菅総理の所信表明演説をトランプが聞けば「極左」と批判しただろう
フーテン老人世直し録(543)
神無月某日
菅総理の所信表明演説を聞いて、フーテンは菅総理が米大統領選挙でバイデン候補の勝利を確信しているのかと思った。2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにしてグリーン社会の実現を目指すと宣言したからである。
これは大胆な宣言である。しかしどれほどの予算を投じ、どのようにしてゼロを実現するのかの具体的な工程はまだ明らかにされていない。だがEUや中国は既にその方向に舵を切っており世界の趨勢はその流れだ。日本はそれに乗り遅れてきた。
ただパリ協定からの離脱を決めたトランプ米大統領だけは温室効果ガスの排出削減に後ろ向きである。トランプが菅総理の所信表明演説を聞いたら「極左」と批判したかもしれない。なぜなら温室効果ガスの削減を経済成長に結びつける「グリーン・ニューディール」を主張するのは、バーニー・サンダースなど民主党左派だからだ。
大統領選挙でバイデンが勝利すれば米国はパリ協定に復帰し、2050年までの温室効果ガス排出ゼロを目指すことになる。そのためにバイデンは2035年までに電力部門をカーボンフリー(炭酸ガス排出ゼロ)にすると公約した。
サンダースは10年後には全発電を太陽光や風力など100%再生エネルギーにすると主張するが、バイデンは炭酸ガスを排出しない原子力発電や一部の火力発電も認める考えで両者は「2035年カーボンフリー」で妥協した。
菅総理はまず温暖化対策が「産業構造や経済社会の変革をもたらし経済成長につながる」との認識を示した。そのための鍵は「次世代型太陽電池やカーボンリサイクルのイノベーションだ」と言う。それは新技術を使って再生エネルギーへの転換を促進することが経済と環境の好循環を創るという考えだ。
菅総理はそれに続き「安全最優先で原子力政策を進めて安定的なエネルギー供給を確立する」と述べた。一部にはこの宣言を「原発推進」のための隠れ蓑とみる報道もあるが、米国政治との比較で言えば、菅総理の宣言はバイデンと同等か、むしろバイデンより左に位置するスタンスだと思う。「グリーン・ニューディール」に近いのだ。
かつての日本は世界に冠たる技術大国だった。公害防止技術をはじめ電池技術にも優れており、家電製品や自動車にもきめの細かい技術を施し、それが世界を圧倒した。しかしそれに慢心した日本はデジタル技術の導入に遅れ、家電の世界であっという間に韓国、台湾、中国に追い抜かれた。
さらに自慢していた自動車も、世界が電気自動車の普及に力を入れているのとは対照的に、従来のガソリン・エンジンの改良にこだわり、気が付けば世界から取り残される運命にある。米国のIT企業グーグル傘下のテスラは、電気自動車のトップメーカーだが時価総額で既にトヨタを抜いた。
電気自動車の製造は既存の自動車会社ではなくIT企業に向いていると言われる。日本のIT企業もグーグルを真似て自動車産業に参入しようとした。15年ほど前にその相談をフーテンは受けたことがある。しかし日本では既得権益の壁が厚く新規参入は難しかった。
エネルギー問題を考える時に重要なのは電池である。電池の性能が良くなれば電力会社は要らなくなる。各家庭が太陽光から得られた電気を小さな電池に大容量で充電することが可能になれば不自由のない生活ができる。
その電池の技術で日本は世界最先端と言われてきた。するとだいぶ前だが米国と中国の軍同士が協力し、日本に勝つための電池の国際標準を作ろうとしているというニュースがあった。
そして今では太陽電池の世界市場は圧倒的に中国が支配している。そこに日本は太刀打ちできるのか。壁は高いと思うが、菅総理がグリーン投資のいの一番に次世代型太陽電池に言及したことが決意の表れなら、それは評価に値するとフーテンは思う。
菅総理はこの構想をかなり前から考えていた節がある。そのため経産大臣と環境大臣ポストを自分の身内で固めようとした。昨年9月の改造人事で菅原一秀、小泉進次郎の両氏を押し込んだのはそのためではないか。菅原氏はスキャンダル発覚で辞任したが、後任に梶山弘志氏というこれも菅総理に繋がる人物を押し込んだ。
そして自分の内閣で梶山、小泉両氏を留任させ、「2050年温室効果ガス排出ゼロ宣言」に結び付けたのである。新聞やテレビが菅政権を「安倍政治の継承」と見ているのに対し、フーテンは「安倍政治の継承と見せながら独自路線に突き進む」と書いてきた。この宣言はその象徴となる可能性がある。
菅総理は安倍前総理が頼った今井尚哉秘書官ら経産省出身の官邸官僚を一掃した。今井氏は日本の原発再稼働を主導する中心人物であったが、その影響力がなくなり、代わりに原発ゼロを主張してきた河野太郎氏が行革担当大臣として閣内にいる。その背後には小泉前総理の影が見える。
小泉前総理は総理を辞めてから原発ゼロ運動の第一人者となった。ただその主張は核廃絶を訴える左派の論理とは異なり、再生エネルギーへの転換こそが経済成長をもたらすというものだ。今回の宣言は脱炭素で脱原発ではないが、再生エネルギーへの転換が経済成長をもたらすという意味では同じである。
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