安全保障戦略の歴史的転換に伴い自民党最大派閥解体への予兆を感ずる
フーテン老人世直し録(682)
極月某日
岸田政権は16日、敵の軍事基地を攻撃するいわゆる「反撃能力」の保有や、防衛費を5年後に対GDP比2%に増額することを明記した「安保関連3文書」を閣議決定した。
同じ日に自民、公明両党は、5年後に対GDP比2%の防衛費増額を達成する財源として法人税、所得税、たばこ税を増税する方針を盛り込んだ税制改正大綱を決定した。
これまで日本は憲法9条の精神から専守防衛に徹し、防衛予算を対GDP比1%の枠内に収めてきたが、その安全保障政策が歴史的大転換を遂げることになった。
翌日の新聞には、岸田総理が安倍元総理もやらなかった軍事大国化に舵を切ったと批判する論調も見られた。しかしそもそも「敵基地攻撃能力」の保有を言い出し推進してきたのは安倍元総理である。
岸田総理は最大派閥の安倍元総理が敷いたレールを歩くしかなかった。そのレールは米国の意向に沿ったものである。日米同盟を外交の基軸とする限り、日本の総理は従わざるを得ないレールでもある。しかし岸田総理は安倍元総理とは異なる着地点を探ったようにフーテンには見えた。
岸田総理の政治について、何を目指しているのかさっぱり分からないという批判がある。それは岸田総理の党内基盤が弱いためで、四方八方目配りしなければ政権運営できない。自民党最大派閥を擁する安倍元総理は、岸田政権の後に返り咲きを狙っていた。その力を削がない限り、自分のやりたい政治を打ち出すことなどできない。
ところがその安倍元総理が突然銃撃され死亡した。安倍元総理の不在は、岸田総理にとって自前の路線を打ち出すチャンスに見えるが、現実にはより難しい展開が待ち受けた。
安倍元総理が健在なら、安倍派も岩盤支持層も安倍元総理の言いなりになる。だから岸田総理は安倍元総理との丁々発止の交渉に力を注げば良い。安倍元総理は政治家だから、最初は高めの球を投げても、状況を見ながら妥協する柔軟性を持ち合わせている。
しかし安倍元総理を師と仰ぐ安倍派の政治家や岩盤支持層にはそれがない。安倍元総理の言葉をそのまま実現しようとする。だから岸田総理はまず自分が安倍元総理の遺志を継ぐ人間であることを見せつけなければならなかった。
国民の反対があっても「国葬」を強行したのはそのためである。支持率が下がれば下がるほど、安倍派と岩盤支持層は岸田総理の足を引っ張れなくなる。それを見届けたうえで岸田総理は、この「安保関連3文書」の作成を機に、最大派閥と岩盤支持層の解体作業に取り掛かったようにフーテンには見える。
生前の安倍元総理と岸田総理が激しく衝突したのは、7月に防衛省の島田事務次官を交代させた人事だった。島田氏は安倍元総理の秘書官を6年も務めた腹心中の腹心である。その福田氏を岸田総理は防衛事務次官から外した。それは「安保関連3文書」の作成に安倍元総理を関与させない決意の表れだとフーテンには見えた。
これに安倍元総理も岸信夫前防衛大臣も猛然と反発した。だが岸田総理は頑として受け入れない。それが参議院選挙の直前だったので、フーテンは参議院選挙が終われば、安倍vs岸田の戦いが顕在化すると思っていた。そこに安倍元総理銃撃事件が起きたのである。
一方、8月2日に米国のペロシ下院議長が台湾を訪問したことで、中国は大々的な軍事演習に踏み切り、日本のEEZ内にもミサイルが撃ち込まれた。G7外相会議が非難声明を出すと、中国は4日に予定されていた日中外相会談を突然キャンセルした。今年が日中国交正常化50周年であるのに、日中間に不穏な空気が漂った。
するとキャンセルの翌日、岸田総理は改造人事の前倒しを突然発表し、林外務大臣は留任させ、防衛大臣を岸信夫氏から浜田靖一氏に交代させた。浜田氏は安倍元総理とは距離のある政治家である。つまり岸田総理は外務・防衛の両省から安倍元総理の影響力を排除した。
これを見て中国政府の態度が一変する。17日に秋葉剛男国家安全保障局長を中国に招き、天津で7時間にわたる会談を行った。何が話されたか想像するしかないが、年内に日中首脳会談を行うことや、「安保関連3文書」についても話し合われたとフーテンは想像する。
11月17日、タイのバンコックで3年ぶりとなる日中首脳会談が実現した。その時の習近平国家主席の満面の笑顔にフーテンは驚いた。とても仮想敵国同士とは思えない笑顔だった。帰国した岸田総理は、「安保関連3文書」と防衛費増額をどのような段取りで実現させるか、精力的に動き始めた。
それより前にフーテンが注目したのは、10月29日に二階俊博元幹事長と会食したことである。二階氏を自民党幹事長の座から引きずりおろすことで総理になった岸田総理が、頭を下げて二階氏に協力を要請したのである。日本の政界で親中派の筆頭と言える二階氏は岸田総理に対し「全面的に支える」ことを約束した。
日中首脳会談後の11月25日と27日、岸田総理は萩生田光一政調会長と世耕弘成参議院幹事長という安倍派幹部2人と相次いで会食した。「安保関連3文書」と防衛費増額の実現に協力を求めたものとみられる。
安倍元総理は「敵基地攻撃能力」の保有と防衛費の増額を「国債」の発行で賄う考えだった。しかし岸田総理は「国債」ではなく「増税」で賄う考えだ。安倍派幹部の2人は安倍元総理と同じ考えを公言していたが、この時、岸田総理から説得された可能性がある。
そもそも安倍元総理の「アベノミクス」に増税の考えはない。安倍元総理は法人税を引き下げ、消費税導入を延期するなどしてデフレからの脱却を図ろうとした。そのため日本政府の借金は膨れ上がり、日本国債は対GDP比262%とダントツの世界第一位である。
そして安倍元総理は財政赤字をものともせず、米国の要求に忠実に米国から武器を爆買いしてきた。その象徴が地上型迎撃システムの「イージス・アショア」だ。日本の防衛にとって必要だから買うのではなく、トランプ前大統領の要求で買わされた。
それを河野太郎元防衛大臣が問題視し、「イージス・アショア」の配備を停止した結果、浮上したのが「敵基地攻撃能力」の保有である。迎撃だけで日本の安全は守れない。相手に攻撃をためらわせる「抑止力」が必要だと安倍元総理は言い出した。
冷戦時代の日本は、メディアや学者が憲法9条の理想を国民に説き、野党に護憲運動をやらせ、米国が日本に対する軍事要求を強めれば、政権交代が起きて親ソ政権ができると思わせた。それによって米国の軍事要求をけん制し、それを背景に高度経済成長を実現した。
ところが冷戦が終わってソ連が崩壊すると、米国は憲法9条があるために軍隊を持たず、防衛を米国に依存している日本から富を吸い上げる方法を考え出した。自衛隊を米軍の二軍に育て上げ、米国製兵器を買わせて米軍の肩代わりをやらせる。日本国民が憲法9条を守ることで、米国に利益がもたらされる構図が生み出されたのである。
安倍元総理がその構図を牽引した。日本政府が借金で米国製兵器を爆買いすれば、その借金は米国に吸い上げられるだけで、日本国内に利益は生み出されない。そして安倍元総理が言った「台湾有事は日本有事」には、日本の自衛隊が米軍の肩代わりをする意味があった。
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