安倍一強後の自民党総裁選と立憲民主党代表選には恩讐のドラマがある
フーテン老人世直し録(772)
長月某日
半世紀以上も報道の仕事をしてくると、新聞とテレビが嘘をつくのを何度も経験することになる。数え出せばきりはないが、今でも国民の多くが騙されていると思うのは、例えば80年代の日米自動車摩擦で、新聞とテレビが「デトロイトに反日の火の手」と報道したことがあった。
日本の集中豪雨的な対米自動車輸出に対し、アメリカメディアは「自動車の都デトロイトに日本車をハンマーで叩き壊す男が現れ、反日の火の手が上がった」と報道した。それを日本のメディアもそのまま伝え、さらに「現地に行けば日本人は石をぶつけられる」と尾ひれまでついた。
フーテンがそれを確かめにデトロイトに行くと、空港を出た途端、すぐに嘘だと分かった。日本車がすいすい走っていたからだ。反日の火の手などどこにもない。自動車労働者はみな日本車の性能を誉め、日本車を欲しがり、ハンマーで日本車を叩き壊した男は市民から批判されて逃げ回っていた。
アメリカメディアはアメリカの国益になると思えば平気で嘘を書く。そして日本のメディアはアメリカの報道を確かめもせず追随する。この時それを痛感した。最近のウクライナ戦争や現在進行中の大統領選挙報道も、フーテンはアメリカメディアをほとんど信用していない。
かつてフーテンと配給契約を結んだ米議会中継テレビC―SPANのブライアン・ラム社長は「アメリカのテレビはやらせばかりだ」と憤慨し、一切編集をしないテレビ局を立ち上げたが、彼の言う通りアメリカのテレビはひどい。
ところが不思議なのは日本のメディアをはじめ、学者、政治家、官僚たちがアメリカの報道を信じていることだ。自分の目で確認したのかと言いたくなる。フーテンは報道を真に受けず、そうかもしれないし、そうでないかもしれないと思い見ている。そのうち情報がたまってくると信用できる部分とできない部分が判別できる。
当然ながら日本のメディアにも嘘がある。とりわけひどいのが政治報道だ。フーテンは政治記者となり田中角栄氏と出会ったことで、嘘から目を覚ますことができた。ロッキード事件で83年10月に一審で有罪判決を受けた田中角栄氏は、「自重自戒」と称して目白の私邸に籠っていた。
早坂茂三秘書から「オヤジが暇を持て余しているから話の聞き役をやってくれ」と頼まれ、目白の私邸に通うようになったある日、国鉄労働組合(国労)幹部が陳情に来たのを見た。国労は労働組合の中でも社会党支持の左派の筆頭である。
社会党に陳情するのではなく自民党のしかも有罪判決を受けた政治家に陳情することにフーテンは驚いた。それを田中氏に聞くと、田中氏は「労働組合の賃上げや処分問題はみな俺のところに相談に来る」と言った。
権力を持っているのは自民党だから、組合も陳情は権力のある方に相談するのかもしれないと思っていると、田中氏がぽつりと「日本の最大の問題は野党がないことだ」と言った。「社会党や共産党は野党ではないのか」と聞くと、田中氏は「野党ではない」と断言する。
フーテンが納得できない顔をすると、「あれは労働組合と同じで要求をするだけだ。国家を経営する気がない」と言う。それでも納得できないでいると、田中氏は「過半数を超える候補者を選挙で擁立しない」と言った。
それでフーテンの目からうろこが落ちた。そうか。社会党は激しく自民党を攻撃するが、選挙では政権を取らないようにしているのだ。我々は会社の先輩たちからメディアの使命は自民党政権の権力を監視し、憲法9条を守ることや選挙に弱い野党の側に立つことが大切だと教えられた。
しかし社会党は憲法9条を改正させない3分の1の議席だけを目指し、政権交代が可能となる過半数の議席を求めない。その代わり国会で激しく自民党政権を攻撃して審議拒否を繰り返す。するとメディアは「与野党激突」と報道するが、その裏側は誰も知らない。
裏側を教えてくれたのは竹下登氏だった。審議拒否の日程は与野党の代表があらかじめ決め、審議が止まると1対1の秘密交渉が始まる。そこで100本以上ある法案の何を成立させるか仕分けする。賃上げやスト処分が取引材料になる。つまり議論の結果で法案が成立するわけではない。
さらに竹下氏は憲法9条を利用した戦後復興のカラクリを教えてくれた。9条で軍隊を持たないことを決めたのは吉田茂元総理だ。そのため日本は日米安保条約で防衛をアメリカに委ね、見返りに日本全土を米軍基地に差し出した。
そして吉田氏は9条を国民に浸透させ、護憲運動を野党にやらせ、それをアメリカに見せつけて、アメリカが自民党政権に無理な軍事要求をすれば、政権交代が起きて親ソ政権が誕生すると思わせた。これが「軽武装・経済重視路線」である。つまり政権交代のない「一党体制」が日本を経済成長させた。
ところがそれは米ソ冷戦だからうまくいった。91年にソ連が崩壊すると、アメリカに「軽武装・経済重視路線」は効き目がなくなる。野党が護憲運動をやっても、政権交代をしても、アメリカの軍事要求をけん制することはできない。
それどころか軍事をアメリカに委ねていることが弱みとなり、軍事要求だけでなく経済分野でもアメリカの要求をかわすことができなくなった。日本はアメリカによってバブル経済に導かれ、日本型資本主義の中枢を担った銀行が破綻させられ、次いでデフレ経済に導かれ、今や日本は「重武装・経済軽視路線」になった。
ところがソ連崩壊から33年たっても、38年間続いた「一党体制」の記憶から日本人は抜けられない。田中角栄氏の言った「日本の最大の問題は野党がないことだ」がいまだに続いている。与党を激しく攻撃する「野党」はあるが、国家を経営しようとする本物の野党がない。
こういうことを書きたくなったのは23日に立憲民主党の代表選挙があり、野田佳彦氏が枝野幸男氏を破って当選を決め、「本格的に政権を取りに行く」と宣言して自民党支持者をも取り込む保守中道路線を打ち出した。
そして翌24日に党幹事長に小川淳也氏、政調会長に重徳和彦氏らを起用したところ、党内最大のリベラル派グループからリベラル色を薄めた人事と反発され、不満の声が上がっているという。このため野田代表が連携を呼びかける維新や国民民主党からも党内融和が図れるのか疑問視されている。
同じ時期に自民党では総裁選が行われている。この「ダブル党首選」には歴史的意味がある。それは「安倍一強」という独裁体制の次の政治構図が決まることだ。安倍元総理が退任した後の菅、岸田両政権は、いずれも「安倍一強」が作り上げた体制から逃れることができなかった。
2年前に安倍元総理が死亡した後も、岸田総理は最大派閥の力を無視できず、安倍派の裏金問題を処理して権力基盤を強め、総裁再選を果たすかと思わせたが、それもできずに不出馬を決め、この総裁選から生まれる構図の中で影響力を保持しようとしている。
そして日本政治に「安倍一強」という独裁をもたらしたのは、立憲民主党代表に返り咲いた野田佳彦氏である。その責任を自覚しての代表選再出馬だったと思う。従って「安倍一強」をもたらした張本人が、「安倍一強」なき後の自民党政権に挑もうとしている。
そしてもう一つの因縁は、09年の初の選挙による政権交代をもたらした小沢一郎氏を無力化し、民主党政権を短命にした東京地検特捜部が、安倍派の裏金問題を摘発したことで「安倍一強」を終わらせる引き金を引き、今回の派閥なき総裁選をもたらしたことだ。
分かりにくいかもしれないのでフーテンの認識を時系列で示そうと思う。38年間続いた政権交代なき「一党体制」は、自民党も社会党も「大きな政府」路線で同じ方向を向いていた。そこにアメリカ共和党の「小さな政府」路線を紹介したのは小沢一郎氏が書いた『日本改造計画』である。これに社会党は反発した。
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