遺体安置所で立ちすくみ、血のついた遺品に絶句… 交通犯罪で娘奪われた両親が願う「被害者支援」
■血の付いた遺品を返されたときの衝撃と動揺……
『娘の事故から数日後、警察署まで遺品を取りに来るように言われました。主人と出向いたところ、血液をたくさん吸って重たくなった娘の洋服、リュックサック、靴などをそのまま返されました。つぶれた自転車は怖くてすぐに見ることができないと思ったので、そのまま警察に置かせてもらいました。柳原さんも記事に書かれていましたが、遺品の返還の仕方にも、いろいろあるのですね……』
というメッセージを寄せてくださったのは、2年前、長女の紗愛理(さえり)さん(当時20)を交通事故で亡くした愛知県の坂田和彦さん、栄子さん夫妻です。
坂田さんが読んでくださったのは、「耀子ちゃん、お帰り…」事故から1年7か月 両親に返された思い出のダウンコート【葛飾・父娘死傷事件】(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース です。
この記事では、交通事故で亡くなった11歳の娘さんのダウンコートやブラウス、スニーカー等を、警視庁葛飾署がきれいに洗濯し、たたんで袋に入れたうえで、両親のもとに返還する様子を紹介しました。事故から1年7か月後の返還でした。
母親の栄子さんはこう話します。
「ご遺族とは面識があったので、葛飾署が心ある対応をしてくれて本当によかったと思いました。実は、私たちの場合、警察から返された娘の遺品を家の中に持って入ることはできませんでした。匂いがとても酷かったからです。もう1枚袋に入れて屋外の物置に入れましたが、それでも外まで匂いが広がりました。でも、これは娘が最期に着ていた大切な服なのです。本当に途方に暮れてしまいました……」
坂田さんのお話を聞きながら、そのときの思いが痛切に伝わってきました。
上記記事でも触れたのですが、私自身もバイク事故で亡くなった友人の遺品を、事故から約1か月後、警察署に取りに行ったことがあったからです。
実はあのとき、私も坂田さん夫妻と同じく、その匂いに大きなショックを受けたことを今でも鮮明に覚えています。
坂田さん夫妻が遺品を取りに行ったのは、事故から数日後のことです。娘さんを亡くしてからまだ浅い時期に、遺品が詰め込まれたあのビニール袋と向き合うというのは、どれほどの覚悟が必要だったことでしょうか……。
■事故から2年が過ぎても……
坂田さん夫妻は、紗愛理さんの遺品の返還を受けた2日後、思い切って行動を起こしました。
「事故直後、初めて愛知県警安城署へ行ったとき、50代くらいの警察官から『何か困ったことがあったら電話してください』と声を掛けられ、名刺を渡されていました。とりあえずその方に電話をかけて、事情を話してみると『こちらで洗濯をして、血を洗い流してから返すので持って来てください』と言ってもらえました。それで私たちはもう一度、服の入った袋を車に積んで、再び安城署へと出向いたのです」
それから数日後、警察官によって、きれいに洗濯された紗愛理さんの衣類が、坂田さんの自宅まで届けられました。
実はこのとき対応した警察官が、坂田さんの被害者支援担当官だったのです。
坂田さん夫妻は、血だらけの衣類を警察官が手洗いできれいにしてくれたことについては感謝しているといいます。
ただ、結果的に洗って返すことになるのなら、最初の時点で「そのまま返すか、それとも洗った方がよいか」を一言聞いてくれれば、あのような辛い思いをせずに済んだのではないでしょうか。
一方、これまでの取材の中では「遺品はそのまま手元に戻してほしい」と希望する遺族がおられるのも事実です。また、ときとして、事故状況に疑念が生じたとき、衣類などが再検証の際の証拠になることもあります。
被害者が最期に身に着けていた衣類や携行品の返還については、どのようなかたちがベストなのか、その答えはひとつではないだけに、難しい問題だと感じました。
「自転車のほうは事故から約2ヵ月後、初盆の時期になった頃、車で運んでいただきました。でも、事故から2年以上たった今も、ブルーシートに包んだままの状態で、未だに怖くてじっくり見ることができないんです……」(栄子さん)
■娘の遺体、「連れて帰って」と言われても……
紗愛理さんの事故の概要と裁判については、昨年、以下の記事で取り上げました。
青信号の横断歩道で奪われた娘の命 危険な「巻き込み事故」に執行猶予は必要ですか?- 個人 - Yahoo!ニュース
父親の和彦さんは語ります。
「紗愛理は青信号の横断歩道を自転車で横断中、前方不注意で左折してきた10トントラックに押し倒され、自転車ごと下敷きになったのです。現場で死亡が確認されたため、病院に搬送されることはなく、私たちが対面したときには、安城警察署の薄暗い遺体安置室に一人寝かされていました。目から上は、タイヤに踏みつぶされてなくなっているという無残な姿でした……」
顔貌での身元確認が難しかったため、警察は当初「DNA鑑定の結果が出るまで1週間ほど遺体が返せないかもしれません」と説明しました。しかし、事故直前に紗愛理さんが立ち寄ったコンビニのレシートと防犯カメラ映像が決め手となり、まもなく遺体は紗愛理さん本人と確定したのです。
栄子さんは振り返ります。
「すると、警察はこう言ったのです。『もう本人確認は終わりましたので、娘さん連れて帰っていいですよ』と。でも、頭が破壊されたまま遺体安置室にいる娘を、いったいどうやって連れて帰ればよいのでしょうか……。あのときはまさにパニック状態で、絶望の上、途方にくれてしまいました。本当にどうすればいいのかわかりませんでした」
結局、坂田さんは知り合いが勤めている葬儀社に依頼し、紗愛理さんの遺体はその夜、葬儀社の方に安置されることになりました。
■真の犯罪被害者支援のあり方とは
「遺体安置所での警察官の対応や当初の遺品の返還は、娘の突然の死に直面し、パニックになっていた私どもにとってあまりに辛く、今思えば『心情に配意した適切な対応』とは言いがたいものでした。とはいえ、私たちの場合、こちらからお願いすることで警察にはその都度、親身な対応をしてもらえました。でも、全国各地には、全く無視されたり、逆に叱られたり、もっと酷い目に遭っている被害者遺族もおられます。警察官が考える被害者支援と、遺族が求めるそれには、今も大きな隔たりがあるのではないでしょうか」
そう語る坂田さん夫妻は、2021年1月、『交通事故被害者及び被害者遺族への支援と対応について』と題した書面を愛知県警安城署に提出しました。その中には、突然の交通事故で家族を亡くし、パニック状態に陥っている遺族に対し、どのような配慮やサポートが必要であるかが、坂田さん夫妻の体験に基づいて具体的に書かれています。
『警察による犯罪被害者支援マニュアル』には、『交通事故被害者の心情に配意した適切な対応が行われるよう、各警察署において実施される被害者連絡について指導を行うとともに、交通捜査員に対して適切な被害者連絡に資する教育等を実施しています』と記載されています。
「日々多くの事件・事故が相次ぐ中、警察の方々は本当にお忙しいと思います。決して、警察の対応に異議を唱えたいわけではありません。ただ、私たちの体験や遺族の心情を知っていただき、今後の犯罪被害者支援のために生かしてもらいたいと思っているのです」(坂田さん)
この書面の中で、私は次の一文がとても印象に残りました。
『決して事故死に慣れないでください。遺族にとっては初めての、一番辛い経験だということを忘れないでください』
■「もう泣いてばかりはいられない」草の根運動始めた両親
2021年7月、坂田さん夫妻は『これ以上交通事故で悲しむ人が増えないでほしい』と願う仲間たちと共に、草の根運動をスタートさせました。
会の名称は「あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会」。知立市社会福祉協議会へボランティア活動登録も済ませました。
坂田さんたちメンバーは、紗愛理さんが生前、趣味のカゴ作りのために購入していた色とりどりの遺品のクラフトテープで、交通安全への啓発を呼び掛けるストラップを作り、地元の安城署、知立市役所、安城自動車学校などに配布する活動を行っています。
坂田さん夫妻は今後の目標についてこう語ります。
「紗愛理の人生はたった20年11ヵ月で終わってしまいました。でも、このストラップと、チリンと鳴る鈴の音にのせて、『被害者にも、加害者にもならないように……』というあの子の優しい想いが人々の心に響くよう、この先もコツコツと活動を続けていきます。これ以上、理不尽な事故で子供や若者の命が奪われない社会にしたいのです。私たちも、もう泣いてばかりはいられません」
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