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大谷翔平の「51-51」に興奮し、日本はアメリカの51番目の州になる方がまだましだと考えた

田中良紹ジャーナリスト
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

フーテン老人世直し録(771)

長月某日

 日本時間の20日に行われた米大リーグのドジャーズ対マーリンズ戦で、ドジャーズの大谷翔平選手が大リーグ史上初の「51本塁打、51盗塁」を達成した。これでシーズン中の「55本塁打、55盗塁」も夢ではなくなった。

 この日の大谷は「48本塁打、49盗塁」でマーリンズ戦を迎え、一回に安打で出塁し三盗、二回にも安打で出塁して二盗を決め51盗塁にすると、六、七回に2打席連続本塁打で50本塁打、さらに九回にも本塁打で51本塁打にした。この日は6打数6安打10打点と神がかりとも言えるパーフェクトな打撃を見せた。

 野球はアメリカンフットボールと並ぶアメリカの国技である。そこで日本人選手が活躍するのは我々を誇らしい気持ちにさせてくれる。フーテンもこの試合を見て興奮した一人だが、同時になぜか小錦のことを思い出した。日本の国技の相撲で初めて外国人として横綱になれそうでなれなかった力士である。

 なぜ思い出したのか。おそらく1992年の宮沢喜一総理の国会答弁を巡り、日米の政治が険悪になった記憶と結びついている。当時フーテンは米議会中継専門テレビ局C―SPANの配給権を取得して、米議会の情報を日本に紹介する仕事をしていた。

 1991年12月のソ連崩壊によって唯一の超大国となったアメリカは、新しい世界秩序を作るため情報機関の改革や米軍再編に取り掛かっていたが、アメリカの最大の敵は日本経済だった。その日本経済を封じ込めようとしていた矢先に、日本の総理が国会で「アメリカ人は怠け者」と発言したと報じられ、米議会には怒りが渦巻いた。

 ある上院議員は「戦争に勝ったのはどっちだ。怠け者が戦争に勝てるか。もう一度原爆を落とさないと日本人は理解しない」と叫んだ。宮沢内閣は窮地に陥った。しかし宮沢総理は「アメリカ人は怠け者」と言ったのではない。モノづくりよりマネーゲームに熱中するアメリカ国民を「最近の日本にもその傾向はあるが、働く倫理観が薄れている」と言ったのだ。

 それに日本の新聞が「アメリカ人は怠け者」と見出しをつけ、アメリカのメディアが一斉に報道したので大騒ぎになった。フーテンは宮沢総理の発言をそのままアメリカで報道すれば騒ぎは収まると思い、国会の映像をC―SPANで放送することを官邸に提案した。

 紆余曲折がありフーテンの提案は受け入れられなかった。しかしC―SPANと日本のスタジオを衛星で結び、日米両国の政治家が出演し、双方の視聴者が電話で質問する番組を放送する企画が実現した。日本から加藤紘一官房長官と松永信雄元駐米大使が出演し、番組の中に宮沢総理の発言をVTRで挿入した。

 その時に質問してきたアメリカ人視聴者の発言が心に残った。「我々のコミュニティにも日本人がいて、日本人がどういう人たちかよく知っている。騒いでいるのは政治家とメディアだけだ。我々はそんなもの信用していない。それよりも小錦を横綱にしてよ」。

 小錦は巨体にものを言わせ無敵の強さだった。外国人力士初の大関となり、横綱の一歩手前だったが、日本国内に「外人横綱は要らない」という雰囲気があり、日本相撲協会は横綱審議委員会に諮問しなかった。それが人種差別ではないかとアメリカメディアが批判した。視聴者はそれを指摘した。

 後に曙が初の外国人横綱となり差別ではなくなったが、相互理解の障害となるのは政治とメディアであることをフーテンに教えてくれた出来事だった。アメリカの対日敵視は日本経済が「失われた時代」を迎え、アメリカが日本を無視して中国と戦略的パートナーシップを結び、中国を世界経済に招き入れるまで続いた。

 アメリカは中国を世界の工場にすることで日本の力を削いでいった。しかし逆に中国が力をつけ、先端産業でアメリカを上回ることが確実になると、アメリカの対中敵視が始まり、今度は日本を味方に引き付けようと、日米同盟強化が叫ばれるようになる。

 宮沢政権や小泉政権では「年次改革要望書」によって日本型資本主義の解体が進行した。それは戦時中に作られた統制経済の解体を意味する。戦時中の日本は銀行を中心とする間接金融体制ですべての企業に国家の方針を貫徹する仕組みを作り、終身雇用制と年功序列賃金、それに健康保険制度や年金制度によって国民生活の安定を図った。

 これが戦後に威力を発揮して日本経済はアメリカを凌ぐ勢いになる。しかし冷戦が終わるとアメリカはその構造を解体する。バブルを契機に銀行を破綻させ、間接金融をアメリカと同じ株式市場中心の直接金融に切り替えさせた。岸田政権がいま力を入れている「貯蓄から投資へ」の流れはアメリカの要求によるものだ。

 安全保障問題でも、小泉政権下で「テロとの戦い」を契機に自衛隊の海外での活動が本格化し、安倍政権では集団的自衛権の行使容認でアメリカの要求に従った。安倍総理は靖国神社参拝でオバマ政権から危険な国家主義者とみられ冷遇され続けた。しかし集団的自衛権行使容認でようやくオバマ政権から認められた。

 トランプ政権で安倍総理は米国製兵器の爆買いでトランプを喜ばせたが、バイデン政権の岸田総理に対する気の使いようはそれ以上だ。米議会での岸田総理の演説が示すように、今では日本がアメリカを助ける役割を期待される関係になった。フーテンはこれまでの上から目線が180度変わった印象を受けた。

 それだけアメリカの力が衰えたということだ。昔は総理になろうと思う日本の政治家は必ずアメリカに行って承認を得る顔見世をやった。しかし今度の総裁選に9人も名乗りを上げているが、誰もそんなことをしていない。時代は確実に変わってきた。

 フーテンが初めて総理に意欲を持つ政治家のアメリカ顔見世を知ったのは、中曽根総理が秋に再選を控えていた84年5月である。田中角栄氏の腹心と言われた二階堂進副総裁が訪米した。フーテンは同行したが、日米経済摩擦の解消が目的と言いながら、本当にそうなのかが判然としなかった。

 原稿を書くにしてもぱっとした材料がない。フーテンは訪米計画を作った林義郎議員のホテルの部屋を訪れ、「この訪米は二階堂さんを総理にするためのお披露目ではないか?」と当てずっぽうな質問をした。すると林氏は慌ててドアを閉め、「アメリカに理解してもらうことが大事なんだ」とフーテンに囁いた。

 中曽根総理の再選を阻止するため、鈴木善幸前総理、福田赳夫元総理、三木武夫元総理らが二階堂氏を担ぎ、角栄氏に中曽根再選を断念させる陰謀が秘かに進行していた。林義郎氏は現在の総裁選に立候補している林芳正氏の父親である。それ以来、フーテンは総理になるためのアメリカ顔見世を何度も見てきた。

 第一次安倍政権が07年の参院選に大敗すると、当時の小池百合子防衛大臣が何の用もないのに訪米してチェイニー副大統領やライス国務長官と会談した。総理の座を安倍氏から奪うための訪米だとフーテンは思った。最近では菅前総理も官房長官時代に顔見世訪米を行った。しかし今回は岸田総理の突然の不出馬で誰も顔見世はしていない。

 それが当たり前にならないとおかしい。まるでご主人様に挨拶しなければ日本の総理になれないというのはやめるべきだ。日本はアメリカの属国という意味で「51番目の州」という言い方がある。フーテンは51番目の州になれるならなりたいと思う。51番目の州ならアメリカ大統領を選ぶことができる。日本の意思がアメリカ政治に反映される。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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