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「イスラーム国」はアメリカの敵を撃つ

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:アフロ)

 2024年3月22日、ロシアのモスクワ近郊でコンサート会場が襲撃され、多数が殺傷された。この事件について、みんなが待ってた(?)「イスラーム国」の「犯行声明」が出回ったことになっている。ただし、本稿執筆時点で出回っているのは「イスラーム国」の自称通信社の「アアマーク」によるニュース速報であり、「犯行声明」ではない。それによると、数百人を殺傷し襲撃場所を大きく破壊したそうなので、今後「アアマーク」によって襲撃犯の画像などを含む詳報が発信されたり、「イスラーム国」が本当に「犯行声明」を発表したりすることも十分考えられる。襲撃犯が「イスラーム国」の自称カリフに忠誠を表明する場面の動画を発信するのも、この種の事件の際の「イスラーム国」のお決まりの行動様式だ。ただし、「アアマーク」の速報によると襲撃犯は複数で、彼らは拠点に引き上げたそうなので、ロシア当局が彼らを逮捕したり、拠点を摘発したりすれば新たな情報が出てこなくなることもありうる。捜査の結果出てくる情報が自派の広報のストーリーと異なる場合、知らんぷりを決め込むのも「イスラーム国」のお決まりの行動様式だ。現時点で確かなことは、「アアマーク」の速報が出たというところまでであり、速報の内容が事実であるとか、襲撃が「イスラーム国」による作戦であるとかといったところまでは確定したわけではない。この種の事件については、「本物の犯行声明」が出回ったとしても、「それが事実であるかどうか」とは別問題だということを忘れてはならない

別稿で指摘した通り、最近の「イスラーム国」の活動は一言で言うと「さっぱり」で、政治的に見るべき点は全くと言っていいほどない。同派が何よりも熱心に取り組んできたはずのイスラーム圏での「背教者(=「イスラーム国」と宗教・宗派的帰属が同じ者たち)」への攻撃も最盛期に比べればかなり減少し、最近の同派の「戦果」はサヘル地域やコンゴ、モザンビークのようなアフリカの、しかもこれらの地域でも僻地と思われる所で村落を襲撃し、一般の住民を殺戮するものの割合が上昇している。一方、最近の「イスラーム国」の活動で注目すべき点は、アメリカやイスラエル(≠ユダヤ)と戦っているかのように装いつつ実はこれらを一切攻撃しないところだ。アメリカやイスラエル(≠ユダヤ)を攻撃すれば強力な反撃が予想されるため、「イスラーム国」も現世的な組織の成功や存続を考えてそのような対象への攻撃を控えることになる。となると、「イスラーム国」はある程度広報効果が見込まれ、なおかつたいした反撃をしてこないであろう「敵」を探し出さなくてはならない。EU諸国のいくつかがイスラーム過激派に執拗に攻撃される原因の一端はここにある。少なくとも軍事的にイスラーム過激派と戦う術を一切持たない本邦も格好の攻撃対象に見えるし、「イスラームへの敵対」という観点からは世界で最高水準の中華人民共和国もいつでも攻撃対象になりそうだが、これらがイスラーム過激派から特につけ狙われていると信じるに値するような材料はない。

そうした状況下で「イスラーム国」の攻撃対象として浮上してくるのは、今般のロシアや2024年1月4日に爆破事件が発生したイランのような「アメリカ(やイスラエル)の敵」たちだ。「イスラーム国」とその支持者・模倣者の粗雑な世界観では、アメリカとロシアとの対立は認識できず、両方とも「十字軍」にしか見えない。イランについても、イスラーム共同体の内部に巣食う「ラーフィダ(シーア派の蔑称)」として外敵よりも先に殺すべきものでしかない。つまり、イランとアメリカやイスラエルとの競合や敵対は「イスラーム国」とその仲間たちには知覚できない。しかも、「イスラーム国」にとって都合のいいことに、ロシアやイランを攻撃しても欧米諸国の政府や世論はたいした反応をせず、「イスラーム国」への取り締まり強化の圧力が増さない。シリア紛争の際に見られたように、アメリカなどの諸国は自らの政治的都合によって「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派を黙認・放任するどころかそれと知りつつ支援することも少なくないので、現世での成功と組織の安寧を願う「イスラーム国」の経営者たちが「攻撃対象を選ぶ」のはいたって合理的なことだ。

 そのような経緯もあってか、今般の事件でも1月のイランでの事件でも、アメリカの反応は「数週間前から攻撃の兆候を知っていた」という他人事を論評する程度のものにとどまっている。「イスラーム国」の資源の少なくとも一部は欧米諸国で調達されているし、広報のような同派をはじめとするイスラーム過激派の活動の大部分は(非民主的なロシアやイランではなく)自由で民主的な欧米諸国の制度や社会に寄生して営まれているので、特定の攻撃を阻止することは無理だとしても、アメリカ当局には「イスラーム国」の活動を邪魔するためにできることがたくさんあるはずだ。各国が「テロとの戦い」に膨大な資源をつぎ込んでいることに鑑みれば、なおさらだ。これは、「テロとの戦い」において、「テロ」という用語が学術的な定義(=あらかじめ計画された政治的暴力)とは無縁に、単に敵対者の正当性を剥奪するための魔法の呪文として使われていることに起因する。現実の問題として、アメリカもロシアも中国もイスラエルもその他多くの諸国も、「テロ」をそういうものとして理解している。このような意味で「テロ」という用語を使用していれば、同じ主体の同じ行為でも「マトが何か」によっては見逃すどころか奨励することも可能になる。「イスラーム国」をはじめとする「テロ組織」の経営者たちはそれなりに優秀な人々なので、彼らはこうした機微をよく理解していると思った方がよい。「テロとの戦い」の恣意的な運用が、9.11事件や「イスラーム国」の増長のような形でより広汎な害悪につながるという教訓を人類が共有していないようなのは悲しいことだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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