【世界史】さながらアフリカの上杉謙信?ローマを相手に無双を誇った将軍“雷光のハンニバル”とは(中編)
カルタゴ軍がローマ北部に魔法のように現れ、連戦連勝を重ねた少し前、ハンニバル将軍はフランス南部まで進軍し、4万とも言われる大軍と、30数匹のゾウを結集させていました。そして彼は言いました。
「カルタゴの勇者たちよ、これより我らはアルプス山脈を横断し、ローマへ攻め入る!」 しかし部下たちは驚愕し、大反対しました。
「お待ち下さい。アルプスは崖と雪に閉ざされた、死の領域です。我らはローマへ着く前に全滅いたします。ここを進軍するなど、ありえませぬ」
「ありえぬか、その通りだな。ローマも、そう思っているであろうな。」かくして世界史上、道なき道を行く空前絶後の強行軍が、行われたのです。
その道程は苛烈を極め、崖から落ちるゾウや兵士、また雪崩に巻き込まれるといったこともあったかも知れません。戦う前からハンニバル軍はダメージを負いますが、それでも戦い抜ける人数が生き残り、アルプス横断に成功したのです。
「こんな所を、軍が通るはずがない」という死角をつき、肉を切らせて骨を断つ荒業で、見事にローマを出し抜いたのでした。
連戦連敗を重ねるローマ軍
想定していた防衛線よりもはるか内側を奇襲され、ローマ軍は浮き足立っていました。幾人もの将軍を迎撃に向かわせますが、ハンニバル軍に撃破されてしまいます。
まさかのゾウを連れてきた、そうした奇策の効果もあったに違いませんが、それに加えてハンニバルは、まともに兵を率いた合戦でも天才的な才能を持った人物でした。
また周辺には必ずしもローマの支配下ではなく、敵ではないものの味方ではない、日和見の勢力も存在しましたが、ハンニバルの快進撃を目の当たりにして、彼に味方する勢力まで現れはじめました。
この事態にローマの都では、このようなウワサが飛び交います。「誰もハンニバルを止められない、いずれここへも攻め込んでくるぞ」「われわれも、いよいよカルタゴへ屈するのか」。
しかしローマも意地にかけて、このままでは引き下がれません。一説によれば8万とも言われる大軍を集結させ、ハンニバルに決戦を挑みました。世にいう“カンナエの戦い(カンネーの戦い)”の始まりでした。
対するハンニバル軍は以前よりも膨れ上がり、その数は5万とも言われます。しかし連戦で疲弊している上、後から加わった集団が大半の寄せ集め軍です。対してローマは結束力も強い上、当時からすれば最新の武具や鎧も揃っており、戦力を比較すれば、明らかにローマが上回っていました。
芸術的な戦術
合戦が始まると両軍とも、横向きの長方形といった陣形を組み、にじり寄りました。しかし、ここでもハンニバルは、それまでの常識を覆す策を実行します。
通常こうした陣形では、中心を突破されると全軍がバラバラに砕かれてしまうため、中央の戦力は手厚くします。しかしハンニバルは事前に、あえて中央の兵力を減らした上で、こう指示していました。
「よいか皆の者。ローマの手強さは我も承知している、よって押し負けるのは仕方がないとする。だが、それでも絶対に逃走だけはならぬ。どれだけ押されても最後まで踏み留まるのだ」。
かくして、その状態で両軍は激突。ハンニバル軍の中央は、戦力的にローマに圧倒されました。しかし、指示通りにギリギリ崩壊せずに踏みとどまり、次第に長方形のまん中は凹み、U字の形となりました。
さらにハンニバル軍はUから丸の形に変わり、すっぽりローマ軍を覆ってしまったのです。そうなると形勢は一気に逆転、ローマ軍は横からも背後からも同時に攻撃され、大パニックを引き起こします。
そのまま、なすすべもなく包囲殲滅されて壊滅。しかも執政官などローマを統治する中心人物も含めた、大勢が討ち取られてしまいました。
このハンニバルの、あまりに鮮やかな勝利は“戦争芸術”とさえ称されました。また、この戦術は会戦のお手本として後々の世まで伝わり、世界中の軍人たちにも教えられる事となったのです。
ローマ最後の切り札
さて、ローマは威信をかけた決戦に大敗し、いよいよ震えあがりました。このまま本拠地も陥落し、ヨーロッパとアフリカの覇権はカルタゴが握るのでしょうか。
しかし、そのような中ローマの元老院に、かつてハンニバルに敗北した軍人の息子である、スキピオ将軍という人物が現れて言いました。
「ハンニバルの軍才はもはや神の領域です。はっきり申し上げて、誰も勝てますまい。しかし、我らがひと時の恥を覚悟するのであれば、彼に負けない策がございます」
旗色は完全にカルタゴに傾いていますが、ここに来てローマが逆転する作戦とは、どのようなものなのでしょうか。