【世界史】さながらアフリカの上杉謙信?ローマを相手に無双を誇った将軍“雷光のハンニバル”とは(後編)
カルタゴ王国VS共和政ローマの決戦は、ハンニバル将軍が大勝。その名声はカルタゴ本国はもちろん、知らせが広まった他の地域においても、評判が頂点に達していました。
このままカルタゴが覇権を握るかという情勢下で、しかしローマの切り札とも言えるスキピオ将軍が、なりふり構わない策を実行。まず彼はローマ中の大半の戦力を本拠地へ集中させ「何をされても、絶対に打って出るな」と指令します。
野戦においては無敵を誇ったハンニバルも、ガチガチに守って固められては奇策も使えず、攻めあぐねてしまいます。しかし、ローマ本拠の周辺を除けば、他の戦力はスカスカなので、ローマ全土の大半はもはやハンニバルの思うがままです。
縦横無尽な好き放題の進軍を行い、また時には荒らし回り「ローマの者ども、おじけづいたか。お主らの領土は、もはや我の思うがままだぞ。誇りが残っているなら、取り返しに来るがよい」などと挑発しました。
ところが、どれほど挑発されようと、さながらフタを閉じた貝殻のように、ローマ軍はまるで出て来ようとしません。ここまでハンニバル軍は破竹の勢いでしたが、命がけのアルプス越えに始まり、たび重なる連戦により、さすがに疲労も蓄積しています。
その状態ではガチガチに固められたローマの拠点を落とすには、戦力がもう一歩足りず。カルタゴとしては痛いところを突かれた格好です。しかし名将ハンニバルはすでに、次の一手としてカルタゴに援軍を要請していました。
“ハンニバルとは戦わない”作戦
カルタゴのさらなる援軍が到着し、ハンニバル軍と合流して攻め寄せたならば、いかに固められたローマの本拠地といえど、危機に陥ります。
ただ守るだけでは滅亡への秒読みがせまるローマですが、ここでスキピオ将軍は、このような方針を打ち出しました。
「これより我らは、カルタゴの援軍を討伐しに出陣する。だがハンニバルとだけは絶対に戦ってはならぬ。ハンニバルが来たら、必ず逃げるのだ」。
彼はハンニバルが率いてさえいなければ、ローマ軍が勝てることを見抜いていました。カルタゴの援軍がローマに近づくと、即座に出陣してこれを撃破。決して合流させようとしません。
当然ハンニバル軍は追いかけてきますが、その時はさっと拠点へと退却して、防御を固めるという作戦を繰り返したのです。こうしてローマの都は落ちないものの、ハンニバル軍は堂々と居座り続け、どちらも決め手がないという奇妙な膠着状態が続きました。
最終決戦“ザマの戦い”
しかしハンニバルへの援軍が途切れ始めたタイミングで、スキピオ将軍が大きく動きました。「これより我らは海を超え、アフリカのカルタゴ本国を攻める!」。当初アルプス越えの不意打ちで出し抜いたハンニバルですが、今度はローマの方が出し抜いた格好です。
さすがのハンニバルも、本国が落とされては戦いを続行できません。「うぬ、このような行動に出るとは。本国を救援しないわけにはいかぬ」。かくしてハンニバル軍もアフリカへ向かいますが、ローマとしては今度こそ逃げ戻れる拠点は、近くにありません。
直接対決は必至ですが、ハンニバルは本国の兵とも合流し、さらには数十頭のゾウも部隊に編成して、戦力を増強しました。両軍はほぼ互角の兵力となり、対峙。世にいう“ザマの戦い”と呼ばれる、最終決戦が始まったのです。
しかし、スキピオ将軍はこのシチュエーションを待っていました。まずはカルタゴのゾウ軍団が大地をゆるがしますが、ローマ軍はたび重なる敗戦から学び、対策を用意していました。ゾウが迫ると素早く間隔を空けて突進をスル―。
ゾウは強力無比な半面、馬のように細かく人間の指示は聞かせられず、そのまま戦場を駆け抜けて行きました。そして闘いは兵隊同士の衝突となりますが、ここでカルタゴ側に誤算が生じます。
カルタゴ軍はハンニバルが率いた歴戦の兵士に、戦いに慣れていない本国の兵士が山ほど加わっています。とくに弱兵を集中的に突くローマの攻撃に、全体が大混乱。増やした兵力が、かえって精鋭たちの足を引っ張る、仇となってしまいました。
そうこうするうち機動力の高い騎兵など、ローマの部隊がカルタゴ軍を取り囲んで猛攻を仕掛けます。かつてハンニバルがローマを撃破した包囲殲滅を、逆に決められてしまった格好です。
スキピオ将軍は父が敗北した戦いをはじめ、ハンニバルを研究しつくしていました。その成果が、ここ1番で発揮された形です。またハンニバルほどの名将に同じ手は通じず、出し抜けるのはただ1度の機会とも考えていました。
会戦はローマの大勝利となり、ハンニバルは何とか戦場を脱出しましたが、その勢いで迫るローマ軍にカルタゴ本国が陥落。かくして長きに渡る両国の争いは、ローマの大逆転勝利に終わりました。
こうして地中海の覇権国となったローマは大勢力となり、今でも世界史を見る上では欠かせない、世界に冠たる文化や帝国を築く歴史を歩みました。
スキピオ・アフリカヌス誕生
さて、スキピオ将軍はローマへ凱旋すると救世主として称えられました。「そなたこそ素晴らしき、まことの英雄。これよりはアフリカを征した勇者“スキピオ・アフリカヌス”と名乗るがよい!」。
こうして一躍ヒーローとなったスキピオ将軍ですが、しかし敵でありながらハンニバルには、尊敬の念を抱いていました。「彼とまともに戦っていたら、ローマに勝機は無かった。私は引っ掻き回して勝利をつかんだに過ぎぬ。武人としての才能を言うならば、本来は彼の方が上なのだ」。
この後カルタゴはローマの属国となりましたが、スキピオ・アフリカヌスとハンニバルは、個別に顔を合わせる機会が訪れました。そのとき、2人の間に敵味方の壁は無く、語り合ったと伝わります。
「ハンニバル将軍。あなたはこの世界で、もっとも優れた英雄は誰だと思われますか?」。
「それは何といっても、アレキサンダー大王でしょう。だが、あのときザマであなたに敗れなければ、この私がそうなれていたかも知れない。ふふ、同時代にあなたがローマにいたのは、運がありませんでした」。英雄は英雄を知ると言いますが、このとき互いは敬意を抱きつつ、言葉を交わし合ったと伝わります。
さて、そのような彼らとは別にローマ全土は勝利のお祝いムードに、包まれていました。しかし、その裏側では誰もが少し前までの出来事を、忘れてはいませんでした。
ハンニバルの強さに、ローマ軍はなす術がなかったこと。策略で振り回して、ようやく勝利できたことを。それからローマでは、言う事を聞かない子どもがいると、母親がこんな風に言ったといいます。「ほら、そうやって悪い子にしていると、ハンニバルが来るわよ」。
ヒーローかモンスターか?
少し前の話になりますが、2001年に米国・英国・イタリア合作による『ハンニバル』という映画が公開され、猟奇殺人鬼のハンニバル・レクターの存在は、多くの視聴者を震え上がらせました。
しかし視点を広げれば、西洋文明の根源にして象徴たるローマが滅ぼされかけた恐怖は、この現代にさえ残っている事実がうかがい知れます。反対に、とくにカルタゴ王国が存在していたチュニジアなどでは、ローマを散々に打ち破った英雄という見方が、根強くあります。
ヒーローか、モンスターか?立場が変われば価値観も180度変わるのが世の常ですが、ぜひ私たちも歴史を見るときは、1つの見方に拘らない視点で見て行きたいものです。