2つのジンクスを前に安倍総理は衆院解散を決断するか?
フーテン老人世直し録(218)
卯月某日
夏の参院選の前哨戦と位置づけられた衆院北海道5区と京都3区の補欠選挙は予想通りの結果となった。故町村信孝前衆議院議長の「弔い合戦」となる北海道5区で与党は何とか議席を守り抜き、与党が候補を立てなかった京都3区では民進党候補が大勝した。
この結果を受けて安倍総理が夏に衆参ダブル選挙を仕掛けられるかどうかが今後の政治の見どころとなる。この夏の参院選には2つのジンクスがあり、それを考えると安倍総理はどうしても衆院解散に踏み切りたいと思うだろうが、その解散戦略には狂いが出始めており、乗り越えなければならない壁がある。安倍総理はこれからいよいよ正念場を迎えるのである。
2つのジンクスとは、1つは日本で主要国首脳会議(サミット)が開かれる年には必ず衆院解散があるというジンクス、もう1つは1989年以来9年ごとの参院選で自民党総理は必ず退陣に追い込まれるというジンクスである。
日本で初めてサミットが開かれたのは1979年だが、その年に大平総理は財政赤字を解消するため消費税導入を掲げて衆議院を解散した。次の1986年には中曽根総理が自らの任期延長を目論んで衆参ダブル選挙に打って出た。3回目となる1993年は政治改革を巡り宮沢総理への内閣不信任案が可決され、宮沢総理は総辞職ではなく解散を選択して、選挙戦の真っ最中にサミットは行われた。
4回目の2000年サミットは小渕総理の強い意向で開催場所を東京から沖縄に移したが、小渕総理は直前に病で亡くなり、後を継いだ森総理はサミットを前に自公保連立の是非を問うため衆議院を解散した。そして前回となる2008年洞爺湖サミットは第一次安倍政権の下で安倍総理によって決められたが、2007年の参院選惨敗によって安倍総理は退陣に追い込まれ、福田総理が議長を務めた。
その2008年にも衆院解散は想定されていた。福田総理はサミットを終えると、選挙の顔には麻生総理がふさわしいとして退陣する。しかしリーマンショックが起きて麻生総理は解散を躊躇し、解散は2009年に持ち越された。その間に自民党は支持率を下げ、2009年の総選挙は日本で初の政権交代をもたらす結果になった。
このようにサミットが日本で開かれる年には必ず衆院解散か解散を模索する動きがある。そしてもう一つのジンクスは安倍総理が思い出したくもないジンクスだ。1989年以来9年ごとの参院選で決まって自民党総理が退陣するのである。
この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2016年4月
税込550円(記事6本)
※すでに購入済みの方はログインしてください。