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中曽根元総理の合同葬はなぜこの日に行われたのか

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(541)

神無月某日

 10月17日はその年に収穫された新穀(初穂)を天照大神に捧げて感謝する神嘗祭の日である。また靖国神社では最も重要な祭事とされる秋の例大祭の初日に当たる。その日に中曽根康弘元内閣総理大臣の内閣と自民党による合同葬が行われた。

 神社関係者の間ではこの日に葬儀が行われることに疑問の声が上がっていたと言われる。昨年の11月29日に亡くなった中曽根元総理の合同葬は今年の3月に行われる予定だったがコロナ禍のため延期された。それをなぜわざわざ宮中祭祀のひとつである神嘗祭の日に行うのかという疑問である。

 一般の中にもコロナ禍によって延期された合同葬をコロナ禍が収束していないのに行うことへの疑問がある。誰がどのような理由で合同葬の日程を決めたのかが問題だ。10月17日の日程が浮上したのは、安倍前総理が退陣を表明し、自民党総裁選が行われていた9月上旬である。つまり安倍政権下だ。

 その頃は年内解散・総選挙が確実視されていた。安倍前総理が辞める前から麻生副総理兼財務大臣は年内解散を主張し、10月25日投開票が現実味を持って語られていた。安倍前総理が辞めても、新しい政権には国民の期待が集まり、選挙をやれば勝てると与党周辺は期待していた。それを潰したのがこの合同葬日程である。

 菅総理は9月上旬には総理になることが確実視されていたが、先走って10月の日程まで自分で決めたとは思えない、フーテンは菅政権に選挙をやらせたくない側がこの日程を決め、選挙の可能性を潰すと同時に、菅総理が葬儀委員長を務めることが確実だから、神社関係者や保守系団体から疑問視される日程にしたのではないかと考えた。そうでなければわざわざ10月17日に合同葬を設定する意味が分からない。

 この構図は日本学術会議の任命拒否問題と似ている。安倍政権下で決めたことに官房長官だった菅総理が異を唱えることはできない。そして総理になればその責任はすべて総理が負うことになる。そこを突いて短命政権に終わらせようとする側の計略が打ち出されているように見える。

 この日、菅総理は靖国神社に真榊を奉納したが、官房長官時代にはまったくやらなかったことだという。安倍前総理が例年行ってきたことを踏襲したと説明されるが、この日の合同葬を疑問視する神社関係者や保守系団体への配慮からではないかとフーテンは思った。

 そこで合同葬を営まれた中曽根元総理に対するフーテンの思い出である。フーテンは中曽根内閣時代に政治記者となり、田中角栄、中曽根康弘、金丸信の三者が激しくぶつかる権力闘争の渦中に身を置いた。フーテンから見て「55年体制」末期の日本政治を代表するのはこの3人に尽きると思う。

 それぞれに凄まじい力を持つ政治家だが、田中はロッキード事件で有罪判決を受け、金丸も脱税容疑で摘発され晩年は不遇だった。それとは対照的に中曽根は「塀の上を歩いて内側に落ちなかった」稀有の政治家として、大勲位という最高の勲章を与えられ、名声をほしいままにした。

 その中曽根には『自省録―歴史法定の被告としてー』(新潮文庫)という著書がある。政治家は歴史という法廷の被告人だから自分の全てを書き残すというふれこみの本だ。だが勿論都合の悪いことは書かれていない。そこで政治家を裁く歴史法定の判断材料として、フーテンが見てきた事実をそのままいくつか書き記しておこうと思う。

 中曽根元総理については国鉄や電電公社の民営化など行政改革を断行したことや、ロン・ヤス関係など外交手腕を発揮して日本の国際的地位を高めた光の部分と、自民党傍流であることから「塀の上を歩いた」闇の部分とがある。

 フーテンが最初に中曽根元総理と関わったのは、社会部記者として担当したロッキード事件である。米国の軍需産業ロッキード社が世界各国の反共主義者を秘密代理人に雇い、各国の政治家に賄賂を渡して米国製兵器を買わせていた事件だ。日本の秘密代理人は右翼の児玉誉士夫だったが、その児玉と最も近い政治家が中曽根康弘で、2人は同じ人物を共通の秘書にしていた。

 ところが児玉は病気で入院しそのまま死去する。東京地検特捜部は児玉ルートの捜査を諦め、代わりに全日空のトライスター導入に関わる容疑で田中角栄を逮捕した。特捜部の捜査は田中逮捕をもって終るが、若手検事たちはこれに納得しなかった。検察首脳は捜査終了宣言を出せず「中締め」と言って捜査を終了させた。中曽根は逃げ切った。

 次に警視庁を担当した時、ソ連のスパイを摘発する警視庁公安部外事一課の監視対象リストに中曽根康弘の名前があることを知った。外事一課は対象者を泳がせて監視するのが主な任務である。その監視対象に中曽根の名前があったことにフーテンは驚いた。

 後にソ連に抑留されていた元陸軍参謀瀬島龍三が中曽根のブレーンとなり、また中曽根はソ連の政界に太い人脈を持っていることを知るが、日米同盟を強化したロン・ヤス関係だけに目を奪われると評価を誤る。中国共産党の胡耀邦総書記との関係が、靖国神社の公式参拝を中止する判断につながるなど、中曽根には世界を俯瞰する目があったと思う。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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