をはじめとする紛争の結果生じた様々な難題を、「はじめからなかったことにする」という発想と政策の中での大局的な問題としてとらえるものではないだろうか。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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