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左右両翼からも国民からも嫌われる岸田総理の超低空飛行の着地点

田中良紹ジャーナリスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

フーテン老人世直し録(757)

水無月某日

 13日からイタリアで開かれたG7サミット(先進7か国首脳会議)と、15日からスイスで開かれた「ウクライナ平和サミット」に出席した岸田総理は、16日に帰国するや翌17日に衆議院決算行政監視委員会、18日に参議院政治改革特別委員会、そして19日には今国会の最大の山場となる国家基本政策委員会の「党首討論」に出席する予定だ。

 一方、7日から10日に行われた時事通信社の世論調査で、岸田内閣の支持率は過去最低記録を更新した。調査は全国18歳以上の国民2000人を対象に個別面談方式で行われ、支持率は5月の調査から2.3ポイント減の16.4%、不支持率は1.4ポイント増の57%になった。

 これを自民党支持層で見ると支持が47.1%、不支持29.9%と支持が過半数を下回り、公明党支持層では支持38.1%、不支持42.9%と不支持が支持を上回る。無党派層では支持9.8%、不支持60.6%で支持率は1割にも満たない。

 調査結果を受けて時事の解説委員長は、岸田総理が前任の菅義偉氏と同じように「名誉ある撤退=総裁選不出馬」に追い込まれるのではないか、他の選択肢が思い浮かばないと解説している。世論調査の数字だけを見ればそのような結論に至るのは当然だろう。

 しかし2年前の安倍元総理暗殺事件後、国葬を巡って支持率が急落し、それから超低空飛行を続ける岸田政権を見てフーテンは、必ずしも岸田政権が菅政権と同じ運命をたどるとは思えないのである。前政権との違いを解説する。

 「安倍一強体制」を作り上げ、憲政史上最長の総理在任記録を達成した安倍元総理が考えていたことは何だったろうか。後進に道を譲って大所高所から日本政治を眺めることではなかったはずだ。菅氏より6歳若く、岸田氏とほぼ同世代の安倍氏にとって引退は考えられない。しかも自民党最大派閥の長である。新たなる挑戦を目指していたとフーテンは思う。

 それはこの2人を使いこなして自分が3度目の総理に就任することだった。史上3度の総理就任を実現したのは郷里の大先輩である長州閥の桂太郎だ。その桂が持っていた最長の総理在任記録を安倍氏は19年11月20日に抜いた。したがって次の挑戦はいったん総理を辞め、その後に再び総理に返り咲くことだった。

 そのため目をつけ育てていたのが岸田氏である。自分とは違うハト派の政治家だから何かと都合が良い。自分が前面に立てば抵抗が大きい憲法改正を、まずハト派路線で岸田氏にやらせ、その後に自分が返り咲いて本格的な憲法改正に着手する。

 最も理想としたのは、自分が招致した東京五輪を自分の手で開催し、世界の注目が集まる中で辞任を発表する劇的な退陣劇だ。それをやって世界を驚かせ、しかし最大派閥を擁していれば、いつでも岸田氏を総理の座から引きずり下ろし、自分に交代させることができる。

 ところがコロナがこのシナリオを狂わせた。2020年の東京五輪開催が延期され、華々しくなるはずの五輪が自粛ムードになった。そのため安倍氏は病気を理由に退陣し、岸田氏を温存する意味で菅氏を後継に指名した。ところがワン・ポイント・リリーフと思っていた菅氏が本格的な長期政権を目指していることを知る。

 2050年に炭酸ガス排出量をゼロにする長期構想を掲げ、しかも若手の河野太郎氏や小泉進次郎氏に世代交代させる構えを見せたのである。ここに安倍氏と菅氏の権力闘争が始まり、安倍氏は菅氏を1年で退陣に追い込んだ。菅氏の権力の源である総務省の汚職が暴露され、長男のスキャンダルも飛び出して、菅内閣の支持率は下落した。

 菅氏の自民党総裁任期は21年9月30日までだった。そして直後の10月21日に衆議院議員の任期が切れるため、その前に衆議院選挙をやる必要があった。すると8月26日に岸田氏が先手を打って総裁選出馬を表明し、同時に菅氏の後ろ盾である二階幹事長を退任させる工作を始めた。

 菅氏はこれに対抗するため自民党総裁選を先送りし、9月中に内閣改造・党役員人事を行い、9月中旬に衆議院を解散する方針を打ち出した。しかし安倍氏や麻生氏にこれを拒否され万事休すとなる。こうして菅氏は9月3日に総裁選に不出馬を表明、代わりに総裁選候補に河野太郎氏を担いで安倍氏の野望を阻止しようとしたのだ。

 菅氏は支持率下落で退陣したのではない。退陣のポイントは①選挙が迫っていたこと②最大派閥を擁する安倍氏から人事権と解散権を封じ込められたこと。この2つである。そして安倍氏は3選を狙うため総裁選で自分の後継候補を作らない。安倍氏が推した高市早苗氏はただのかませ犬で、組し易いとみていた岸田氏を総理に就任させた。

 ところが岸田氏は安倍氏の予想を裏切った。表面上は安倍氏に言いなりの顔をしながら、真っ向からの戦いを挑んだのだ。それが安倍氏にとって親の代からの天敵である林芳正氏の外務大臣起用と衆議院への鞍替えである。

 さらに岸田氏は安倍氏が大反対するのを無視して安倍氏の子飼いの防衛事務次官を交代させた。2人の衝突が抜き差しならなくなった時に銃撃事件が起き、安倍氏は帰らぬ人となった。反岸田の菅氏は、だから安倍氏の後継は自分であることを猛アピールし、岸田氏もまた自分こそが安倍氏の後継という顔をした。

 岸田氏が安倍氏の国葬にこだわった理由はそこにある。そこから岸田内閣の支持率下落が始まった。岸田政権を最も嫌うのは安倍氏の岩盤支持層である。それに反自民の立場から野党支持者も同調する。つまり左右両翼から岸田政権は嫌われている。

 しかし岸田氏はそれにあまり痛痒を感じていないようだ。考えてみれば岸田氏が所属した宏池会は常に左右両翼から批判される立場だった。それより親米路線を取りながら中国とも手を結ぶ、そして何より財務省と一体となって政権運営を続けることが政治の本流であるという自負心を抱いている。

 岸田氏はそれを実践している。防衛費増税はウクライナ戦争でG7議長国のドイツが実施したのだから、翌年に議長国となる日本もやるのが当たり前だと考える。それが吉田茂の流れをくむ保守本流の政治で、それで支持率が下がっても心に揺らぎはない。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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