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【雑兵物語】足軽たちは何を思い戦っていたのか?雑兵への指南がつづられた“合戦のハウツー本”を読み解く

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

人によって好みの違いはあると思いますが、私たちが戦国時代のドラマや映画を観る時、人気となるのは華々しい合戦シーンです。

「者どもひるむな、ゆけい!」などと大将が号令をかけると、大勢の兵が敵陣へ突撃して行くシーンは、この上ない迫力があります。

何とも勇ましい姿ですが、現代の演技でなく当時のリアルな戦場において、最前線の雑兵たちは何を思って臨んでいたのでしょうか。

それらが伺い知れるひとつが、徳川家が天下統一を果たした後に出回った「雑兵物語(ぞうひょうものがたり)」という書物です。

タイトル通り数十名の雑兵が登場し、口語体で話し合う内容となっているのですが、合戦のときは「こうするべき」というアドバイスに加え「ああしたら上手く行った、失敗した」などの体験談が語られています。

現代でいうところの"ハウツー本"とも言える内容で、この記事ではいくつかの内容をピックアップし、雑兵たちのリアルに迫って行きたいと思います。

戦闘部隊の心得

【槍足軽】

合戦において槍とは突くだけのものではない。敵勢が近づいたら全員で息をあわせて穂先を揃え、上から一斉に叩くのだ。目安としては、敵兵の背中に差された旗を、叩き落とすつもりでやるといい。

ただ敵が1人2人など少数のときは、突いて攻撃しても構わない。また馬に乗った敵と相対するときは、先に馬の胴を突くといい。馬がはねて敵が落馬したところを、仕留めるのだ。

【弓足軽】

敵が遠いうちは、腰につけた矢入れの矢はまだ射てはならない。別の矢を先に渡すから、それを先に射るべし。そして、いよいよ敵が近くなった時に、矢入れの矢を使うのだ。また命令された距離よりも、遠くを射てはならない。

そして、いちど引き絞ったならば練習で的を射る時よりも、2倍の時間を使うつもりで射るべし。勢いに任せて、当たりもしない無駄矢を撃ってはならない。

もし弓も撃てないほど敵に近づかれたら、弓の先につけた「はず槍」で、鎧の隙間を狙って刺せ。

※『弭槍(はずやり)』矢を射つくした時や弦が切れたとき、あるいは近接戦になった時に、弓の端に刃先を付けて、槍の代わりとして使ったもの

そのあとは刀でも脇差でも抜いて、敵の手足を狙って切りつけるしかない。ちなみに正面から兜を切ってはならない。そんな所を狙っても斬れないし、刃が欠けてしまう。


サポート部隊の心得

【馬取(馬の世話をする雑兵)】

少しの間でも馬から目を離すときは、逃げ出さないように用心せよ。もし逃げ出して陣中が大騒ぎになり混乱に陥ったならば、戦ってもいないのに負け戦と同じになる。これだけは念には念を入れよ。

このような話がある。むかし最前線の陣中でハツカネズミを捕まえ、くくりつけていた者がいた。しかし逃げ出してしまい「どっちに逃げた」などと2~3人で騒いでいるうちは、まだ良かった。

だが急な騒ぎに後続部隊が「敵が攻めかかってきた」と勘違いして、動揺し始めたのだ。それは次々に別の部隊へも波及して、あっというまに崩れてしまった。全体としては5~6万もの大軍だったにも関わらず、そうして行軍してきた道の10日分も退却する羽目になったのだ。

ネズミ1匹でこうなるのだ。まして馬が放たれようものなら、西の果てから蝦夷地までも逃げなければならなくなる。それくらい、つねに馬を鎮めておくことの重要さを忘れてはならない。

合戦中の過ごし方

大事な場面でどうしても喉がかわいた時には、梅干しを取り出して眺めるべし。だが実際に舐めてはならない、そうすれば余計に喉がかわくだけだ。眺めて出て来る唾で、かわきを癒すべし。

また、胡椒の実はいくさに出る日数分だけ、持って行った方がいい。夏でも冬でも、胡椒をひと粒ずつかじっていれば、寒さにも暑さにもあたらなくなる。

それから寒い日には、唐辛子をすりつぶして尻から足の先まで、全身に塗っておくと凍えないで済む。手にも塗って良いが、そのまま間違って目をこすったら、大変なことになるので気を付けるべし。

荷物をくくる縄は、里芋の茎をよく干して縄にするように。味噌で味をつけ、刻んで水に入れ、火にかければ味噌汁の具になる。もし薪が手に入らなければ、乾いた馬の糞も使える。とにかく合戦の間は乞食になったつもりで、何でも利用して生き延びることが大切である。

それから冬場の合戦で勝利し、敵が逃げた跡地で、霜のおりていない地面があれば掘り返してみるといい。敵が咄嗟に埋めて隠した、食べ物や道具が得られるかも知れない。

当時の合戦のリアル

ここまで、いくつかの項目を抜粋してご紹介しましたが、これらは全体のほんの一部分です。しかし、それでもフィクションとは違う合戦の一部が、伝わって来る気がします。

現代の私たちが昔の合戦を見るとき、兵力や地形や、武将の才覚で判断しがちです。しかし軍勢を構成する一人一人は私たちと同じ人間であり、戦いの前に食べ物や寝る場所はどうするのか、用意を考えなくてはなりません。

現代の旅行と違い行き先にホテルもなければ、どこで何日過ごすのかも決まっていません。完全なサバイバルであり、敵と出会う前に戦場へ行くまでが、一大事です。

また合戦が始まってからも矢の節約や、槍隊が突き合いの前に“せーの”で、敵兵を叩く戦法など、指南は地道さや泥臭さにあふれています。

馬を逃がして敵襲と勘違い、自己崩壊するという話も、そこだけ切り取ると情けない軍隊にも思えてしまいます。しかし兵士も勇敢な人ばかりではなく、まして臨時に集められた雑兵となれば、怖がって逃げ出す人間もいて当然のように思えます。
これら大勢を率いる大将ともなれば、戦術や武勇の実力以外にも、人をまとめる才能や仕組みが、いかに重要になるかが伺い知れます。

誰が何のために書いた?

雑兵物語が書かれた時期は江戸時代の初期、天草・島原の乱が鎮圧された後くらいになります。徳川幕府の成立後、最も大規模に起こった反乱も集結し、本当の意味で太平の時代に突入しようとしていた頃です。

もう合戦も無いとなれば、多くが平和ボケしてしまうところ、戦場の緊張感や知恵を広めて、引き締めようとしたのかも知れません。

時代的には戦国時代より何十年も後であり、伝言ゲームのように尾ひれがついた可能性もあります。そうはいっても、当時の生きた感覚に近い書物で、現代の専門家からも貴重な資料とされています。

なお、この雑兵物語を執筆、あるいはまとめた人物は京都所司代などを務めた、松平信興(のぶおき)と言われています。しかし、そうではないという見方も存在するなど、諸説あります。

いずれにしても、大名や武将の視点だけでは窺い知ることのできない、末端の実態に触れることができる、たいへん面白い書物です。

「雑兵物語」というタイトルそのままで、現代語訳されている書籍も出ていますので、もし興味のある方は是非いちど読んでみて下さい。









歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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