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考えて考え抜いた岸田総理が安倍一強体制を終わらせキングメーカーになった

田中良紹ジャーナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

フーテン老人世直し録(773)

長月某日

 27日に行われた自民党総裁選で、石破茂元幹事長が高市早苗経済再生担当大臣を逆転で破り新総裁に選出された。石破新総裁は10月1日に召集される臨時国会で、岸田総理に継ぐ第102代内閣総理大臣に指名される。

 選挙は1回目の投票で高市候補が議員票72票、地方票109票の1位、石破候補は議員票46票、地方票108票の2位、事前にダントツの1位と言われた小泉進次郎候補は議員票75票、地方票61票の3位だった。

 それが決選投票で石破茂候補が議員票189票、地方票26票、高市候補が議員票173票、地方票21票で、石破候補の逆転勝利となった。決選投票で比重の重い議員票は石破候補が143票上積みしたのに、高市候補は101票しか上積みできなかった。

 メディアは「予想外の大逆転」と報じたが、フーテンには「予想通り」だった。大逆転させたのはこの総裁選に出馬できなかった岸田総理である。岸田総理はこの総裁選で自らが出馬できなかった恨みを晴らし、選挙の目的を自らの政治路線を継承させるためと位置付けていた。岸田総理は退陣と引き換えにキングメーカーになった。

 フーテンの見方がなぜそうなるのかを説明する。岸田総理が退陣を表明したのは、自民党最大派閥である安倍派の政治資金パーティ裏金事件によるもので、岸田総理は「自民党を大きく変えるために最も分かりやすいのは自分が辞めることだ」と総裁選不出馬を表明した。

 その時フーテンは「ひ弱な政治家の政権放り投げ」と批判した。「アベノミクス」から転換することを目指した岸田総理は、賃上げによってデフレからの脱却を図り、「アベノミクス」の金融政策で「マイナス金利」という異常な世界に導かれた日本経済を正常化する矢先だったからだ。

 と同時にフーテンは、岸田総理が考えに考え抜いて決断を下したのだろうとも思った。自らの手で「アベノミクス」に代わる「キシダノミクス」を達成することはできなかったが、自らの政治を継承する者にバトンを譲る決断を下した可能性を感じたからだ。

 岸田総理は総裁選に勝利して再選されても、世論調査で不支持が支持を大きく上回る現状では選挙に勝てないと考えた。それを証明するかのように、自民党内には小泉進次郎氏を担ぎ出し自民党の選挙の顔にする動きがあった。裏金事件の中心人物である森喜朗氏は小泉純一郎氏を口説いて息子を総裁選に出させるよう説得していた。

 2年前に安倍元総理が銃弾に倒れた後、主なき最大派閥はそのまま残り、それは岸田総理にとって極めて厄介な事態だった。最大派閥を操れる人間がいないため、コントロールがかえって難しい。その時に森喜朗氏に助けてもらった関係で、岸田総理は裏金事件で森氏を国会招致することができなかった。

 しかも本来なら幹事長が中心になってやる実態調査や野党との折衝について、ポスト岸田を狙う茂木幹事長は最大派閥から嫌われることを恐れ積極的にならない。その茂木氏をバックアップしていたのは麻生副総裁である。

 麻生氏は「3頭政治」と称して茂木氏と岸田総理を競い合わせ、岸田政権の政治に影響力を及ぼそうとした。しかし麻生氏も最大派閥を恐れて裏金問題の解明に前向きでない。政治倫理審査会に裏金議員を出席させることも難しかった。岸田総理が自ら出席することで一部幹部に出席を促すしかなかった。

 こうした対応が内閣支持率をどんどん下げていく。そしてついに政権交代を阻止するには、小泉進次郎氏を登場させるしかないことが既定事実のように報じられ、岸田総理はおそらく考えに考え抜いた挙句、自らの退陣を決断した。

 従ってまず「自民党を大きく変える」総裁選にしなければならない。従来のように派閥が推薦する候補者が競い合うのではなく、当選年次に関わりなく出馬の意思を持つ議員は推薦人20人を集めれば、誰でも立候補できるようにした。その結果、9人もの候補者が出馬し、票読みを難しくしたが、そこに岸田総理の狙いはある。

 次に最大派閥の安倍派が森氏の影響力で1つにまとまれば進次郎氏が次の総裁に決まってしまう。最大派閥をまとまらないようにしなければならない。進次郎氏が出馬を決める前に機先を制したのは、進次郎氏と同じ40代の小林鷹之氏を担いだ福田達夫氏ら安倍派の中堅議員たちだ。

 フーテンは岸田総理が自民党に「政治刷新本部」を作り、麻生太郎、菅義偉の両総理経験者を顧問にした時から、実は福田達夫氏との接点を感じていた。「刷新」という2文字は、かつて岸田氏の所属する「宏池会」を池田勇人氏が作った時、福田赳夫氏が派閥政治に反対して「党風刷新連盟」という組織を作ったことを思い出させる。

 それがのちに「清話会」を名乗るのだが、福田赳夫氏の孫の達夫氏は岸田総理が総裁選に出馬した時、「党風一新の会」という派閥横断的な組織を作り岸田氏を応援した。その論功行賞で達夫氏は総務会長という党三役の一角に起用された。

 そして今回の安倍派の裏金問題で岸田総理は「刷新」の2文字の入った組織を作り、菅氏と進次郎氏が「派閥解消」を主張すると、まるで福田赳夫氏の批判に応えるように「宏池会」を解散したのである。岸田氏と達夫氏には通じるものがあるとフーテンは思った。

 だから小林鷹之氏を担いだ福田達夫氏の動きは、岸田氏が望む最大派閥を1つにまとまらせない動きにフーテンには見えた。しかも達夫氏は進次郎氏の兄貴分であることから、これは進次郎氏を担ごうとする森氏と、担がれる進次郎氏に対する拒否の動きにも見えた。

 もう一つ、安倍派を1つにまとまらなくしたのは、安倍元総理の岩盤支持層に担がれた高市氏の動きである。こちらは「日本会議」や旧統一教会が支援し、進次郎氏が主張した「選択的夫婦別姓容認」を徹底的に批判した。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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