自民党のパーティ資金還流事件は真の野党が不在であることの証明でもある
フーテン老人世直し録(731)
睦月某日
令和6年元日に起きた震度7の能登半島地震は日が経つにつれ被害の深刻さが明らかになってきた。政府の地震調査委員会によると地震の原因は能登半島の北東から南西に延びる150キロの活断層にズレが生じたためだと言われる。
活断層について日本地理院は日本列島に2000以上あるとの見解を示しているが、今回の能登半島地震の原因となった活断層はこれまで知られていなかったという。災害の専門家である高橋学・立命館大学教授は「少なく見積もっても日本列島には3万以上の活断層があると推測している」と語っている。
「令和6年は内外共に大波乱が起きる」とフーテンは思ってきたが、我々は年の初めに日本列島が無数の活断層の上にあることを改めて思い知らされた。平穏な暮らしが瞬時に暗転する恐れと隣り合わせで我々は生活しているのである。
能登半島地震の発生により岸田総理は新年の伊勢神宮参拝を延期し、年頭会見は伊勢ではなく東京の総理官邸で行われた。総理就任以降2回行われた年頭会見で岸田総理は毎回「アベノミクス」を否定し「新しい資本主義」の説明に時間を充てたが、それは国民の心を捉えるインパクトに欠け、説得力があったとは思えない。
だが今年はまもなく始まる春闘で物価を上回る賃上げを実現すれば、デフレから脱却できなかった「アベノミクス」を全否定し、デフレから脱却の糸口を掴んだ「キシダノミクス」を内外に宣言することができる。その意味でフーテンは岸田総理が年頭会見で何を言うかに注目していた。
しかし地震のため年頭会見は通常とは異なるものとなり、会見のポイントは地震からの復旧と、昨年末に東京地検特捜部が強制捜査に着手した自民党派閥のパーティ資金還流事件に焦点が置かれた。
その中で岸田総理は今週中に総理直属の「政治刷新本部」(仮称)を立ち上げ、党執行部を中心に若手議員や外部有識者も参加させ、今月中に中間とりまとめを行う方針を表明した。
具体的指針をトップダウンで指示するのではなく、会議の議論に委ねようとするいつもながらのやり方である。総理の発言から具体案と思える部分を探すと、「派閥のパーティ収支を党として監査する」と「現金から原則振り込みに移行する」というのがあった。
前者には自民党に監査する資格があるのかと疑問を抱かせるが、後者の現金を使わせない方法は一定の効果が見込まれる。政治資金を小切手とか銀行振り込みとか記録に残る方法でやり取りさせれば裏金化は一定程度防げる。
一方で岸田総理は30年前の「政治改革」でも取り上げられてきた「派閥の解消」には消極的だった。本人が何よりも自民党の保守本流である「宏池会」の政治家であることを強く意識し、傍流と呼ばれた「清話会」の自民党支配を打ち破ろうとしてきたからだ。
岸田総理は「政治刷新本部」の最高顧問に総理経験者である麻生太郎元総理と菅義偉前総理を据えたが、生存している自民党の総理経験者5人(森、小泉、福田、麻生、菅の各元総理)のうち3人は「清話会」出身者である。岸田総理はその3人を除外して、今回の「改革」が安倍派の組織ぐるみの犯罪からの脱却であることを示している。
おそらく岸田総理の中では、安倍派支配の自民党からの脱却は「政権交代」に匹敵する日本政治の転換と意識されているのではないか。もしもフーテンの想像が当たっているとすれば、それは現在の政治状況が「55年体制」に逆戻りしたことを物語る。
「人間3人いれば必ず派閥ができる」と言われるように、人間には個々バラバラで生きるより自分と近い人間と集団を作りたがる本能がある。それが人類の歴史を形作ってきた。しかしフーテンが指摘する「55年体制」の「派閥」とはそうしたものではない。
「55年体制」とは、与党と野党が政治権力を巡って戦っているという「虚構」を国民に信じ込ませる日本政治の仕組みだった。権力を巡って戦っていたのは与党と野党ではなく、自民党内の「派閥」同士で、野党は全く権力闘争とは無縁であった。
自民党総裁選挙で総理の顔が変われば、国民はあたかも「政権交代」が実現したような錯覚に陥る。それが国民に不満を抱かせない自民党一党支配のカラクリである。つまり自民党という政党があるのではなく、「派閥」がそれぞれ政党の機能を果たし、その「派閥」の連立政権として自民党政権は存在していた。
各派閥には総理候補がいて政策を競い合う。自民党総裁任期は2年だから2年ごとに総理が入れ替わるのが当時のしきたりだった。竹下元総理は「歌手1年、総理2年の使い捨て」と自虐的に語ったが、派閥の数の論理ではなく順送りで総理は決まり、政策も変更されることで疑似的政権交代を実現させたのである。
従って自民党一党支配と言っても独裁とは異なる。ただ政権移譲に参加できるのは自民党員だけで、国民には投票権がない。それでも総理の交代劇は国民の一大関心事でメディアは自民党総裁選挙を大々的に報道した。
メディアは自民党を与党、社会党と共産党を野党と呼んだが、では野党とは何だったのだろうか。社会党も共産党も自民党から権力を奪おうとせず、それよりも平和憲法を守ることに力を入れ、憲法改正を阻止できる3分の1の議席獲得を目標にして過半数を超える議席を狙わなかった。
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