Yahoo!ニュース

バーベキューの日本史、その前史(2)

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト

第二次大戦後の1950年代、紅花創業者の青木湯之助、建築専門誌、女性料理研究家という、それぞれ違う方向から日本社会に持ち込まれた「バーベキュー」という食文化。そして時代を下るにつれて、「バーベキュー」という単語が持つ意味は変化していく。

変化すること自体は悪いこととは限らない。鮨だって海外に伝わったことでカリフォルニアロールのような新たな地平が開けたし、アンパンは木村屋總本店が「日本人にも受け入れられるように」と酒種酵母を使った生地を作り上げた(もっとも、持ち前の甘さと柔らかさがフランス人には「パンとして」は受け入れられなかったりもするが……)。

上記は、文化が地域に合わせてカスタマイズされた例だが、後に世に広く受け入れられたり、使われるようになる呼称は、正確な理解が広まる前になんとなくイメージで捉えられて広まるケースが少なくない。

日本における「バーベキュー」はまさしくその典型例だった。

日本に「バーベキュー」が曲がって伝わった理由

例えば、1960年の『コリア評論』(民族問題研究所)内に焼肉店の広告が掲載されているが、「新橋苑」の業態は「焼肉・バーベキュー」となっている。

この記事は有料です。
食とグルメ、本当のナイショ話 -生産現場から飲食店まで-のバックナンバーをお申し込みください。

食とグルメ、本当のナイショ話 -生産現場から飲食店まで-のバックナンバー 2022年8月

税込550(記事1本)

※すでに購入済みの方はログインしてください。

購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。
編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

松浦達也の最近の記事