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『アニマル・キングダム』の描くラストに、非民主的に民主主義をもたらす西洋の伝統を見る

松谷創一郎ジャーナリスト
YouTubeトレイラーより。

 NHKの朝の連続ドラマ『虎に翼』は、日本初となる女性弁護士を描いた作品だ。そのテーマは女性の生き方であるが、一方で「法」を描く作品でもある。だが、「法」とはかならずしも法律だけを指すわけではない。明文化されない慣習や限定的な空間でのみ機能するルールもある。映画『アニマル・キングダム』には、この「法」を考えるうえでの大きなヒントが隠されている(初出:『WEBRONZA』朝日新聞社/2012年02月17日)。

派手な題材と静かな描写

 オーストラリア・メルボルンを舞台とした『アニマル・キングダム』は、犯罪を生業にする一家を描いた物語だ。モチーフ通り、そこではいくつかの犯罪が描かれる。しかし、派手なクライム・サスペンスになりうる題材にもかかわらず、新人監督のデヴィッド・ミショッドはそうはしなかった。描かれるのは、その一家に住むことになるひとりの少年を中心とした、とても静かな物語だ。

 派手な題材と静かな描写──この映画を観ながら感じ続ける奇妙な印象は、このミスマッチによって醸しだされている。そして、それこそがこの映画の最大の魅力にもなっている。

 物語は、高校生の少年・ジョシュアが母親を亡くすシーンから始まる。母親の死因はヘロイン中毒だ。救急隊が来るまで、彼はソファで動かなくなった母親の隣で、静かにテレビでクイズ番組を観ている。救急隊が来てからも、立ち上がって応急処置とテレビをぼんやり交互に眺める。そんな彼の表情から、悲しみは見て取れない。無表情としか表現できないように、彼は感情を表に出さない。この時点で、観賞者は彼のこれまでの生い立ちをなんとなしに想像させられる。

 孤児となった彼は、祖母のスマーフに引き取られることになる。だが、長男の通称・ポープ(「教皇」の意)をはじめとする伯父の3人は、強盗や麻薬密売など、犯罪で生計を立てているギャングだった。亡くなった母親は、そんな兄弟や親と距離を置いて生活していたのだった。

 この一家のなかで祖母のスマーフは、女王蜂のような存在だ。中年にもなる息子たちを溺愛し、彼らの犯罪も見逃している。彼らが逮捕されれば、弁護士を雇って釈放に奔走する。その溺愛の異常さは、挨拶がわりのキスを唇にする異様な光景から伝わってくる。この「アニマル・キングダム=野生の王国」は、犯罪にまみれて生きる息子3人を、老いた女王が見守ることで成立している。

主人公が直面するふたつのルール

 ジョシュアはこの独特な世界に放り込まれ、新たに直面するふたつの“ルール”に翻弄されていく。そのルールとは、ひとつが“アニマル・キングダム”のスマーフ一家の掟だ。もうひとつが、彼ら一家を捜査する警察や裁判を通して描かれる社会のルールだ。

 前者の固有なドメスティック・ルールと、それを包括する後者のパブリックなルール──ジョシュアは、それまで接することのなかったこのふたつのルールの中で板挟みになっていく。

 この映画を観ていて連想したのは、ラッセ・ハルストレムが監督したジョン・アーヴィング原作『サイダーハウス・ルール』(1999年)だった。この作品は、孤児院で生まれ育った青年が社会に出てさまざまなルールを知り、成長していく物語だ。若者がそれまでのルールとは違う新たな社会のルールを知り、そこで葛藤を見せながらも成長していく──それは典型的なビルドゥングス・ロマンの展開である。

 『アニマル・キングダム』のジョシュアも、それまでの人生で知らなかったさまざまな社会のルールに直面する。しかし、その結果として訪れるのは、成長と呼ぶにはとても過酷な現実だ。

支配を終わらせるイリーガルな手段

 さまざまな社会のルールを知り、それを参考にしつつ新たに自らで固有のルールを構築していくこととは、成長のプロセスとして理想的とされる形式だ。ルールが次世代に受け継がれ、ブラッシュアップすることを意味するからだ。しかし、ジョシュアが最終的に選択したのは、刑事や司法が伝えてくれる公的なルールではなかった。彼は司法の救済を自ら手放した。

 最終的に彼が選択したのは、スマーフ家において学んだドメスティックなルールを使って、そのルールを終わらせることだった。具体的に言えば、暴力的なポープの支配を断つために、ジョシュアはポープが好む暴力を採った。

 そこで想起するのは、非民主的に民主主義が構築されていった歴史的なプロセスだ。アメリカの独立戦争やフランス革命を踏まえるまでもなく、西洋社会において民主主義は暴力を使って勝ち取ってきた歴史がある。その伝統は、たとえば2011年に映画も完結した『ハリー・ポッター』シリーズにも色濃く見て取れる。子供向け作品でもある『ハリー・ポッター』であそこまで過酷な戦いと血を描くところには、作者に明確な意思が感じられた。

 ポープの支配を終わらせたジョシュアは、そのまま祖母のスマーフのもとに歩み寄って、彼女をぎゅっと抱きしめ、頭にキスをする。一方スマーフは、そんなジョシュアを抱きしめ返すことなく、ポープの死に悲嘆してか凍りつく──。

 『アニマル・キングダム』のこのラストは、イリーガルな手段を使ってドメスティックなルールを断つという点において、非民主的に民主主義を勝ち取っていった西洋社会の伝統が色濃く表れているように見える。実際、この手段によってポープの支配は終わったからだ。

 しかしこの映画は、この後を描かない。そこに訪れるのが民主的な平和なのか、それともジョシュアによる新たな恐怖政治の始まりなのか、その判断は観た者に委ねられている──。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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