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韓国は本当に誰も揺さぶることのできない国を作るのか

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(457)

葉月某日

 74年前に日本がポツダム宣言を受諾した8月15日を、日本人は「終戦記念日」と呼ぶが、韓国では「奪われた主権を取り戻した日」という意味の「光復節」と呼ぶ。つまり韓国にとってこの日は日本の植民地支配から解放された記念日である。

 このところ輸出管理を巡る応酬で戦後最悪と言われる日韓関係の中で、韓国の文在寅大統領が日本に対しどのような演説を行うかが注目されたが、文大統領は「日本が対話と協力の道に出てくるのであれば、私たちは快く手を結ぶ」と述べ、慰安婦問題や徴用工問題に言及しなかった。

 一見、対日批判を和らげたと思える演説だが、しかし文大統領は「先に成長した国が後から成長する国のハシゴを外してはならない」とくぎを刺し、一方で朝鮮半島の平和的な統一を成し遂げ、北はロシアからヨーロッパ、南はアセアンからインドにまたがる経済圏を作る構想を語った。

 そしてそれが「日本を追い越す道で、日本を東アジア協力という秩序に導く道だ」と言った。「誰も揺さぶることのできない国を作る」というのがこの日の演説のキーワードだが、それは日本が仕掛けた輸出管理の強化に揺さぶられた反省から生まれた言葉ではないかとフーテンは思った。つまり今回のことで日本を追い越す決意を強めたのだ。

 演説の最後に文大統領は日本の植民地支配に抵抗し投獄された3・1独立運動指導者の言葉を引用し、他の力ではなく自らの力で統一と経済強国を目指すことを国民に呼びかけた。問題は韓国が他力ではなく自力でその道を拓けるかである。

 74年前の8月15日、日本帝国主義からの独立を叫んだ韓国人は自らの手で独立を勝ち取ることをしなかった。1919年の3・1独立運動から生まれた「大韓臨時政府」と「韓国光復軍」は中国の上海にあり、大日本帝国に宣戦布告はしていたが、連合軍を助けて日本軍と戦ったことはなかった。それが韓国の悲劇の出発点だと小室直樹は『韓国の悲劇』(光文社)に書いている。

 もし韓国光復軍が日本軍と交戦していれば、韓国は連合国の一員と認められ、日本を占領支配する側にいた。しかしそれがなかったため北緯38度線以南は米国が、以北はソ連が日本軍の武装解除を行うことになる。38度線で分けることを決めたのは、後にケネディ政権で国務長官を務めたディーン・ラスク米陸軍大佐であった。

 フーテンはそのことをバーバラ・デミック著『密閉国家に生きるー私たちが愛して憎んだ北朝鮮』(中央公論社)で知った。バーバラはロサンゼルス・タイムスの北京支局長で、韓国で100人以上の脱北者に取材し本を書いたが、「あとがき」で南北分断の原因はラスクの目がたまたま地図上の38度線を見つけたことから始まったと書いている。

 対日戦争の勝者は米国とソ連だけだった。英国もオランダも日本軍と戦ったが負けたので朝鮮半島の戦後処理に関わることは出来なかった。それが国際政治の現実なのだと小室は言う。そのため38度線以南では米軍と日本の朝鮮総督府の間で戦後処理が行われ、日本の支配から解放されても韓国は自らの手で独立国を樹立することが出来なかった。

 そして北はソ連軍が、南は米軍が日本に代わって統治する期間が3年も続く。1948年8月15日に先に李承晩を大統領とする大韓民国が誕生すると、翌9月9日に朝鮮民主主義人民共和国が建国され金日成が最高指導者となる。当初は分断回避を試みる動きもあったが、それぞれが朝鮮統一を果たそうとして、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発する。

 この戦争で日本の運命が変わった。米国のマッカーサーは日本を米国の植民地フィリッピンと同じ農業国にし、かつ非武装国家にすることを考えたが、朝鮮戦争の勃発で日本人を出兵させる方針に転換、再軍備を要求してきた。

 これに吉田茂が反対し、日本は武器弾薬を製造する後方支援に徹し、出撃基地として機能することになる。朝鮮戦争による特需に当時の経済界リーダーは口々に「天祐(天の助け)」と言った。続くベトナム戦争との2つの特需で、日本は世界屈指の工業国となり、米国を追い抜く勢いを見せるまでになる。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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