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コメの自由化を巡る極秘文書公開が弱小体制の石破政権にとって意味するもの

田中良紹ジャーナリスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

フーテン老人世直し録(783)

極月某日

 外務省は26日に外交文書11冊を公開し、1993年に行われたコメの輸入自由化を巡る日米交渉の極秘文書を明らかにした。それによると宮沢総理とクリントン大統領の首脳会談で、宮沢総理は与党が参議院で過半数割れしていることを理由に自由化に難色を示した。

 しかしその直後の総選挙で自民党は野党に転落、細川連立政権が誕生して、細川総理はコメ輸入の全面開放ではなく、ミニマムアクセス米を輸入する部分開放を決断し、それまで国会で「一粒たりともコメは輸入しない」と決議していた輸入禁止の方針を撤回した。

 このニュースを見て、今の時期に31年前のコメの自由化を巡る外交文書が公開されたことの意味をフーテンは考えた。宮沢政権は参議院で与党が過半数割れしていることを理由にアメリカの要求に難色を示したが、現在の石破政権はそれどころではない。与党が衆議院で過半数割れしている。

 野党の協力がなければ法律を1本も通せない状況は、アメリカの要求を断る口実になることをニュースは示唆している。31年前には直後に政権交代が起きたため、日本は限定的なコメの輸入を受け入れたが、政権交代が起きずに石破政権のような弱体政治が続けば、与野党が協力して国益にならない要求を断ることが可能かも知れない。

 強い政権基盤があれば国益にかなう政治ができるとは限らない。日本が真の独立国ならばそれはあるだろう。しかし米軍に防衛を依存し、国土を米軍に提供しているアメリカの「保護国」であることを思えば、与党が自分だけの判断で決められない「宙づりの政治」にはむしろ利点があるかもしれない。

 フーテンがそう考える根拠をフーテンの経験から紹介したい。81年にフーテンは興味深い事実を知った。アメリカが自分はコメを食べないのに水田面積を年々増やしていたのである。それがなぜかを調べるため水田面積の多いアーカンソー州、ルイジアナ州、テキサス州、カリフォルニア州を取材した。

 分かったことは、アメリカの農業は自分達が食べるためではなく、アメリカの世界戦略の一環だった。米国農務省の元次官は「第二次大戦後に戦争が起きている地域は、朝鮮、ベトナム、中東などみなコメを食べる地域だからコメは戦略物資」と言った。紛争地にコメを提供するため、アメリカは戦略上コメの生産が必要なのだ。

 さらに欧州にEUができて域内の関税をなくしたため、欧州向け農産物輸出が減ったアメリカは、欧州で作れない作物を輸出する必要に迫られ、コメに目が付けられた。それがアメリカに水田面積が増えていた理由だった。

 そしてアメリカは「一粒もコメは輸入しない」と国会決議していた日本に対し、それをこじ開けようと考えていた。ワシントンには政治家に働きかけ政策を実現させるロビイストと呼ばれる職業があるが、その中で最強と言われたのはRMA(精米業者組合)である。世界各国にコメ輸出を図っていた。

 RMAの専務理事はフーテンにこう言った。「日本の国会決議を一応は尊重する。なぜなら日本の都市と農村には経済格差が存在する。自民党が自分たちの票田であるコメ農家を保護するのは一種の社会保障政策として理解する。アメリカにとって自民党は必要だ。その票田を潰す気はない。

 しかし自民党は都市と農村の格差を解消すべきだ。そして自民党は支持を農村から都市に広げるべきだ。それらが達成されるまでアメリカは日本にコメの輸入を要求しない。しかし達成されれば要求する。自民党は1日も早く達成すべきだ」。

 フーテンがこの話を聞いたのは81年10月だ。そしてこの話を鮮明に思い出したのが86年7月だった。中曽根総理が衆参ダブル選挙を断行して大勝し、「わが自民党はウイングを都市の若者にも広げた」と意気揚々と演説したのである。フーテンは聞いた瞬間アメリカがコメの輸入自由化を要求してくると思った。

 すると1週間後の新聞にRMAがUSTR(アメリカ通商代表部)に日本を提訴したという記事が掲載された。そして9月に農産物の輸入規制を撤廃するGATTウルグアイ・ラウンドの交渉が開始されたのである。フーテンは外務省担当記者として地球の裏側になるウルグアイに出張し交渉を取材した。

 自分の経験からフーテンは、アメリカがコメの輸入自由化を要求してきた理由は自民党が300議席を獲得したこと、都市部に支持を広げたという中曽根演説だと考えている。まさにアメリカが待ち望む展開だった。

 我々の世代は学校給食でコッペパンと脱脂粉乳を食べさせられた世代である。その頃は食糧難の日本にアメリカが援助の手を差し伸べたと思っていた。そして教師からは「コメを喰うと頭がぼける」と言われ、パン食に誘導された。しかしそれはアメリカの遠大な計画であったことを米国農務省の元次官から教えられた。

 子供にパンの味を覚えさせれば、日本は永遠にアメリカの食糧に依存するようになる。アメリカはそう考え、日本で実験してみたというのである。結果は大成功だったと元次官は言った。その結果、日本の食糧自給率は38%、韓国と並んで先進国では最低である。

 日本はアメリカによって自立できない国にさせられた。それに対する抵抗が「一粒たりともコメは輸入しない」という国会決議に結びついた。しかし自民党の選挙大勝でアメリカは輸入自由化の声を上げ、ウルグアイ・ラウンドの交渉が開始され、日本は追い詰められた。

 ところが3年後の89年の参議院選挙で、自民党は消費増税と宇野総理のスキャンダルにより、初めて過半数を失い「ねじれ」が生まれた。「ねじれ」は法案成立を困難にする。宮沢総理はそれを理由にコメの輸入自由化に難色を示した。

 しかしその直後の政権交代で、日本側には抵抗するカードがなくなった。今回の外交文書の公開はその一端を示している。つまり対米交渉において政権基盤が強いことが必ずしもプラスではなく、政権基盤の弱いことがマイナスではないことがある。弱体政権の石破政権には弱体だからこそやれることがあるはずで、状況は必ずしも悪いことばかりではない。

 戦後の日本政治は国民には与党と野党が対立しているように見せながら、実は与党と野党が水面下で手を握り、アメリカを騙して経済的利益を追求してきた政治である。その代表的人物が吉田茂だ。

 吉田は保守政治家の象徴のように思われるが、彼が大蔵大臣に就任を要請したのはマルクス経済学者の大内兵衛である。大内はそれを断り初代の統計委員長になるが、大内の門下生の有沢広已は経済復興のブレーンになった。また第一次吉田内閣で農林大臣となり農地改革を実行した和田博雄は後に社会党議員になり左派の理論的支柱となった。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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