EUから見たウクライナ危機【1】プーチン大統領の欧州はずしと、マクロン大統領との会談
5時間以上の会談は「始まり」にすぎなかった。
2月7日、マクロン大統領とプーチン大統領は、モスクワで延々と5時間以上も会談をした。上の写真を見ていただきたい。4メートルだか5メートルも離れていたテーブルの端に二人は座っていた。この部屋には二人きりで、二人だけいる通訳は別の部屋にいたという。
欧州中央時間で22時すぎにやっと二人が並んだ記者会見が始まった。記者がいたようだが、二人の大統領から遠く離れて全く見えなかった。「15メートルのコロナ対策」と、早速現地ではアネクドート(ロシアの風刺の小話)となったそうだ。もちろん、上記のテーブルも踏まえてのことだろう。
筆者は生中継で見ていたが、先に話したプーチン大統領は、一見外交的な姿勢や、フランスとの友好の態度を崩さない発言が続き、最初のうちはウクライナなど無きがごとしに聞こえた。
その後ロシアを取り巻く環境について主張していたが、いい加減聞き飽きた主張の繰り返しで、「取りつく島が無い」とはこのことだと感じた。今後さらに交渉に応じるといった柔らかめの発言は、すべてが外交辞令にしか聞こえなかった。
彼の言葉を聞いていると「何のためにこの会談を長々とやっていたわけ?」とうんざりしてきた。
一方、マクロン大統領の発言は、欧州の代表としての立場で「欧州の集団的平和」の構築を強調していた(時折フランスのイニシアチブを強調したい様子もちらほら感じられた。世界向けのアピールか、仏大統領選向けか)。EU加盟国の東欧の国々やウクライナはもちろんのこと、ジョージア、モルドバにまで言及しており、やっとまともな会談の目的を聞いている思いがした。
しかし、こちらも長々聞いていると「それで、成果は何なわけ?」と言いたくなってきた。
フランスの元外務大臣がテレビで、記者会見が始まる前に「長い時間会談しているからといって、これで何か大きな進展があると思わないほうがいい。これは始まりなのだ」と語っていたが、まさにそうだった。マクロン大統領は会見で、これからの数日、数週間が大事だと発言した。交渉は、これからが正念場なのだ。
マクロン氏はロシアはヨーロッパであると語り、私たちは国境を接しているのだから、欧州の集団安全保障を構築しなければならないと、実にごもっともな「正論」を力説していたが、記者会見場にいたらしいロシア人ジャーナリストは、ロシアの守備だけを話すプーチン氏と比べて、どう感じたのだろうか。
筆者がマクロン大統領の中で一番印象に残った発言は「私は、ここに短期の解決を見出すために来た」という内容の発言だ。「ああ、やっぱり根本的に解決できるなんて思っていないのだ」ーーと。その後「短期的、中期的に」という言葉は出たが、長期的とは言わなかったと思う。そんな解決など、おそらくできると思っていないのだろう。
それは結局、プーチン大統領は何が最終目的なのかーーという問いに、また戻ってしまうのだ。今、一時的和平は実現するのかしないのかも大切だが、もし仮に今はまた一時的に収まったとしても、半年後はどうなる? 1年後は? 2年後は?
米当局の推定によると、ロシアのプーチン大統領はウクライナへの全面的な侵攻作戦に向け、すでに必要な兵員、兵器の7割を国境に集結させたとみられる。事情に詳しい米当局者2人が語ったと、2月6日米CNNが伝えた。
ロシアは過去に、五輪の開幕中に軍事行動を実行した先例がある。2014年にはロシア・ソチでの冬季五輪が閉幕しつつある時期にウクライナ・クリミア半島の強制併合を強行。2008年の北京夏季五輪ではジョージアへの武力攻撃に踏み切っていた(こちらはジョージアが先にしかけている)。
もしかしたら起こるかもしれない軍事侵攻を前に、欧州連合(EU)・欧州から見たウクライナ危機を書きたいと思う。
今まで経緯の分析と現在の状態、そして今後の予測となるが、前編の今回は今までの経緯となる。
ロシアに無視されたEU
誰もが認めるように、事態の先行きは、最初から今現在まで、ずっとプーチン大統領にかかっている。彼が何を望んでいるのか、何を計画しているのか。決めるのはプーチン「皇帝」ただ一人であり、彼以外は誰もわからないのだ。
EU側から見た場合、今回のウクライナ危機が始まって以来、一つのことをのぞいては、根本的な状況はほとんど変わっていないように見える。
それは、当初EUを完全に無視してアメリカとのみ交渉しようとしていたプーチン大統領が、フランスとドイツとの交渉に臨むようになったことだ。
世界が「ロシアがウクライナに侵攻するかもしれない」と大ニュースになったのは、昨年12月のはじめ。6日に米露の代表者はスイスで会談、翌7日に米露の大統領がリモート会談を行った。
8日と9日には、フランスでEU27カ国+アメリカの担当者が集まり、非会合の会議が行われた。彼らは、アメリカと常に密接に連絡をとるためのグループづくりを考えたようである。
会合がフランスで行われたのは、次のEUの輪番制の議長国(今年の1月から6月まで)がフランスであることも理由の一つだろう。
マクロン大統領は、議長国として目的の一つに、EUの主権強化を掲げていた。そんな折に、ウクライナ問題が重なった。常にNATOからの「戦略的自律」を口にしているマクロン大統領と、「EUは力(権力)の言語を使うことを学ばなければならない」と語るボレルEU外務・安全保障政策上級代表は会談する。
しかし彼らは、いくら同盟国アメリカを信用するといっても、頼らざるをえない立場に置かれた。「アメリカの交渉担当者が、どうか欧州の希望を汲んでロシアと交渉してくれますように」と願うだけの立場に置かれた。欧州が舞台の紛争なのに、米露会談で、EUの面々は蚊帳の外に置かれていたのだ。
この「無視」は、EUの今後に大きな影響を与えると筆者は感じている。
なぜ無視したのか
なぜプーチン大統領は当初、EUを無視したのだろうか。
まず、アメリカだけを相手にすることで、ロシアはアメリカと対等の立場に立てる。自分たちの勢力範囲がどんどん狭められていると恐れるロシアは、戦略的バランスとウクライナを一つの問題にしている。相手にすべきは、冷戦時代と同じようにアメリカとなる。
次に、2014年に始まった、ロシア・ウクライナ・フランス・ドイツが参加する「ミンスク合意」の枠組み、すなわち「ノルマンディー方式」と呼ばれる方法で決定することを、葬り去ることができる(この「ミンスク合意」は難物だ。後述する)。EUの無力化の一つである。
そして、これからEUに加盟しようするバルカン半島の国々に、影響を与えることができる可能性がある。アメリカがロシアの言い分を飲めば彼らはうろたえる、拒絶すれば戦争になるかもしれない。どちらでも揺さぶられる。
これらの国々にとってウクライナの例は、立場は全く同じではないにしても、他人事ではないのだ。アメリカの返事次第で揺さぶられるのであり、EUは無力だと誇示することで、別の動揺を与えられる可能性がある。
アメリカは中国やアジアに目を向けているし、結局は遠い国である。EUにこれ以上力をもってもらっては困る。これ以上のNATOの拡大だけではなくEUの拡大や強化も、何としても阻止したい可能性がある。
ここまでのEUの国々の不愉快さと焦りは、想像にあまりある。
欧州の問題なのに、ロシアがこのような態度を取ったこと、軍事的にアメリカに頼り従う立場なのだという欧州が思い知らされたこと、この二つは、今後のEUの軍事的自立の方向に、はかりしれない心理的影響を与えたと筆者は感じている。
我が身に置き換えて考えてみればわかりやすいだろう。
例えば日本と中国の間に、近接の地域について何か大きな問題が生じたとする。中国が「日本と話し合う必要などない。アメリカと話し合えばいいんだ」という態度をとったら、日本人はどう思うだろう。日本人の今後の安全保障のあり方に、大きな心理的影響を与えないだろうか。
イタリアのドラギ首相は、昨年末のローマでの記者会見で「欧州にはロシアにウクライナとの軍事的対決を思いとどまらせる手立てはほとんどない」と語り、EUに独自の軍事力がないことに言及した。
独自の軍事力がない無力を嘆いたのは、持ったほうが良いという結論につながるだろう。日本の政治家も、このように発言する日は近いのだろうか。
参考記事:多国間主義が崩壊していく「野蛮人」の世界で、主権のために何をすべきか。ブレグジットで(ドラギの講演会発言など)
もしロシアがEUの無力化させたかったのなら、EU加盟国候補には影響を及ぼせたかもしれないが、全体としてはかえって逆効果だったかもしれない。
プーチン大統領の変化
しかし、結局ロシアは、プーチン大統領は欧州との対話を受け入れた。
バイデン氏がプーチン氏に、NATOの重要な4つの加盟国と話し合うことを提案してくれたのだ。EUは「アメリカ様、ありがとう」と感謝するべきだろうか。
同盟国とは協調的なバイデン大統領で良かったというところか。これがもしトランプ大統領だったらどうだったか。
プーチン大統領は、ウクライナにドイツとフランスを交えた話し合い(ノルマンディー方式という)、さらに欧州安全保障協力機構(OSCE)での枠組みの話し合いを受け入れた。
奇妙なのは、プーチン氏は「欧州無視」を突っぱねたようでもなかったことだ。欧州との話し合いを受け入れるつもりがあったのなら、なぜ最初に無視して見せたのだろうか。
今の時点なりに回答は考えられるが(続きで書く予定)、それでもこれは筆者の中で謎として残っており、推移を観察する際の一つの視点になっている。
ただし、受け入れたといっても、相変わらずアメリカ重視の態度に変わりはない。
まず、欧州安全保障協力機構(OSCE)のほうだが、1月13日、ウィーンで会合が開かれた。この組織は、欧米ロシアのほか、ウクライナを含む旧ソ連構成国も加盟している。
しかし、目立った進展はなかった。議長国ポーランドのラウ外相は会合後の記者会見で「現在のところ、大きな進展がすぐにあるとはいえない」との見解を示した。
まるで「多国間による話し合いという外交手段で解決しようとしたが、ダメだった」というアリバイづくりであるかのようだ。
それでも、欧州側から見たら、独仏以外のほとんどの国は、相変わらずプーチン大統領に大して相手にもされていない。例外は、ハンガリーとトルコくらいで、英国やイタリアですら、せいぜい頑張って電話会談程度なのだ。
EUの枠組みで仏独に頼るか、アメリカに頼るしかないのだから、このような会議が一度でもあったことは、皆無よりはマシなのかもしれない。
ミンスク合意を守るために動く欧州
さて、独仏を交えたロシアとウクライナの話し合い、つまり「ノルマンディー方式」は、いよいよ動き出そうとしている。
マクロン大統領は、2月7日にロシアを訪問してプーチン大統領と会談した後、翌日の8日には、ウクライナでゼレンスキー大統領と会談する。また、ショルツ首相は7日にワシントンでバイデン大統領と会談した後、14日にウクライナ、15日にロシアを訪れると発表した。
欧州首脳は、一体ロシア・ウクライナと何を話そうというのだろうか。
彼らの考えていることは「停戦させなくてはならない」である。ウクライナ東部のドンバス地域での戦争をやめさせること。そして両地域にある自称「ドネツク人民共和国」と、自称「ルハンスク人民共和国」の立場を確定させることである。
要するにその内容は「前に結んだミンスク合意を、今度こそ守らせる」である。
マクロン大統領は「短期の解決をするために」モスクワに行ったと述べたが、解決とはこのことだろう。すでに最近、ミンスク合意を守らせるための、欧州の努力は始まっていた。
停戦の試みは、今回が初めてではない。欧州にとって、ドンバス地域の問題は、2014年2〜3月のクリミア併合以来ずっと続いており、外交努力も続いている。
ミンスク合意は2回ある。ベラルーシの首都ミンスクで行われたから、ミンスク合意(協定)、あるいは「ミンスク議定書」と呼ぶ。1度目は2014年9月5日調印、しかしたったの2週間程度ですぐに破られてしまい、2度目は3ヶ月後の2015年2月12日である。
二度目のミンスク合意は、ウクライナ・ロシア・ドイツ・フランスと、二つの自称人民共和国のトップが調印した。この4カ国の話し合いの枠組みを「ノルマンディー方式」という。
NATOが根本にかかわることを譲歩するとは全く思えない。譲歩するのはウクライナのほうになるのだろう。
この7年の経緯をある程度わからないと、今後を展望してみることは難しい。
続きの次回では、このミンスク合意について書こうと思う。
続きの記事:欧州はウクライナを中立化させる?「フィンランド化」とは何か【2】EUからみたウクライナ危機
余談だが、日本を含めたほとんどのメディアや論調は、この7年以上の長い経緯をすっとばして、今起こっているウクライナ危機だけを語っている。
実は、当の欧州でも今しか見ない傾向がある。さすがに欧州では、国際ニュース好きや、新聞を一通り目を通すような層には知られていると思う。しかし、ほとんどの欧州の国々にとって、ウクライナ東部のドンバス紛争は遠い場所の出来事であり、一般にはほとんど興味をもたれていなかった。
東欧ですらそうだ。地理的に、特に歴史的に近いポーランドでは大きな関心をもたれているという(現ウクライナ領の東や黒海沿いをのぞく多くは、過去にはポーランド王国の領土だったことがある)。チェコくらいになると「遠い所の出来事」となるようだ。
もっとも先日フランスのニュースで、紛争地から40キロ離れたウクライナの町でも、紛争の話はしたくない風で「ここは平和だよ」と言っている人が映されていたが。
ちなみに、なぜ「ノルマンディー方式」という名前なのかというとーー毎年フランスのノルマンディー地方では、第二次大戦の戦勝のきっかけとなったノルマンディー上陸作戦を祝う式典が行われ、ゲストも多数招かれている。
この祝賀期間中の2014年6月6日に、同地方にある、お酒で有名なカルヴァドス県のベヌヴィル城で、フランス・ドイツ・ロシア・ウクライナの4カ国による半公式の会議が行われたのだ。このことに由来するという。