何度も言うが民主主義の基本は多数決ではない
フーテン老人世直し録(304)
皐月某日
民主主義の基本は多数決にあるのではない。国民の多数の判断が正しいという保証はどこにもないからだ。従って民主主義は多数が選んだ者に権力を与えるが、一方で「多数は間違いを犯す可能性がある」との前提に立つ。そのため民主主義は多数が選んだ権力をチェックする様々な仕組みを必要とする。
例えば三権分立が必要である。民主主義以前の、力で行政権力を手にした時代に三権分立はない。権力者は思い通りに政治を行うことが出来た。が同時に力で権力を奪われる宿命にある。つまり権力の交代には血が流れた。
民主主義は血を流さずに権力を交代させる仕組みである。国民の多数から選ばれた者に行政権力を与えるが、多数の選択が正しい保証はないから、行政権力は司法と議会によってチェックを受けなければならない。
司法は法律に基づいて行政権力をチェックする。議会は国民の少数派を代表する者との議論によって行政権力をチェックする。つまり多数の支持で権力を交代させるが、それが絶対的ではないというのが民主主義の民主主義たる由縁である。
ところが安倍政権とその周辺はこの民主主義の基本を全く分かっていない。さらに日本国民の大多数も全く理解できていないとフーテンは思う。国民の多数が支持することは正しいという危険な幻想の中に日本国家はある。民主主義の選挙の中から多数の支持でヒトラーは誕生したことを歴史は教えているが日本人にはその感覚が乏しい。
かつて特定秘密保護法が参議院の特別委員会で強行採決された翌日、読売新聞政治部次長の署名入り記事が朝刊一面に掲載された。「民主主義 誰が『破壊』? 多数決の否定はおかしい」という記事だった。
「多数決に従わないのは憲法違反で民主主義の破壊」という論旨にフーテンはのけぞった。そんなバカなことを恥ずかしげもなく書く新聞が世界の民主主義国のどこにあるか。早速ブログを書いて批判したが、読者の反応も「学校で民主主義は多数決と教えられた」というもので、この国の民主主義教育のアサハカサに深刻な思いをした。
この時フーテンが最も問題にしたのは国会での議論の中身である。政府は野党の質問にまともに答えず、意図的にかみ合わない議論を続けさせ、時間切れを待って自公維の数で押し切る。かつてフーテンが政治取材の一線にいた自民党万年与党時代にこんなことはなかった。冷戦崩壊後に見続けた米国議会にも勿論ない。
ところがそれがその後の安保法制でも繰り返され、また今回の「共謀罪」でも繰り返されようとする。国際社会には見せられない恥ずべき議論だが、そのことが安倍政権にも大多数の日本国民にも分かっていない。多数決は正しいという幼稚な認識に支配されているためだ。
「共謀罪」を巡り国連のプライバシー権に関する特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏と菅官房長官のやり取りはそれを象徴している。ケナタッチ氏は安倍総理に書簡を送り、法案がプライバシー権の侵害に当たらないかと質問した。国連関係者から質問されれば答えるのが普通である。
ところが菅官房長官は法案が多数の国民に支持されているかのように言い、逆にケナタッチ氏のやり方は「不適切」だと強い抗議を行った。これに驚いたのはケナタッチ氏である。質問に答えてくれるどころか自身が否定されたかのような対応に「世界基準の民主主義国としての道に歩を進めるべき」と反論した。
おそらく安倍総理とその周辺が陥っている勘違いは選挙で4回勝利し、かつ内閣支持率が高いという、多数の支持を得られている自信が背景にある。そこから自分たちが考える政策は多数に支持されていて、多数に支持される政策は正しいという全く世界基準とは外れた子供じみた論理になる。
この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2017年5月
税込550円(記事6本)
※すでに購入済みの方はログインしてください。