米最高裁が「言論の自由を侵害する」として撤廃した「政治的公平」を強化した安倍政権の恥部
フーテン老人世直し録(695)
弥生某日
前回のブログで、林芳正外務大臣を3月1,2日にインドで開かれたG20外相会議に出席させないよう、同日に参議院予算委員会の基本的質疑を設定したのは、最大派閥安倍派の世耕弘成参議院幹事長と野上浩太郎国対委員長ではないかと書きながら、しかし最後でそれはそう思わせるように岸田総理が仕組んだ策略かもしれないと書いた。
3日の予算委員会で立憲民主党の小西洋之参議院議員が、総務省の内部文書を入手したとして、安倍政権が放送法の解釈を変更しテレビ局を委縮させるようにしたと追及したことが、岸田総理による「安倍・菅にまたがる追い落とし」を直感させたからである。
読者には分かりにくいと思うので補足的に説明すると、まず岸田政権に対するフーテンの見方は、メディアや野党の考え方と全く異なる。メディアや野党は、岸田政権を安倍元総理に操られた「安倍ロボット内閣」で、岸田政権はすぐにでも倒れるかのように言う。
しかしフーテンは、弱小派閥の総理が最大派閥に挑戦する時のやり方を基本に考えている。例えば中曽根内閣は、最大派閥田中派の支援がなければ1日たりとも存続できない政権だった。中曽根氏は田中角栄元総理の傀儡となり、メディアは「田中曽根内閣」と揶揄した。
しかし中曽根氏は総理になった瞬間から田中氏を裏切る策をめぐらす。田中派内で最も中曽根嫌いで有名な金丸信氏に這いつくばって協力を要請、金丸・竹下氏らが派内でクーデターを起こすのを待つ。クーデターが原因で角栄氏は病に倒れ、中曽根氏は初めて独自の権力を手にした。その過程を現役記者だったフーテンはつぶさに見てきた。
岸田総理も同じことをやると思っていると、中曽根氏よりも強腰で、最初から人事で安倍元総理を激怒させた。選挙区で安倍氏の親の代からの敵であり、親中派の筆頭である林芳正氏を外務大臣に起用し、さらに防衛省から安倍氏に忠実な事務次官を負い出し、外務・防衛両省から安倍氏の影響力を排除した。その人事は中国の習近平国家主席を喜ばせた。
一方で岸田総理は、ウクライナ戦争でも安保3文書でも原発重視路線でも米国のバイデン政権の言いなりだ。中曽根氏もそうだったが、弱小派閥が最大派閥に挑戦するには米国を味方に付けなければならない。岸田総理は表では米国べったり、裏では中国と良好で、さらに安倍派内に対立が生まれるよう画策した。
まず東京五輪疑惑で自らへの飛び火を恐れる森元総理を抱き込み、森氏に安倍派内を押さえさせ、森氏が推薦する萩生田政調会長を次期会長にする構えを見せる。これが世耕氏の反発を生み、世耕氏は自分が安倍元総理の後継者であることをアピールした。
それが林外務大臣のG20出席阻止であり、植田和男次期日銀総裁候補に対する「アベノミクスを踏襲せよ」という国会質問であり、小西議員が追及した放送法の問題でも安倍元総理の関与を強く否定してみせる。
それによって日本の外務大臣が国会審議を理由にG20を欠席する事態が生まれ、国際社会に日本の民主主義の恥部をさらした。それは日本の閣僚が国会審議に縛られ、国際会議に出席できなかった55年体制の自社馴れ合い国対政治から、いまだに脱却できていない実態を見せつけた。これがフーテンの一つの見方である。
他方でフーテンは小西議員の追及を見て、事態をさらに裏読みする気になった。この時期に菅義偉前総理の権力の源である総務省から内部文書が野党議員に渡った理由は何か。しかも文書の内容は、安倍元総理が集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更で認めさせようとして、批判的なメディアを潰そうと準備していた時期のものである。
登場人物は安倍元総理と磯崎陽介総理補佐官と当時の高市早苗総務大臣(現在の経済安全保障担当大臣)である。まず2014年11月の衆議院解散直後に磯崎補佐官は総務省に放送法の「政治的公平」について問い合わせを行った。
放送法第4条で、放送事業者は「番組編集で政治的に公平であること」が求められるが、それまで放送事業者の番組全体で判断するとしていた解釈を、一つの番組だけでも判断できるのではないかと磯崎補佐官は総務省に問いかけた。
15年3月に安倍元総理も同様の考えを示し、国会の総務委員会で総務大臣が答弁する形で解釈を変更するよう発言する。15年5月12日に高市総務大臣は安倍元総理の考え通り「一つの番組のみでも判断できる」との国会答弁を行った。
その翌々14日に安倍政権は、集団的自衛権行使を容認する「平和安全法制」を国会に提出し、19日から衆議院で審議を始めた。国会が反対運動のデモに取り囲まれる中、法案は9月19日未明に参議院本会議で可決成立した。放送事業者を委縮させながら安倍政権は目的を達した。
放送における「政治的公平」とは、地上波放送のチャンネル数が無限でないため、電波を割り当てる際に放送事業者に対し、政治的に偏らないことを求めるものである。米国でも「フェアネス・ドクトリン」と呼ばれ、地上波放送には政治的公平が求められたが、1987年にケーブルテレビや衛星放送が普及したことを理由に廃止された。
米連邦最高裁は、チャンネル数が増えたのに「公平の原則」で番組内容を縛ることは、むしろ言論の自由を侵害すると判断した。つまり米国では36年も前に日本の放送法4条に当たる「政治的公平」を言論の自由に反するとして撤廃したのである。
番組は自由な言論を行い、ただし反論したい人間が現れれば、それを締め出してはならない。それが米国の考える政治的公平である。ところが日本では地上波放送以外のチャンネルが増えても放送法4条を見直すどころか、規制を強めて批判を許さないという動きが安倍政権で始まった。
日本の新聞とテレビがどれほど世界標準から外れているか、ほとんどの日本人は知らないでいる。毎日、金太郎飴みたいな番組を見せられて知力を劣化させているのが日本人だ。米国は36年前にその弊害に気付き、世界もそれに倣っているが、日本だけは気づかないままで、安倍政権でいよいよひどくなったわけだ。
この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2023年3月
税込550円(記事5本)
2023年3月号の有料記事一覧
※すでに購入済みの方はログインしてください。