トランプ大統領の復帰と「イランの民兵」
少し前から「イランがイスラエルに対する反撃をイラク領から行う(に違いない)」というなんだか変な情報が出回っていたように、イラクやシリア(とヨルダン)は現在のパレスチナやレバノンでの戦闘とイランとイスラエルの間の攻撃に巻き込まれ、紛争の当事者となっている。イラクにもシリアにも(ヨルダンにも)各々の事情があり、好き好んで当事者になっているわけではないが、だからと言って各国を紛争に巻き込もうとする流れに抗うほどの力があるわけでもない。その結果、イラク(とヨルダン)は、過日のイスラエルによる対イラン攻撃で領域(特に領空)がイスラエルに軍事行動に利用されたのが明らかにも拘らず、「近隣国への攻撃に自国の領域を使用することを拒否する」といった類のメッセージを発信するしかすることがなかった。これを「猿芝居」と呼んだら、お猿さんにあんまりにも失礼だろう。そんな中で、アメリカの大統領選挙でトランプ前大統領が勝利した。これは紛争当事者、特にイラクやシリアで活動する「イランの民兵」の行動に何か影響を及ぼすだろうか。
端的に言うと、「アラブ・イスラエル紛争の公正かつ包括的な解決」という観点からはアメリカの大統領が誰であろうと、何か前向きなことは全く期待できない。特に、トランプ氏の場合は、アラブ・イスラエル紛争を「最初からなかったことにする」という方向の「解決」を推進している。そうなると、当然「パレスチナ」も「パレスチナ人民」も「そもそも存在しない」という「解決」と「ストーリー」が押し出されることになろう。ガザ地区やヨルダン川西岸地区での破壊と殺戮を止めるのが喫緊の課題であることは確かだが、そのために「パレスチナ」と「パレスチナ人民」を名実ともに抹殺し、「問題の最終的解決」に加担することになっては身もふたもないだろう。一方、イラクで活動する「イランの民兵」諸派の現在と今後のありかたには、トランプ氏の振る舞いの影響が非常に大きい。というのも、現在諸派がアメリカやイスラエルに対する攻撃を主に「イラクのイスラーム抵抗運動」名義で発信していることと、過去のトランプ政権のイラクでの行動やイランに対する振る舞いが大いに関係しているからだ。「イラクのイスラーム抵抗運動」は、元々「イランの民兵」と枕詞を付されるイラクのシーア派の武装勢力諸派がアメリカ軍を攻撃する際に用いる連合体の名称だ。「イランの民兵」諸派の多くは、実はイラク政府の下で公式な治安部隊の一翼としての法的地位を享受する「人民動員隊」を形成する組織でもある。ここでトランプ政権下のアメリカ軍がイランの革命防衛隊のスライマーニー司令官と「人民動員隊」のムハンディス幹部を暗殺した(2020年1月)ことにより、「イランの民兵」諸派は「アメリカ軍に仕返しや嫌がらせすること」と、「トランプ政権による地域情勢をぶち壊しにしかねない衝動的な攻撃を避ける」という相矛盾する目標を追求せざるを得なくなった。ここで、アメリカ軍に対する攻撃実行者をあいまいにするために便利なのが、「イラクのイスラーム抵抗運動」という名義だ。このやり方は、現在もイラクからイスラエルに対する攻撃についての戦果を発表する際にも用いられている。
その「イラクのイスラーム抵抗運動」をぼんやり観察していると、11月に入ってイスラエルに対する攻撃の戦果発表を発信する頻度が増加しているように見える。これらの攻撃は、「イラクのイスラーム抵抗運動」が「イランのすべきことを代行して」イスラエルに強力な攻撃を実行するなんて水準には到底及ばないし、彼らが発射したと主張する無人機が本当にイスラエルの標的に何か打撃を与えることもめったにない。また、「イラクのイスラーム抵抗運動」は、イラク領内のアメリカ軍拠点やシリアに違法に設置されているアメリカ軍の拠点を攻撃することによりアメリカ軍から攻撃されることを嫌がっているので、これらに対する攻撃を戦果として発表することがほとんどなくなった。毎日イラクからの対イスラエル・対アメリカ攻撃を観察している身からすると、冒頭で挙げた「イランがイラク領からイスラエルに対して強力な攻撃を行う」方法が全く思いつかない(ただし、色々な国の旅券を使ってイラク領内で活動しているイスラエル人が死んだり行方不明になったりする可能性は否定しない)。この問題で今後最も恐れるべきことは、アメリカ(やイスラエル)が「イラクのイスラーム抵抗運動」のささやかな嫌がらせをやり過ごしたりあしらったりするのではなく、「完全に黙らせる」ために思い切って叩きのめすという選択をすることだ。これまでの実績に鑑みると、トランプ氏とその仲間たちはそうする傾向が強いように見える。
しかし、思い切って叩きのめせば「イランの民兵」諸派やその背後にいるイランが恐れをなして沈黙し、万事うまくいくとは限らない。上述の通り、「イランの民兵」の多くは「人民動員隊」としてイラクの政府・治安に不可欠な存在だし、「イランの民兵」を擁する政治勢力の一部は2023年のイラク戦争の際、まさに「アメリカ軍の戦車に乗って」イラクに来た人たちだからだ。イラクで「イランの民兵」を叩きのめすことは、アメリカが膨大な時間と資源を費やして樹立した現在のイラクの政治体制の土台を破壊することになりかねないことだ。これについては本邦も無関係ではない。その上、「イランの民兵」を指導する人々は、何らかの形でイラクの社会を代表する人々だ。そうである以上、「イラクの民兵」やそれとつながる政治勢力・社会的指導者たちは国際関係や地域の紛争の展開と関係がない場面でも、個々の利益を主張し、場合によっては暴力的な形でそれを表明せざるを得ない。黙らせる、殲滅するとは口で言うのは簡単だが、イラクでもシリアでもレバノンでもパレスチナでも、民兵や武装勢力を根絶することは非常に難しい。短期的な成果を上ようと何度ぶちのめしても長期的な安定につながらず、手間と費用がかかる一方となると、問題を投げ出そうとして衝動的な言動をする、というのが、かつてのシリア紛争や「イスラーム国」対策で見られがちだったトランプ氏の言動だ。本当に投げ出されると困る当事者も多かった結果、現在もイラクとシリアにはなんだか中途半端な規模と活動内容のアメリカ軍が駐留していて、これがまた「イラクのイスラーム抵抗運動」と衝突する問題を繰り返す。結局のところ、「イランがイスラエルに対する反撃をイラク領から行う(に違いない)」との情報を裏付ける客観的情勢は乏しいし、アメリカの大統領が誰であろうと地域の安寧や地域の人民の生活水準や権利状況の改善という観点からは、アメリカは「中途半端で無責任」な関与を続けるとしか言いようがなさそうだ。