イスラーム過激派の食卓:「イスラーム国 西アフリカ州」は次世代を育成する
最近めっきり動画の発信が減少している「イスラーム国」の中、このほど「イスラーム国 西アフリカ州」が興味深い動画を発表した。動画は「勝利の世代」と題するもので、次世代のジハードを担う児童たちを教育(≒虐待)する28分ほどの作品だ。その中で、児童たちは寄宿舎らしきところに起居し(≒監禁され)、起床→礼拝→コーランの朗誦→朝食→シャリーア(イスラーム法)やアラビア語の学習→昼食→「イスラーム国」が製作した動画類の視聴→軍事教練…という生活を送っている。また、動画の中には、アラビア語とナイジェリアの現地語を交えた児童や教員の演説、「イスラーム国」が捕獲したナイジェリア軍の者3人を児童らが教練の一環として射殺する場面も含まれる。
画像1は、児童らが起床し、朝の礼拝を終えた後にとる朝食である。食パンらしきものを、何らかの乳飲料と共に摂る質素な食事だが、量は潤沢にあるらしく、動画では児童らが皿に盛られたパンの多くを残して食事を終える場面に続く。「イスラーム国」の下での寄宿(≒監禁)生活でまったく食欲が出ない、ということも十分考えられる。
食事の後はイスラーム法やアラビア語の学習の時間だ。イスラーム法授業は、何故議会制がイスラームに反するのかという、イスラーム過激派の世界観の入り口ともいえる講義内容だ。教員も児童もアラビア語が母語でないように見えるのだが、イスラームを学ぶためにはそれが啓示された言語であるアラビア語を学ぶことが必須なので、アラビア語圏から遠く離れたナイジェリアの僻地でもアラビア語はジハードの担い手たちの必修科目だ。
昼食は、おそらくとり肉を使用した炊き込みご飯のようなものが供されている(画像3)。一見したところ、とり肉の切片は児童1人につき一切れ与えられているようだ。動画を眺めていると、朝食にも昼食にも野菜や果物は登場しない。また、昼食の際にも児童たちの食はあんまり進んでいない。
昼食後の軍事教練は、格闘技や基礎トレーニングだけでなく銃の射撃も含まれる。詳細については、「イスラーム国」の諸州が「大好きな」スプラッター映像を含むため、公共の媒体での紹介や論評は差し控える。ただ、この動画で重要な点は、「イスラーム国 西アフリカ州」がそれなりに多数の児童を施設に寄宿させ(≒拉致監禁し)、彼らに安定的に食事(栄養価や献立の多様性は問わない)や教育・教練を行うための資源を調達できているというところだ。つまり、一定の人数の児童を集めるためには、それなりの人口規模の集落なり領域なりを制圧下に置く必要がある。「イスラーム国」のような非国家武装主体が制圧下の人民から子供を連れ去って自派の兵士として育成するような行為は、同派と制圧下の人民との関係を悪化させる要因ともなる。しかし、「イスラーム国 西アフリカ州」が制圧下の人民を単なる収奪の対象くらいにしか考えていなければ、同派は人民との関係の良し悪しを気にする必要もない。そのような状態になるのは、「イスラーム国 西アフリカ州」が制圧地域の外から潤沢な資源の供給を受けている場合である。また、施設に寄宿している(≒監禁されている)児童がキリスト教などの異教徒の家庭の児童の場合、彼らをイスラームに改宗させ、ジハードの担い手として育成(≒洗脳、人格改造)することはイスラーム過激派にとっては積極的にすべきこととみなされるだろう。
実のところ、この種の児童教育(≒虐待)作品は、イスラーム過激派の作品群を長年観察しているととても既視感の強い作品だ。何処からか児童を集めて施設で寄宿させ(≒監禁し)、イスラーム教育や軍事教練を施した上に捕えた敵の捕虜を殺害させる、という動画の流れは、2013年頃からシリアやイラクで占拠地域を拡大した「イスラーム国」の広報の中で確立したものとすら言える。このような児童教育(≒虐待)は、児童を家族や出身共同体から引き離す、処刑に手を染めさせることにより児童の道徳観を破壊して社会復帰の道を断つなど、カルト集団や紛争地における少年兵の起用のようなより広範な社会問題と共通の基盤に則って論じることができるだろう。シリアやイラクで「イスラーム国」が占拠領域を拡大して「教育」や様々な動員を行った際は、そのような行動が既存の国家を破壊し、国際秩序に挑戦する一大事であるかのごとく論じられた。しかし、「イスラーム国 西アフリカ州」が活動するナイジェリア、ニジェール、マリ、ブルキナファソのような地域や、「イスラーム国 中央アフリカ州」が活動するコンゴやモザンビークのような地域では、同派による領域の制圧や人民に対する「統治」が着々と進んでいることを示す画像や動画が度々発表されているにも拘らず、それについての観察・分析を深めたり、深刻な問題として対策をとろうとしたりする主体は見当たらない。「イスラーム国」の拡散や復活の脅威を喧伝する声は大きいが、実はアフリカの諸地域における同派の活動やそれを支援するものの存在に対する無関心こそが、「イスラーム国」の復活を促す最大の要因になるのだろう。