「イスラーム国 西アフリカ州」は着々と「イスラーム統治」を進める
2022年6月15日、「イスラーム国 西アフリカ州」名義で新作の動画が出回った。動画は、「啓典は導き、剣は助ける」とのタイトルで、「イスラーム国 西アフリカ」の者たちによる戦闘、「ヒスバ」と称する宗教警察の活動、ムスリムから義務的な喜捨(=事実上の租税)を徴収する活動を、活動家の演説を交えて紹介する30分ほどの作品だ。動画の登場人物のほとんどはアラビア語を話さず、彼らが話す地元の言語にアラビア語の字幕を付す作品となっていることから、「イスラーム国 西アフリカ州」の活動が、その舞台であるナイジェリア、ニジェール、チャドなどの地域に根付いていることが示唆されている。また、過日別稿で同派が多数の少年を集め(≒拉致監禁し)「次世代」として育成(≒洗脳・人格改造)されていることを紹介した。
今般の動画でも村落の住民を動員して教宣活動や公開懲罰(画像1)を行うなど、「イスラーム国 西アフリカ州」がそれなりに広範囲で多数の住民を制圧下においていることが示されている。
今回の作品でさらに注目すべきことは、画像2の通り「イスラーム国 西アフリカ州」の占拠地域にも「ヒスバ」と称する宗教警察、或いは風紀の取り締まりを担当する機関の者たちが現れ、住民たちの日常生活の微に入り細にうがち「指導」していることが確認できることだ。「ヒスバ」は「イスラーム国がイラクやシリアで広域を占拠していた際に設けられた同派の「省庁」の中でも重要な機関の一つで、これの活動を示す動画が発信されたということは「イスラーム国 西アフリカ州」においても「イスラーム国」流の「統治」が移入されたということだろう。
「イスラーム国」が「統治」を実践しているということは、何らかの経済的権益を奪取したか、制圧下の住民から取り立てを行うかして財源を確保しているということになるが、今般の動画では画像3の通り「ザカート」というイスラームでいうところの義務的喜捨(実質的には租税の一種)を取り立てる機関の者たちも登場している。「ヒスバ」や「ザカート」などの「統治」やそのための財政を支える機関が活動している以上、「イスラーム国 西アフリカ州」にはそれなりの官僚機構が整備され、そのための要員も相当数いるということになる。その一方で、同派の戦闘員の食生活については最近公開された画像を見る限り組織的な兵站で支えられているようには見えないので、「イスラーム国 西アフリカ州」の活動がどの程度整備されているのかについて重点的に情報を集めなくてはならないだろう。
「イスラーム国 西アフリカ州」の「成功」は、「イスラーム国」全般の広報活動にも影響を与えた。同派の週刊の機関誌の2022年6月16日に刊行された号では、「西アフリカ州」を「ヒジュラとジハードの地」と称賛する論説が掲載された。「イスラーム国 西アフリカ州」の活動地域とその周辺では、フランスがイスラーム過激派の掃討を断念して敗走するかのように軍事作戦を終結・縮小してしまったたことに象徴される通り、イスラーム過激派を含む非国家武装主体を抑える地元政府・地域・国際レベルでの対策が十分講じられていない。「イスラーム国」は、国際的にほとんど顧みられていない「空白地帯」と化した地域に、再び世界各地から人員を送り込んで「国家」としての実体を甦らそうとしているのだろうか?
「イスラーム国」を含む非国家武装地帯が現れ、それが領域や住民を制圧して「統治」を営むのは、紛争などが原因でその領域や住民に国家の権力やサービスが十分及ばなくなっているからだ。住民の側にしても、ろくにサービスを提供しない存在感が希薄な国家や政府よりも、何かくれる非国家武装主体の方を好んだり、様々な紛争当事者が入り乱れて日常的に交戦するような状況を収束させ「治安」を回復させる非国家武装主体を支持したりすることは論理的には大いにありうることだ。となると、問題は「イスラーム国」がかつてイラクやシリアで営んでいた(と主張する)「統治」をそのまま移入するかのようなやり方が「西アフリカ州」の活動地域の人民に受け入れられるかだ。上記の通り、統治の弛緩や紛争による混乱の中で短期的に「治安」やサービスを提供してくれる主体が支持されることはありうる。しかし、今般の動画を見る限り、「イスラーム国 西アフリカ州」への地元住民のまなざしは「歓迎」や「支持」とは言えなそうだ。というのも、画像1の後には、「指導・懲罰」を受けた者がむち打ち刑を執行した者と友愛の証として抱擁を交わすという場面(≒茶番)へと続くのだが、当然ながら鞭で打たれた者はこの抱擁を本当に嫌そうにやっていた。同様の場面はイラクやシリアでの「統治」の模様を紹介する作品群の模倣か二番煎じなのだが、イラクやシリアでの「出演者」はもうちょっと演技が上手だった。また、今般の動画には「イスラーム国 西アフリカ州」が主催する動員集会の模様もあり、そこでは地元民に「イスラーム国」を称賛させたりする場面が出てくるのだが、そこで「イスラーム国」の構成員と地元民がアラビア語で挨拶と会話を交わした際、動員された聴衆はそれを失笑で迎えていた。
どうやら、「イスラーム国 西アフリカ州」が制圧地でやろうとしていることは、地元社会になじみが薄いとても不自然で嫌悪感を招くようなことのようだ。とはいうものの、地元の政府の統治が及ばないだけでなく、「イスラーム国 西アフリカ州」のような外来の行動様式に基づく「統治」が進出してくるということは、現地の社会に国家権力を代替したり、外部からの非国家武装主体の侵入に抵抗したりする共同体が機能していないということだ。強い地元共同体が不在ということは、「イスラーム国 西アフリカ州」に制圧された地域の住民が同派に対して組織的に抵抗する可能性は高くない。そうした状況で「イスラーム国」のような「嫌な」統治者に対して地元住民ができる可能性が最も高い抵抗は、「個別に逃亡する」ことになる。同様のことはイラクやシリアでも発生しており、両国では国内外に多数の難民・避難民が移動した。その一部は2015年のEU諸国の「難民危機」のような政治危機を引き起こした。今後も「イスラーム国 西アフリカ州」に対して効果的な対策が講じられる見通しは高くないので、同派を嫌った地元住民が多数難民・避難民として移動することも考えておかなくてはならない。そうして移動した人々に対し、当事国・関係国・国際機関がどのように振る舞うのかも、紛争や非国家武装主体の問題を観察する上での重要な着眼点である。