昭和史の闇はまだまだ深いと思わせた終戦特集番組
フーテン老人世直し録(458)
葉月某日
終戦記念日の前後にはNHKが毎年決まって戦争にまつわるドキュメンタリー番組を放送する。公共放送であるならそれは最低限やらなければならない仕事だと思う。権力者の都合で書かれた歴史を検証し、書き換えていくことがメディアの使命だからである。
今年のNHKは8月12日に『かくて“自由”は死せり~ある新聞と戦争への道~』、15日に『全貌二・二六事件~最高機密文書で迫る~』、17日に『昭和天皇は何を語ったのか~秘録・初公開“拝謁記(はいえつき)”』を放送した。
『かくて“自由”は死せり』は、1925年(大正14年)から35年(昭和10年)までの10年間に刊行された右派系メディア「日本新聞」が、大正デモクラシーがもたらした自由主義を排斥し、国粋主義を広めてテロを誘発し、戦争への道を拓いた経緯が描かれる。
『全貌二・二六事件』は、海軍が作成した極秘文書によって、陸軍青年将校らのクーデターの一部始終を海軍がどのように把握していたかを描く。そして『昭和天皇は何を語ったのか』では、初代宮内庁長官田島道治が記録した昭和天皇との会話により、戦争責任に悩む天皇の姿や、吉田茂によって「反省のおことば」が削除された経緯を描いた。
いずれも力作だとは思うが、フーテンはそれによって新たな発見をしたとか、衝撃的事実を知ったというより、昭和史の闇はまだまだ深いという思いを強くした。戦後、米国の占領の影響を受けて育った我々は、天皇制と軍部の独走によって日本が無謀な戦争に突入したと教えられたが、その後に様々な文献に接するうちそれほど単純ではなかったことを知る。
今回のドキュメンタリーで判断材料が増えたことは事実だが、同時に疑問もさらに積みあがった。そうした疑問に番組は答えを出してくれていない。例えば『かくて“自由”は死せり』で、自由主義的な教育をしていた小学校教師が「日本新聞」の熱心な読者となり、国粋主義運動を広める役割を担ったことが日記で示されるが、何故そうなったのかは説明されていない。
『全貌二・二六事件』では、クーデターの事実経過を詳細に辿っていくが、そこに新事実はなく、番組の終わりに突然衝撃的な事実が明かされる。海軍は事件が起こる1週間前にクーデター計画を察知し、首謀者が誰か、誰の命が狙われているかを正確に知っていた。
にもかかわらずクーデターは阻止されなかった。極秘文書が事実であるなら、海軍は陸軍の青年将校によるクーデターを看過したことになる。それはなぜか。事件の背景には皇道派と統制派という陸軍内部の対立があるが、そうしたことが関係するのか、しないのか。
また昭和天皇が決起した軍人たちを敵と見た理由も、昭和天皇が軍人に不人気で秩父宮の方に人気があったという説明が少しあっただけで充分ではない。裁判が非公開で行われたことや、思想家北一輝が一緒に死刑にされたことと併せ、二・二六事件はまだ「全貌」が明らかにされたとは思えない。
そして『昭和天皇は何を語ったのか』は、初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」を「初公開」と銘打っているが、「田島日記」は評論家の加藤恭子氏がこれまで本にしており、『「田島道治日記」を読む 昭和天皇と美智子妃 その危機に』(文春新書)や『昭和天皇と田島道治と吉田茂―初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から』(人文書院)、『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』(文芸春秋)などが出版されている。
今年8月の終戦記念日特集に「田島日記」を取り上げたのは、それが「初公開」だからなのか、それとも別の意図が裏に隠されているのか。秋の臨時国会で安倍政権が憲法改正の議論を始めようとしている矢先だけに、そこのところがフーテンは気になった。
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