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欧州はウクライナを中立化させる?「フィンランド化」とは何か【2】EUからみたウクライナ危機

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
2月8日キエフのゼレンスキー大統領をマクロン大統領が訪問。普通のテーブルで安心?(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

2月8日、マクロン大統領はウクライナのゼレンスキー大統領を訪問した。

その前日の2月7日、彼はプーチン大統領とモスクワで会談、記者会見に臨んだ。

二人の記者会見は、外交的な言葉を駆使し、肝心の交渉内容は相変わらず語らなかったが、翌日にはメディアで様々な論説や解説が出た。

筆者が一番目をひいたのはフランスの『ル・モンド』紙の記事にあった一節である。

マクロン大統領の発言は、欧州がウクライナを中立化させようとしているという意味だろうという分析である。

確かにマクロン大統領は会見で、スウェーデンとフィンランドに言及していた。両国が北大西洋条約機構(NATO)に加盟するとしても妨げられない、といった内容だった。

両国でNATOに加盟するという議論が起きているので、私は単純に、ウクライナのNATO加盟は考えていないが、両国は別問題であると言いたいだけなのかと思っていた。

ところが『ル・モンド』の分析は全く異なり、これは「控えめながら重要なニュアンスの発言」としたのである。

マクロン氏は、正確には、両国の名前を挙げて「現在の意見の相違に関係していない特定の欧州人の権利を制限する必要はない」と言ったのだが、これは、ウクライナはこの二つの国家とは別のカテゴリーに属することになるーーという分析だ。

そして、モスクワに向かう飛行機の中で、大統領はすでに、ウクライナの「フィンランド化」、すなわち中立の地位の付与が「テーブルの上にあるモデル」の一つであることに合意していたという、独自情報を書いたのである。

この「ウクライナのフィンランド化(中立化)」というテーマは、最近よく聞かれる話であった。主に専門家の話としてである。ウクライナとフィンランドの立場がよく似ているという分析や、そこから今回の危機のための教訓や戦略を引き出すものもある。

それではフィンランド化(中立化)とは一体何だろうか。

中立国と中立化の違い

まず最初に押さえておきたいのは、中立国と中立化は、区別しないで使われることもあるが、厳密には異なるということだ。

中立国になるには、周辺国等に承認されて、かつ条約を結んでいなくてはならない。きちんと国際法によって、中立国になるための条件が定められているのだ。

最も代表的な例はスイスである。中立国は自衛のための軍隊をもつことは許可(推奨)されているため、スイスには徴兵制がある。2013年に廃止するか否かの国民投票を行ったが、反対多数で否決された。中立国とは、武器をもたない平和とは異なる考えであることがわかる。

その他、オーストリアがよく例に出される。中立国として、軍事同盟のNATOには加盟していない。軍事同盟に参加したら、もはや中立国の資格はない。

中立化というのは、中立の政策をとるという意味である。フィンランドはこちらであると考えられる(諸説ある)。

ただ、ある国が「中立国」なのか「中立化・中立政策」なのか、両者の境界は実際にはあいまいである。スイスのような国は珍しくて、むしろ例外的なのだ。前述のオーストリアにしても、EUに加盟しており、EUには防衛政策があるので、同国はもはや中立国とは言えないという議論がある。

今回ウクライナに関して提案されているのが、中立国なのか中立化なのかわからないが、最近特に「ウクライナのフィンランド化」と言われてきたので、後者に違いない。

フィンランド化(中立化)とは何か

フィンランドの土地は、常にロシアとスウェーデンの間で争われてきた。巨大な二つの力に挟まれている点が、地政学上ウクライナとフィンランドは似ている。

フィンランドは冷戦時代、「積極的中立主義」を標榜していた。外交政策をソ連と同じにする一方、国内では民主的な政治体制と、自由主義経済を維持する自由を保っていたのである。

ただし、監視下の自由であった。反ソ連とみなされる政治勢力を原則的に排除、メディアにも重い影響をもたらした。「ソ連はフィンランドを、ロシアに対する不適切な表現を従順に避ける国になるよう訓練した。そのやり方はいまや私たちの潜在意識に組み込まれている」と、フィンランドの小説家ソフィ・オクサネンは語っているという。

そのため、「フィンランド化」という言葉には、どちらかというと否定的な響きがある。せざるをえない中立と、限られた主権を意味しており、強力な隣国が、より小さい国を制度的に支配していると連想させるからだ。

ただ、必ずしも否定的な意味ばかりではない。実際、この中立化政策のおかげで、冷戦時代に、フィンランドは東欧の国々とは異なる運命をたどることができたのだ。制限はされていても、民主主義と自由主義経済を享受できたのだ。

これは、第二次大戦で大変な犠牲を払いながらも、ソ連と戦い、ナチスドイツが降伏する前に休戦したこと、そして1946年から1956年までの間、パーシキヴィ大統領をはじめとする優れた指導者の手腕があったからだろう。

ユホ・パーシキヴィ大統領。1870年生まれ。商人の家に生まれ、ヘルシンキ大学教諭を経てロシア帝国のフィンランド大公国の公務員となり、外交官、政治家に転身。同国の中立化政策の創始者である。Wikipediaより
ユホ・パーシキヴィ大統領。1870年生まれ。商人の家に生まれ、ヘルシンキ大学教諭を経てロシア帝国のフィンランド大公国の公務員となり、外交官、政治家に転身。同国の中立化政策の創始者である。Wikipediaより

「フィンランド化」は、日本ではなじみのない言葉だが、韓国では日本よりずっと知られているはずだ。韓国ではフィンランドの研究もされているし、メディアが言及することも時折みかける。地政学的に共通項があるのだろう。

ソ連の崩壊により、フィンランドは再び自国の運命を自由に決められるようになり、1995年には中立の立場を保ちながらEUに加盟した。

このような経緯から、NATOには加盟していなかったが、フィンランドだけでなくスウェーデンも中立の限界を考え、NATOにますます接近するようになった。

フィンランドのニーニスト大統領(中道右派)は、新年の演説で、「フィンランドが行動と選択に自由をもっているというのは、我々がそう決めた場合には、軍事同盟と、NATOへの加盟申請の可能性も含まれている」と明言したという。

秘密裏の交渉の内容

今回のウクライナ危機では、アメリカも欧州も、交渉の中身をまったく言わないことになっている。言うことが交渉の前進を妨げると、アメリカ側が説明していたと思う。

それでも、何が欧州で起こっているかを推測する方法は二つあった。一つは、メディアの取材や関係者の会見などによって、ちらっと出てくる内容。もう一つは、専門家の意見や見立てである。

マクロン大統領が、プーチン大統領やウクライナのゼレンスキー大統領とリモート会談した後の1月末の報道で、ひっかかったものがあった。

マクロン氏は、ウクライナに対して、ミンスク合意に沿うようにドンバス地域の自称共和国の地位と、ウクライナ憲法の修正に関して新たな要請をしたという報道があったのだ。その部分は、最後に数行書かれただけのものだった。

「ウクライナ憲法」が何を意味するのか。同国は2019年に、NATO加盟を目指すという内容が憲法に刻まれた。それを取り消せという意味なのか、それともミンスク合意に書かれた憲法に関わることなのか。筆者には判断がつかず「わからない」という、もやもやが残った。今ようやく輪郭が見えてきた思いがする。

しかし、今までの経緯を見ていると、そんなに簡単にいくのだろうかという疑問がわく。ウクライナ危機は、2014年のクリミア併合からずっと続いているのだ。プーチン大統領は、そんな措置で満足するのだろうか。それに、ウクライナは受け入れるのだろうか。

マクロン大統領自身が「短期的な解決」と言っていたではないか。

参考記事:EUから見たウクライナ危機【1】プーチン大統領の欧州はずしと、マクロン大統領との会談

【3】に続く(今度こそ本当にミンスク合意について)

フィンランドの歴史

大変おおざっぱであるが、簡単に歴史をふりかえってみたい。

フィンランドが独立したのは、欧州でナショナリズムが吹き荒れた20世紀前半のことだ。

第一次世界大戦末期の1917年に、ロシア革命の混乱を利用して独立を宣言した。

それまではというと、19世紀初頭まではスウェーデン領、その後は帝政ロシア領となっていた。

19世紀までずっとスウェーデンだったのに、なぜフィンランド人はスウェーデン人ではなかったのか。

大きな要因の一つに、言語が挙げられる。スウェーデン語は欧州で広く話される「印欧語族」に属するが、フィンランド語は「ウラル語族」に属し、両者は全然違うのだ。言語は、アイデンティティーや独自の文化の重要な部分を成すものだ。

「フィンランド」という一つの公的枠組みができたのは、フィンランド大公という地位の登場と言えるかもしれない。16世紀のことだ。

スウェーデン王家の兄と弟の争いが発端である。弟のヨハンは父王からフィンランドの土地を与えられていたのだが、精神病の兄王をクーデターで倒しヨハン3世として即位、その後フィンランド大公を創設したのだった。

19世紀初頭、ロシア遠征を行ったナポレオンの敗北により、ロシアのアレクサンドル1世は、フィンランドにフィンランド大公国を建設、自らが大公を兼任した。こうしてフィンランドは帝政ロシアの支配下に置かれた。

1917年に独立を果たしたものの、その後もスウェーデンとソ連(ロシア)の両方から圧力がかかり、不安定だった。

第二次大戦が始まると、ソ連がフィンランドに侵攻、「冬戦争」が始まる(スウェーデンは中立を保った)。フィンランドは、ソ連に対抗するために、日本・イタリア・ドイツと同じ枢軸国側に属していた。

しかし、同盟国のはずのナチスドイツには、陰で裏切られていた。1939年に独ソ不可侵条約が結ばれたことは公表されていたが、実は秘密の議定書が存在し、両国はお互いの勢力範囲を定めていたのだ。フィンランドはソ連の「取り分」となっていたのだった。

対戦中はソ連赤軍やナチスドイツから辛酸をなめさせられたが、それでもドイツの降伏前に休戦にこぎつけた。不利な内容ではあったが、このままでは独立が脅かされるという判断だった。

その後の冷戦時代の歴史は、前述したとおりである。西欧でもなく東欧でもない、独自の路線を歩んでいた。

戦争という行為は決して賛美されるべきものではないが、それでも戦わなければならない時はある。フィンランド人の必死の抵抗は、一つの歴史上の重しとして刻まれた。その後のフィンランドの地位と繁栄は、この強さゆえかもしれない。

フィンランドの旧東スオミ州。湖に点在する島々がある美しい風景
フィンランドの旧東スオミ州。湖に点在する島々がある美しい風景写真:アフロ

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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