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【世界史】さながらアフリカの上杉謙信?ローマを相手に無双を誇った将軍“雷光のハンニバル”とは(前編)

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

突然ですが、あなたは現在の地球の陸上で、生身で最強の動物といえば何を思い浮かべるでしょうか。ライオンや北極グマなどを想像する方が多いかも知れませんが、子どもでなく成長した段階であれば、ゾウに叶う動物はいません。

時折インドなどでゾウが暴れたニュースを耳にすることがありますが、大きく成長したゾウが、ひとたび荒ぶり突進すれば、自動車でさえサッカーボールのよう吹っ飛び、踏まれればペシャンコになると言います。

たとえ百獣の王と呼ばれるライオンでさえ、巨体のタックルや蹴りを喰らっては太刀打ちできず、国や宗教によってはゾウが神として崇められる事実は、強さの面でも納得できるものがあります。

さて、ここからは歴史の話になりますが紀元前100年頃、当時のヨーロッパではローマが最強とも言える勢力を誇っていました。しかし、このローマをゾウの力と天才的な軍略を持って、震え上がらせた人物が現れたのです。

その名はハンニバル・バルカ将軍。“バルカ”とは雷光を表す言葉ですが、その名に恥じない実力を備えていました。その常勝無敗ぶりをあえて日本史になぞらえれば、さながら上杉謙信とも言えるレベルです。彼の戦いぶりはその勇猛さに加え、繰り出す軍略は“芸術的”とさえ評されました。

そのハンニバルはアフリカ大陸の北に存在していたカルタゴ王国の将軍で、地中海を挟んでローマと対峙していました。その勢力は海を超えてスペインの一部にまで攻め入り、支配下に置くほどでした。ヨーロッパとアフリカ地方の覇権をかけ、ローマと火花を散らす宿敵として君臨していたのです。

カルタゴ王国VS共和政ローマ

ちなみに、この時代のローマは皇帝が治める“帝国”ではなく、国の代表として選出された元老院などの執政者が統治する“共和政ローマ”でした。スペイン地方でカルタゴVSローマの戦いが起こりますが、この時代カルタゴ軍の方が優勢となります。

この状況にハンニバル将軍は考えました。「いまこそ長年の決着のとき。このままローマ本国を攻め落とし、我らカルタゴこそが覇者となろうぞ」。

しかし当時のローマにとってスペイン地方は辺境の1戦場であり、まだまだ本軍には余力があります。また地中海には大艦隊も保持しており、十分に迎え討てる戦力を備えていたのでした。

また各地には偵察を放ち、カルタゴ軍の動向を監視。「陸と海、どこからでも攻めて来るがよい」と言わんばかりの防衛線を敷いていました。カルタゴの立場からすれば遠い道のりをローマまで遠征し、不慣れな土地に疲れて到着しての戦いは不利を強いられます。

ローマとしては、ここで敵の切り札であるハンニバル軍を壊滅させれば、カルタゴ本国に逆襲するシナリオさえ見えてきます。両国にとって、まさに決戦の火ぶたが切って落とされたのでした。

ゾウがローマに攻めてくる

万全の防衛で待ち受けていたローマ軍ですが、ここで青天の霹靂とも言える知らせが飛び込みます。「申し上げます。ポー平原に突如、ハンニバル軍が現れました。その数は万を超え、我が軍の拠点が撃破されております」。

「何故そんな場所にハンニバルが。偵察は何をしていたのだ」。ポー平原とは今で言うイタリアの北部ですが、偵察からはハンニバルがそこまで進軍している知らせは、ありませんでした。いくら見張りを欺こうにも、遠い距離を進む大軍の動きを、すべて隠し通せるはずがありません。

そのうえハンニバル軍にはアフリカ大陸から連れてきた、ゾウの軍団まで存在していました。慌てて迎撃に向かうローマ軍でしたが、蹴散らされて連戦連敗してしまいます。

ローマ軍は思いました「ばかな、ハンニバルとは魔術使いか」。そう思って当然の事態が起こっていたわけですが、もちろんこれには裏がありました。果たしてハンニバルはどのようなカラクリで、この奇襲を成功させたのでしょうか。

≫雷光のハンニバル将軍(中編)

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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