小泉進次郎氏が総裁に選ばれれば「阿呆」か「間抜け」になってしまう岸田総理
フーテン老人世直し録(769)
長月某日
岸田総理は8月14日、「国民の支持を失った自民党を大きく変える」と言い、「最も分かりやすいのは自分が責任を取ることだ」と言って自民党総裁選不出馬を表明した。その自民党を大きく変えるための総裁選が間もなく始まろうとしている。
しかし現職の総理が自分の首を差し出して自民党を変えようとしているのに、もし何も変わらなかったら、岸田総理は何の力もないただの「阿呆」か、それともできないことをできると言う「間抜け」だったか、そのどちらかになる。
フーテンは岸田総理が総裁選不出馬を表明した時、「政権の放り投げ」と書いた。内閣支持率が低いからと言って辞めた権力者など見たことがない。しかも自分が進めてきた政策があと一歩のところに来ているのに、それを放り投げてしまったからだ。
あと一歩のところまで来ていたのは「デフレからの脱却」である。岸田総理は賃上げによって経済の好循環を作り、アベノミクスが「マイナス金利」という異常な世界に日本を導いたことから引き返し、金利のあるまともな世界にして「デフレからの脱却」を図る一歩手前にいた。
「デフレからの脱却」とは何か、何をすれば脱却できるか、様々な論点があるだろうが、日米の政治を見てきたフーテンは、戦後の日米関係からこの問題を見てみたい。まず戦後日本政治の基本とは何か。岸田総理が所属した自民党主流派の「宏池会」は憲法9条を経済復興に利用する政治を行った。
防衛を米国に委ね、野党に護憲運動をやらせ、米国が日本に軍備増強を求めれば、政権交代が起きて親ソ政権が誕生すると米国に思わせ、朝鮮戦争とベトナム戦争の戦争特需から巨額の資金を得て日本は戦後経済をスタートさせた。
その結果、1985年に日本は世界一の債権国、アメリカが世界一の債務国になる。衝撃を受けたアメリカは日本経済を分析し、強さの秘密は銀行を使った間接金融にあることを知った。企業は株式市場からではなく、銀行から資金を調達して事業を行う。そのため銀行が企業を監督する。
その銀行を大蔵省(今の財務省)が監督することで政府の方針は末端の企業にまでいきわたる。護憲運動に力を入れる野党は政権交代を狙わず、したがって万年与党の自民党が安定的に官僚と財界と一体化して経済成長にまい進する。これが日本経済をアメリカの最大の脅威に育て上げたのである。
アメリカは米ソ冷戦が終焉に近づいていること、日本が防衛をアメリカに依存している弱みがあることから日本に逆襲を始めた。86年、日米半導体協定で日本の先端技術の芽を摘み、87年にはG5のルーブル合意で日銀に低金利を飲ませた。
この時、インフレを懸念したドイツはアメリカの要求に従わず、日本だけが低金利を受け入れ、日本経済はバブルに向かう。89年の株価は戦後最高値を記録し、土地も高騰して、金利収入を確保できない銀行は株と土地の売買に利益を求めた。これがヤクザなど反社勢力と銀行の接点となる。
反社勢力が経済に浸透することを恐れた大蔵省は、90年に不動産業に対する銀行の融資を一斉に止め、バブルは一気に崩壊して日本経済はデフレになった。銀行には巨額の不良債権が残った。日本は「失われた時代」を迎え、銀行は整理淘汰されアメリカのハゲタカファンドの餌食になった。
アメリカは日本経済の中心にあった銀行の力を削ぎ、間接金融からアメリカと同じ直接金融の世界に日本を導く。そして96年から始まる橋本龍太郎政権の時にこんなことが起きた。橋本政権は国と地方の借金を減らす「財政構造改革法」を成立させたが、これにアメリカの経済学者たちが一斉に反発する。バブル崩壊直後に緊縮財政を行うのは経済を縮小させるデフレ政策だと言うのだ。
すると外国人投資家の日本株売りが始まり、しかも国際決済銀行が銀行の自己資本比率の基準を引き上げたため、大量の株を持つ銀行は自己資本比率を維持するのに、貸し手先から強制的に資金引き上げを始めた。「貸し渋り・貸しはがし」が頻繁に起きて企業が次々に倒産し、中小企業経営者の自殺が相次いだ。
橋本総理はそれを深く反省した。98年の参議院選挙に敗れて退陣した後も悔やみ続け、異例なことだが、01年の自民党総裁選に出馬して再び総理になろうと決心する。デフレから脱却することが目的の再出馬だ。そして最大派閥の候補者であることからそれは実現すると見られた。
ところが田中真紀子氏が応援したことで小泉純一郎氏が国民の間にブームを巻き起こす。投票権のない国民が熱狂したことで総裁選は異例の展開となり、小泉政権が誕生した。日本をデフレから脱却させようとした橋本龍太郎氏の願いは、国民の熱狂によってかき消され、日本はデフレに苦しみ続けることになる。
小泉純一郎氏は「聖域なき構造改革」をキャッチフレーズに、郵政民営化、道路公団民営化、政府の公共サービス民営化など、要するにアメリカの新自由主義が主張する「小さな政府」を実現しようとした。
その小泉政権にアメリカから「銀行の不良債権処理を優先しろ」と命令が来たことをフーテンは知っている。小泉政権は「官から民へ」と言いながら、民間のやることに政府が介入し、銀行の力を削ぐ作業を国が後押しした。
さらにアメリカからは「労働力の流動化を図れ」という命令も来た。日本の終身雇用制を排して非正規労働者を増やし、格差社会を作る作業が始まる。そして小泉政権は基礎的財政収支を黒字化する典型的なデフレ政策を採用し、それによって地方経済は疲弊し、都市と地方の格差も拡大した。
その結果、国民に何か良いことがあったのだろうか。例えば郵政民営化で自民党は分裂選挙を行い、反対派には「刺客」が擁立されて大騒ぎしたが、それで自民党が変わったかと言えば何も変わっていない。郵便局も民営化されたが国民にプラスになった印象を受けない。国民にとってはただの「空騒ぎ」だった。
小泉総理の後継者である安倍晋三氏はだから「デフレからの脱却」を叫ぶ必要があった。しかし金融政策で切り抜けようとしたが実現できず、逆に金利のない異常な世界に日本を導いた。それが岸田政権によってようやく脱却できる一歩手前まで来た。
その時に岸田総理は総裁選不出馬を決め、すると小泉純一郎氏の息子の進次郎氏が立候補し、父親と同じキャッチフレーズを掲げ、似たような街頭演説で国民大衆を熱狂させる運動を始めた。フーテンにはデジャブ、つまりどこかで見た光景、歴史の繰り返しに見える。
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