大統領になることに人生を賭けたヒラリーの誤算
フーテン老人世直し録(263)
霜月某日
アメリカのトランプ政権が何を目指すのか、おそらくトランプ自身もまだ分かっていないうちから押しかけて安倍総理は会談を行い、「世界で最初の首脳会談」が日本では大きなニュースになった。
次期大統領としてまだ準備が整っていないトランプと会う事を首脳会談と呼ぶべきではない。実際に家族も同席するプライベートな環境の中で行われ、日本の総理が土産を持って次期大統領に「面会」したという話である。それを「世界で真っ先に会談してもらえた」と喜ぶ報道を見るといささか恥ずかしさを覚える。
日本はGDP世界第三位で第一位のアメリカに後れを取るが、しかし25年連続で世界一の金貸し国であり、金の貸し借りだけで言えば世界一の借金国であるアメリカより優位にある。それが「もう日本の面倒は見れない」と借金国から言い出され、慌てて金貸し国が土産を持って駆けつけた話で、「会談できた」と喜んだり騒いだりする話ではない。
ところで、大統領選挙から10日余りがたち、フーテンの心の中にはファースト・レディの頃から初の女性大統領を目指す存在として見続け、今年の大統領選挙でその夢を散らせたヒラリー・クリントンへの思いがある。彼女の有為転変と挫折は彼女の二面性と政治が持つ残酷さを物語る。
ヒラリー・クリントンを意識したのは1992年の大統領選挙に戦後生まれのビル・クリントンが勝利し、直後にアーカンソー州リトル・ロックで全米の学者、官僚、経営者、労組幹部を集めて開かれた「経済会議」を政治専門テレビC-SPANで見た時である。
ソ連崩壊後の世界でアメリカの最大の脅威は日本経済だったが、「経済会議」では日本型資本主義、とりわけ国民皆保険制度に強い関心が示された。まるでアメリカが「日本に追いつき追い越せ」を議論しているように見えたが、その議論の中心にいたのがクリントン夫人ヒラリーだった。
ホワイトハウス入りするとヒラリーはファースト・レディ用エリアではなく大統領用エリアに自分の部屋を設け、国民皆保険制度を導入する委員会の委員長に就任した。しかし国民皆保険には野党共和党、保険会社、製薬会社、中小企業などが強く反対し、1994年の中間選挙で民主党は惨敗、多数を持っていた議会との間に「ねじれ」が生じた。
選挙に敗れたクリントン大統領は一転して共和党の「小さな政府」路線にかじを切る。そしてヒラリーも大統領エリアの部屋から退去し、ファースト・レディに専念するようになった。その変わり身の早さにフーテンは驚いたが、同時にこの夫婦には並々ならぬ政治的野心があることを感じた。
ヒラリーは国民皆保険制度の実現をいったんは封印した。そして今度は一冊の本を書く。「It Takes a Village(それをやるのは村)」というアフリカの諺がタイトルの本で、子供を育てるには家庭だけでなく地域社会の役割が重要という内容である。
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